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2015年4月22日水曜日

目は音声を発しないコミュニケーションツール

 散々、野生の方々と会話をしているが、目という器官は声を伴わない一定の知能レベルを持つ生物共通の会話の手段であると思う。
 スズメにしろ、カラスにしろ、カモにしろ。目で相手を見据えて、相手の目をしっかりと見通してくる。目の奥に見るものが有るのだろう。確かに人間でも相手の目で何を考えているのかある程度見透かせる。
 動物はそういった感に優れているのだろう。人間は言葉に頼ることが多く、そういった感が強い人と弱い人が居る。騙されやすい人はきっとそういった感が働かないのかもしれない。

 目は相手の考えを読む他に、攻撃だったり危機回避の為にも使われる。相手に戦闘の意思がないことを伝えることも、相手を睨みつけることで敵意をぶつけることもできる。相手の恐怖心を読むこともできると同時に、相手にこちらが全く恐怖していないということも伝えられる。物理的な攻防を伴わないから怪我を負うというリスクも回避できる。

 人間もこういった事が得意な人も居れば、まるで駄目な人も居る。そもそも目が死んでいる人も居るし、目が活き活きとしている人も居るからだ。無表情で無感情な人は目で相手の好奇心や恐怖心を読み難いが、そういった人種は挙動で見抜ける。表面に出なくてもどこかに出る。

 これを踏まえて言えば、オラが相手に恐怖心を与えずに近寄らせたり、逆に相手を威嚇して近寄らせなかったり、逆に故意に相手に興味ないよと意思を伝えることもできる。特に動物に対しては非常に有効だ。
 ここまで書けば気付くと思うが、会話とは必ずしも言葉だけで行なうものではなく、目や全身で表すものだと言える。オラに物怖じせずに攻め寄ってくるエサくれスズメだってそう。カラスやカモだってそう。山でばったり出くわして両者一歩も動かず互いに観察しちゃうこともそう。ワンワン吠えながら尻尾巻いて怖がってる犬もそう。

 最初は威勢よく威嚇してはみたものの、ニコニコしながら近寄られてエビ反ってビビリまくりのハシブトガラスも居る。無関心なスズメに声をかけ、人間のくせに自分らの言葉を使う奇妙なやつが居ると思わせ懐柔し、いとも簡単にスズメを信用させてしまうのも目で相手にこちらの意思を伝えられるから。同時にこちらも相手の心情の変化をリアルタイムに読んでそれに応じた態度の変化で応える。

 会話をするという行為そのものは、必ずしも相手に音声が必須とは言えない。目であったり、態度だったり、気配であったりと手段は他にも有る。身近にいる人間以外の相手なら、後腐れない付き合いもできる。相手も同族でなければ関係がいつ壊れても生活に支障はない。信頼度が高ければ強く影響も与え合い互いに依存することもあるだろうが、得るものも大きい。付き合う内に互いのリアルでの言葉遣いも分かってくる。相手の考えていることが分かるようになるのは非常に楽しい。

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