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2024年6月7日金曜日

手続き記憶という脳内プリセットについて(再認識)

よく使う細かなモード設定を記憶し、必要に応じて呼び出してすぐに使える機能。

色々と試したり、それを無意識に使っていたり、生物なのでたまに使い方が分からくなっていたり、プリセットが消えていたけど不意に思い出して使えるようになったり。

やはり意識するというのは重要で、たまに使うことによって強固に焼き付けることができたり、使わないと消失することもある。ナマモノだけに。

ナマモノに限らず機械でも何らかのきっかけで消えたりもするが、本人が設定を覚えていれば再設定すれば良いだけだ。でも、ナマモノだとそうはいかない。感覚的なもので設定をエクスポートして、忘れたらインポートって訳にもいかない。だってナマモノだから。

今日の出勤時、しばらく使わなくて消失していた視覚に関するプリセットが不意に復活し、ああ、そうだ、そうだったと妙に感動したのだが、感覚的に習得したものって感覚を思い出さなければナマモノのフラッシュメモリなんぞ直ぐに消える。

だから、普段使わなくても時々にでもいいから使ってやることが大事だって気付いた。

このナマモノのプリセットだが、脳科学で言う「手続き記憶」に相当する。要するに体で覚える一連の動作を習得する機能で、自転車に乗れるとか、車を運転するとかのやつ。

ゲーム中にいちいちコントローラーのボタンの位置を見ないでしょ?。運転中にいちいちペダルやシフトの位置を確認しないでしょ?。自転車に乗る時にいちいち右を踏み込む、次に左を踏み込むなんて考えないでしょ?。つまり体が覚えているってやつ。

感覚的な裸眼視力のピント機能と、脳内視力の見え方の組み合わせで、視野内全体の情報を均一に知覚するプリセット。

多分、この視力のプリセットは視野全体に写っている目標物を同時に複数知覚するための視力のプリセットで、例えば戦闘機パイロットは後ろ以外の前方、左右。上方の視野角に敵機などが入り込めばそれを知覚してドックファイトに備えるわけだ。

映画やアニメで殺し屋が前しか見ていないのに左右方向の敵を二丁拳銃でバンバン撃っちゃうアレも視野内全ての敵の位置情報を自分を中心として正確に近くして拳銃を敵に向けて弾を発射する。

運転に関してのオラのこのプリセットは、視野の中心点のピントを曖昧にして解像度を下げ、中心部分の視覚情報を低下させる。中心から外縁に向かって人間の網膜の解像度が下がるので、中心部同様に視野内の視覚情報を限りなく均一にすることで視野内全ての動体や物体を同時に知覚することができるものだ。

これがあると常に運転中に視野の中心部の解像度を上げっぱなしにしない。ピントに使用する毛様体縦走筋や毛様体輪状筋の疲れを抑えることもできる。要するに写ルンですのように眼球の筋肉を使わず、ただ目に入る情報を網膜が受け取ってる状態。ピント合わせ処理が必要ないので目の筋肉の疲労を抑え、逆に脳内視野全体を捉えた状態で脳視力を点ではなく面で全体を処理する。

この視力の使い方はシューティングゲームなどの上級者は誰しもが持ってる。画面内の敵機をいちいち目で追わないので、ゲーム中に眼球はほぼ動いていないのだ。これは大昔にTVでも紹介していた視覚の使い方で、上手い人と下手な人の視点を機械を使って計測して科学的にも証明されている。

ついでに、今気づいたこと。

今のオラの視力がかなり良くなっていること。不思議なほどに近い(とは言っても2m)ものもハッキリと見えている。遠いものは常にかなり高解像度で見えているのでそこはいつもどおりではある。多分、何かを掴んだから見え方が変わったかもしれない。それが裸眼視力なのか脳視力なのかはまだちょっと正確には認識できないけど、単純に見えるとか見えないとかって眼球そのものの性能や状態に依存しない視力の補正によるものだとしたら、眼球の老化による劣化は人間は避けられないとしても、脳内でそれを補正することで実は見えないのは認識の方法であって、実際には眼球は視覚情報を脳に送っているのではないかと。

あくまでもこれは想像ではなく妄想の範囲ではあるが、仮に人間という特殊な知的生命体が持つ認識による事象の改変(ここでは眼の劣化を補う情報の得方に何らかの干渉)を行なっているのだとしたら、この見える見えないって、本当に眼だけで見ている外界の情報なのか疑問が出てきた。

もしかしたら、オラにしか見えないオラが見ている世界の情報が、気づきによって更に多くの情報を拾い集めているとしたら、他の人が見えていないものはオラにしか知覚できていない。あるいは存在してない可能性もあるってことだ。

仮にこれが正しいとしたら、色々と納得できるオラの固有スキルも説明がつくんだよね。訓練すれば誰にでもできるもの。幼少期に獲得していたからこそ今でも使えること。大人になって様々な見方に違いがあることに気づいて、その見え方を自分なりに脳内で作り出すこと。感覚として共感できる人は少ないかも知れないけど、肉体内の感覚って共有できないものだから、オラが見ているものは他の人には見えないのかもしれない。

うーん。また何かに気付いた感じがする。

肉体は老いるもの。でも、肉体に依存しない外界からの情報の知覚を仮に脳内での補正で性能以上のものを引き出せるとしたら、老化によるどうしようもない現実をどうにかできるかも知れない。

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