あおもりくまブログアクセスカウンター

2024年6月4日火曜日

イメージを正しく伝えるテスト

自分の脳内イメージを相手に伝える場合、語彙の豊富さだけではなく、図や写真や五感に訴える手法をフル活用することと成るが、大事なのは表現方法の多彩さ、それを表現する為の手段と、使い熟す器用さが求められる。


スキルというものは多ければ多いほど相手に伝える手段が増え、カテゴリの多さは認識の齟齬の穴を埋める事ができるので、できる事を増やすのは当たり前で、無駄だと思って関わらない事は覚える機会を逸する逃げとも言える。

結局の所、無駄と思われるスキルってものは無くて、必要に迫られたときに後悔するよりも、機会がある時に積極的に習得すれば、手札が増えるだけではなく何気ないシーンでもサラッと実演できてしまうから、咄嗟のときでも難なく対処が出来る。

誰しもがピンチの時を想定した生活をしている訳ではない。楽天的な人は多いと思うし、そうで無くとも余裕がない人はリソースを割くことに消極的だ。
一見無駄と思われる機会をチャンスと思うか、逃げるかは個人の自由だけどね。
でも、備えあれば憂いなしな訳で、そのまさかってアクシデントなんて絶対に二度と無い訳は無い。二度あることは三度あるのは普通だ。
そして、今まで無かった事は何時か有るんだよ。無いに越したことは無い。自分は無くとも誰かが目の前で困る事だって無いとは言えない。

これって具体例を出さなくとも何にでも当て嵌る事な訳で、オラは変人なのでレアケースに傾倒しまくってる。結果としての困った時の神頼みになれる。神は簡単には助けちゃくれない。でも、人間ならそこら中に居る訳で、その中の非常に少数のみが助け舟に成れるのなら、神に助けて貰うよりも助けて貰える確率は高い。

実際には神ができることに比べれば大したことは無い。オラ自身も無駄に修練しちゃいないんで苦労する程の難易度はない。でも、逃げていた人に比べれば習熟度は桁違いになる。

好きこそものの上手なれ

少数派ならレア度も高くなる。それが好きな事なら習熟も速く努力も僅かで済む。好きで数回試して感覚が掴めた人と、苦手意識が前面にあって全拒否して一度も試したことも無い人じゃ、その戦力差は桁違い。

肝心なときに何もできない人と、同じ状況下で焦らずサラッと対処してしまう人とではどっちが格好良いかは比べるまでも無く。
トラブルに首を突っ込む人ほどチャンスは多く。トラブルから全て逃げまくる人は賢くはあるが、逃げられない状況を想定しているのか疑問。

備えあれば憂いなし

大勢が出来ることは他の人に任せれば良い。自分にしかできない事が多ければ多い程に個人の価値は上がる。

趣味が無い人って居るんだと思うけど、自分には感覚的に理解できない。無趣味って生きてて何が楽しいのだろうという疑問のほうが大きい。
無趣味の人にオラがどう映るのかも分からない。敢えてレアスキルだけ伸ばしているオラは変人だろうという自覚はあるけど、それがその場でオラにしかできないなら一人勝ちでもある。

一発逆転としてはこっちのほうが面白いかと。博打は嫌いだけど、オラのレアスキルが大当たりする保証は無くとも、もしもの時の備えとして持ってるだけで、普段の余裕は人より大きいかと。

余裕は自身に繋がり、ピンチはピンチですら無くなる。それはきっと愉快かと思う。愉快って事は逆境で笑って要られる訳で、攻撃者にとっては結構不気味かと。それによって有利に立ち回れる場合を考えたら愉快痛快でもある。

全くノーダメージって事は無くとも、少なくとも精神的にも肉体的にも刺激は発生するだろうし、刺激ってのは精神も肉体も揺さぶられる訳で、それは経験値であり、今後の糧になる。積極的に関わるってのは次のシーンの敷居が低くなることでもある。

逃げ回ってるよりも多くの経験値を得られるのは確かだ。それにレアケースの刺激ってのはより大きな経験値が入るので、失う以上のものは得られる事も多い。

非日常による刺激を受け続けると、非日常のシーンにぶつかっても動じないようになって、より大きな刺激にしか精神が揺さぶられなくなる。人間ってのはそんなもの。

刺激を避けるのも人。
刺激を求めるのも人。
危険を避けるのも人。
危険に関わるのも人。
逆境に潰れるのも人。
逆境を楽しむのも人。
機会を逃すのも人。
機会を受け入れるのも人。
面倒を避けるのも人。
面倒を背負い込むのも人。

何もしないのも人で、何かをし続けないと落ち着かないのも人だ。
暇って何もしない時間であるが、暇が無いほど落ち着かない人も居る。

何もしない事で得られることもあるのは知っているし、何もしない事で得られないものもある。

選ぶのは自分で、選ばないのも自分だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