あおもりくまブログアクセスカウンター

2010年11月24日水曜日

うたかた(詩片)

友達に薦められて見たものの、なんだこのショートなツインの青緑色の髪のまるで「初音ミク」みたいな女子は!?・・・とか思ってしまった。
話の内容はどうでもいいとして、途中から話が暗くなる・・・最後はハッピーエンドでもない。
うーん、12個の石と12人のジン(精霊)で12話完結。

12人のジンの目を通して見た人間の世界を主人公がどう感じるか。
最後に自分が死ぬか、自分以外の全員が死ぬかを選択するように強要される。
結果は「どちらも選べない」ではなく、「どちらも選ばない」ということで終わる。
理不尽な質問と言ったら理不尽過ぎる質問。
自分がその立場に立ったら・・・

( ´(Д)`)っ─┛~~~ 「人間全員をクマかカラスにしてくれ」

とか言ってしまいそうな気がする。
理由はこうだ。
一般的に関わりたくないであろうクマとかカラスの立場になったら、果たして「嫌っている立場の者」は、自分がソレそのものになったらどう思うか・・・
人間というものは、自分がその立場にならないと考えないからな・・・

ああ、ちなみに・・・ニホンザルにだけは絶対に生まれ変わりたくない。

2010年11月21日日曜日

忍者ホームページ

これが日常的に。しかも頻繁に発生する。

エラー: 接続タイムアウト
エラー: ファイルの転送が失敗しました
状態: aomorikuma.ninpou.jp のアドレスを解決しています
状態: 125.100.100.18:21 に接続しています...
状態: 接続が確立されました, ウェルカム メッセージを待っています...

これは流石に使えないなぁ・・・

2010年11月19日金曜日

あおもりくまでーたべーす

消失したiswebライトの引越し先を忍者ホームページにしてみた。

難点としては1MB程度のファイルの転送で接続が切れるということ。
決めたポイントは要領無制限であることだが、これは申請したときに通れば100MBずつ増えるということ。
必ずしも無制限ではない。

ただ、オラの提供する情報は希少性が重視されるので、世間一般の人の情報とはちょいと方向性が違う。
これを前面に押し出して作り続ければきっと継続できると思う。
なにせ容量が無制限。オラがやりたいことに制限がない。
まったく制限がないかと言えば、それは嘘になるが、一番のネックは3MB以上のファイル転送ができないってことかな?
そのおかげで転送できないファイルが2つあった。
1.2MBのKompoZerマニュアル。6.7MBのComposerマニュアル。
それと、一部のファイルで半角大文字英字ファイルが転送を失敗している。

うーん、これは今後検証してみてだめならまた引越しだろうな。
有料サーバーに乗り換えてファイル制限を取り払いたいのだが、支払い方法にWebマネーなどが無ければ苦しい。

2010年11月10日水曜日

あおもりくまの何にもね~よ!?

オラのメインサイトであるインフォシークのiswebライトが閉鎖しました。

父の他界でサイトの移転もしばらく先になりそうです。

インフォシークについては日本でも初期のSNSであるインフォシークプロフィールの閉鎖に始まり、楽天が買収してからろくなことがありません。

あの最高の運営体制。1ファイルあたりの容量制限やファイルタイプ制限が無い汎用性の高さ。
CGIも使える自由度の高さ。大量アクセスにも耐える大域の広さ。

残念です。

父が他界

11/2 午前5:26

一七日を月曜(8日)に迎えて一段落しました。

役所や保険会社への手続きで昨日まで忙殺の毎日でありました。

2010年10月26日火曜日

エヴァンジェリスタ・トリチェリ Evangelista Torricelli,

青森市議会議員選挙

今日、投票のハガキが来た。
遅すぎるんじゃい馬鹿!
投票日は31日じゃんか。
今日は26日だぞ?

行けるわけ無いぢゃんか・・・
週末は実家に帰らなきゃならんし。
ギリギリ間に合うかどうか分からない。
それに勤務先から近い期日前投票所が無い。
投票に行こう!とか言う割りに投票できる環境が劣悪過ぎるよな。
いい加減にネット投票でも始めろってーの。
時代遅れも甚だしいわ。

初雪が降る

今日は朝から蕁麻疹が活発になってて、15時頃に同僚と「なんぼさびーんず?雪降るんじゃね?」とか話をしてた。

予想が的中し、会社を出た2秒後にアラレがバラバラ落ちてきた。
車までダッシュ!するも、10秒で雨に変わる。

ベイブリッジを降りきったところでまたもアラレがバラバラと落ちてくる。
推らく月末のガソリンスタンドは激混みだろうて・・・

2010年10月24日日曜日

今日は二日酔いで目がさめた

昨日は会社の歓迎会に出て、最初からビールを中ジョッキでガブ飲み。
久々のビールは旨かった。
昨日の記憶はあるものの、玄関を入ってからの記憶が無い。
急いでサイフや鍵の所在を確認して一安心。

その後は洗濯物。
オラは香料入りの洗剤で蕁麻疹が悪化するので無添加の高価な物を使っている。
洗濯をしていると(o゚θ゚o)が1羽降りてきて、コメクレチュンと言う。
次いでハシボソさんが登場。真正面に立って背筋を伸ばし、「さぁ、来てやったぞ!」な態度。Aボスのオスだな。これは。
そしてハシブトが登場。オラの目線の高さの階段に着地して顔を覗き込んでいる。ああ、黒い三年生さんですか。
他のブトも「オレにも!」てな感じで寄ってくる。

