東北関東大震災から学ぶこと
絶対に無いということなど「絶対にない」。ありえないことも「起こってしまった」しまった。「理論上は大丈夫」とか、「想定外のことが起きた」とか、「心配は無い」という今回の報道。こんなことが起きるかもしれないというのを予測できなかった役立たずな東京電力の実態を露にした。
今回の大震災で今を生きる人間が学んだこと。起きてしまったことに対して今後のことを考える必要がある。とりあえず、東京電力は逝ってしまえ。
義援金も確かに善意の表れであるが、それをどう使うかということも考えなくてはならない。個別に配給するか、それとも全体のために何かをすることに使うか。
また、被災者への支援も当然必要だけど、金銭面だけではなく、知恵だって充分な支援になると思うのでみんなが考えると言うこともまた「いま出来ること」だと思う。
いま、こんな状況だからこそできること。考えることが必要かもしれない。関西・淡路大震災を知っている世代も多いが、今の子供たちには生まれる前の遠い昔の出来事でしかない。戦争が悪いこと。悲惨なものだと知る世代も高齢で実際にいまの日本を支えている世代とこれから日本を支える世代には未経験な出来事だからだ。
ヒトは自分が経験したこと意外を本当の意味で学習できない。知識や文献。経験者からの話で知る事はできても見てきていない者には実感が無いからだ。
確かに今回の災害は日本全体から見れば一部の人が体験した大災害であるにしても、TVで既に3日以上報道されている、「いま日本の東北と関東の一部で起こっていること」である。
それをどう見るのか。それからどう学ぶのかはTVのこちら側の人間。つまり受け手の気持ち次第。
安全な場所から福島原発が安全と言ってた専門家や政府など希望的観測を言ってるだけ。そしてそれが甚大な被害に及んだ時にこういうのだ。
「想定外のことが起きた」「安全装置が動くはずだった」「理論上は大丈夫な設計にしている」と・・・
オラのmixiのつぶやきに、部外者だからそんなことを言えるみたいな書き込みされたが、部外者だけど被災の当事者なんだよ。安全圏でなに東電を擁護してるんだよ。東京電力や日本原燃の見通しや予測が不十分で、政府の発表がシドロモドロだから国民。とくに被災地と原発の風下である福島県北部・宮城県・岩手県・青森県が不安になるんだろう。
地震当日の夜に安全だからと豪語して、結局爆発事故を起こしたのは「考えが甘すぎ」とか「ヒューマンエラー」以外に何と表現すればいいのだ?。
「想定外の事だった」ってこと?。その想定外のための安全装置が何でついていないの?。どうして安全装置が1号炉と3号炉でどっちも稼動しなかったの?。1基ならまだ不測の事態でも、2基とも動かなければ、それは設計ミスとか考えが浅かったという以外に何と言う?。
安全装置がなんでひとつだけ?。ひとつじゃないにしても作動しなければ無いも同じ。
ディーゼルエンジン?発電機?が動かなかった?。点検整備は?作動実験はしたの?最後にやったのはいつ?。
どうしてそれが作動しなかった時の安全装置を用意しなかったの?。機械的な安全装置がダメならなんで物理的安全装置を用意しなかったの?。圧力上昇も、過熱も物理現象でしょ?。実用面で既にスプリンクラーっていう消化装置があるけど知らないの?見たこと無いの?馬鹿なの?死ぬの?
圧力が一定量を超えたから気体(放射性物質を含む蒸気?)を放出したらしいけど、なんで開放した圧力を逃がす装置があって、放射性物質を取り除く装置や、一時的にそれらを全て地下に放出する空間(巨大な減圧室)みたいなものが無いの?。
蒸気って冷えると体積が減るから、巨大なコンクリの水槽みたいなものがあればそれを槽の底から泡状にして水の中に蒸気を放出すれば外に漏らさずに済むでしょ?小学校の理科で水蒸気について習うでしょ?。水蒸気は冷えると体積が殆ど無くなって水になるでしょ?。
あと、一定温度で溶ける安全装置を利用すれば炉心が過剰に加熱した時点で炉心そのものに「電気的あるいは機械的な装置を介さず。人間の手を介さずに安全に作動させる装なんて簡単に作れるでしょ?」ということ。更に、圧力が上がるということは、圧力を測る装置があると簡単に分かるけど、圧力を力に変える物理的機構に「ピストン」というものがある。工事現場で働く作業機械には油圧シリンダーという形でピストンを使ったものがあるけど、炉心の圧力が上がれば、当然、外に向かって圧力が掛かる。で、炉心にピストンをつけておけば、一定量の圧力が生じた時点でピストンが作動し、水を注入するための弁は作動すればいい。これもロボットコンテストに出場する高校生レベルで充分に機構の設計図を書けるだろう。
このように原子炉溶解事故には「なんでも複雑化しようとして、肝心な時に機能しないハリボテ」が付いているようで、単純明快な安全装置が無かったということだ。きっと「如何に複雑化するか。如何にカッコイイだろう!」とか言うためだけのシステム化を図ったのか。どうして「単純な仕組みほど壊れにくく、複雑なシステムほど壊れやすい」とういうことを知らないのだろう。
非常時には地デジTVが全く用を足さない(電気が使えない)。ネットはパソコンも携帯も回線がパンクして用を足さない。デジタルは非常時に弱いのだ。
しかしアナログで古い技術のラジオというアイテムはしっかりと働いた。デジタルよりアナログが優れているのはこういうときだ。そして、地元放送局が地震で壊滅しても、AM放送や短波放送は伝播距離が桁違いであること。ホームセンターで2000~3000円のラジオで短波が聴けるラジオは工夫さえすれば地球の裏側の放送も受信できる。
大事なのは「機能しない最新技術」よりも、「機能する古い技術」である。電子技術も全然大したものが作れない時代。あのアメリカさえも恐怖に陥れた気球爆弾なんか、簡単な圧力計と歯車。オモリだけで太平洋を横断してアメリカに到達している。GPSなんて当然無い時代に。
本当の知恵というものは「派手さや見栄えを見せびらかすもの」ではなく、「確実に機能する仕組みを考えること」ではないだろうか。
頭の良さと賢さは別物であるが、何をするにしたって試験と言うフィルターで頭の良い人間だけが残る社会というのは如何なものだろうか?。
いま、この事態を何とかできるのは、頭の良い人たちではなく、案外、どこにでも居る人間が出来るのかもしれない。
最後に。
安全に完璧や絶対は無い。
対策に終わりは無く、作ったから終わりでもない。
機能しないものは安全装置とは言えない。