さて、頭髪が邪魔なので近所の美容院に。
でも、その前に・・・蕁麻疹が痒いので液体の痒み止めを買いに行く。
しってるかな?虫刺され用のムヒとかでも効くんだよ。
で、美容院で短めにカット。
次いで給油。
腹が減ったのですき家にでも行こうと思ったが混んでたのでコンビニで買って済ませる。
肌寒いけど外で海を眺めながら食う。
カラスが遠くからこっちを見ているがあくまでも他人のふり。

帰ってから洗濯の続き。
ビデオを見てゴロゴロ・・・ゴロゴロ・・・

(;´(Д)`)=3 つまんねぇ・・・

2010年10月20日水曜日

ガンの告知

父親が末期がんであることを今日、知ったわけで。
もはや自業自得を通り越して、今までのツケが万倍になって返って来た。
父親は静かに受け止めたようだ。

オラはガンや血管の病気になる確率なんてものは数%しかないと思ってる。
根拠の無い自信ではなく、普段から心がけて最低限の健康を維持するように努めているから。
タバコは止められないが、酒はまず数ヶ月単位で飲まないなんて普通。
肝臓への負担を抑えている。
食事も量をだいぶ減らしてる。どうせ消費しない分は贅肉になるんだし。
あとは酵素などを多めに摂らねばなるまい。

それでもガンになるとすればタバコだろうな。
つまり肺ガンだろう。
もうね、やめればいいのにって思うのだが、依存症だからしょうがない。
それでも以前より本数は減ってるし、以前よりはかなり呼吸とかも楽だね。

それでもガンになったら医者には真っ先に告知して欲しいと思うのだ。

2010年10月19日火曜日

男が歳を取ると

父親を見ているとオラもああなるのかな?とか思うようになる。

頑固とかそういうものではない。
なんていうのかな・・・体が言うことを聞かなくなってくるということに腹が立つんだろうな。
耳が遠くなるから声も大きくなるんだろうし、目も見えにくくなるから選ぶのに時間が掛かったり。
で、人の声は聞き取りにくくなる上に、活舌が悪くなるものだから何度も聞きなおすと怒り出すとか。

オラは人の声を聞き取りづらいというか、ある程度の音量があれば別だけど、特定の周波数の声を聞き取れない。というのも、その人は話すときも腹式呼吸していないので語尾が聞き取れないのだ。
息を吐いたついでに喋ってるような人というのは無線で話すときも後半が聞き取りにくい。
音であればかなり敏感なのでどの周波数帯も音として認識はできる。
たとえ言語として聞き取れない周波数であっても、何かを言ったであろうことは聞き取れるのだ。

人間ってのは複雑な言語を操ってコミュニケートする生き物だから、相手に言葉が正しくインプットされなければ言語として認識できない。
慣れによるものもあるだろう。例えば方言などがそうだ。
正しい津軽弁であればオラは認識できるが、MAST東北のような偽津軽弁だと聞き取れない。
いなかっぺい氏のような正しい津軽弁で正しい発音と一定量の音量があればマシンガンのようなトークでも聞き取れる。
この違いのようなものだ。

歳を取ると入れ歯になったり舌が回らなくなるのでハッキリとした発音ができなくなる人も居る。
そりゃ、オラの父親よりも高齢でも声がでかくてハッキリとした口調の津軽弁を放つ人も居る。
これは普段、どれだけ他人と会話をしているかによって劣化の進行が違ってくると思うのだ。
歳を取れば体力的な目安の筋肉も落ちるが、会話をしないことによって口の周辺の筋肉の老化も早まると思う。
ダレとでもいいから他の人と話すというのは大事である。

最近、オラも視力が低下してきた。
聴力は問題ないもののオラもいづれああなるのかと思えば、今からでも鍛えておかなければならないだろうな。



2010年10月16日土曜日

蕁麻疹と洗濯用洗剤

選択用の洗剤には香料が入っている。

オラはこの嘘くさい香料が大嫌いだ。
夏の間は汗をかくからという理由で多少の香料入り洗剤を使用しているが、蕁麻疹のこの季節には、この香料で具合が悪くなる。
香料がいつまでも残っていることで洗剤が落ちきれていないのではないかという錯覚さえある。
しかも、香料入りの洗剤で洗った下着を着用すると下着が触れている部分に蕁麻疹ができてしまうのだ。
つまり、化学物質によるアレルギーである。
安いリキッド洗剤は198円とか298円で1Lが買えるが、無香料・無添加潜在は450円くらいする。
香料だけ要らないのに随分と高い。
洗剤メーカーは、香料を添加しないだけのアレルギー体質用洗濯用洗剤を販売してほしい。
これはアトピーや蕁麻疹、湿疹が出やすい敏感な人間にとっては死活問題である。
香料は要らないし、柔軟剤も要らないのだ。
フワフワしているよりもサラサラしているほうが心地よいし、チチクチクしない。

あと、これからの季節は洗濯物が乾きにくい。
洗濯物が早く乾く洗剤があれば画期的だと思うけどね。

ゴボウと豚肉の煮付け

秋から冬の味覚、青森県産のゴボウが出回り始める。

蕁麻疹に効く食材は何かという研究の一環としてゴボウに着目してみた。
太いゴボウ1本と豚肉200gを購入。
手首を返しながらゴボウを包丁でエンピツを削るように削いでいく。
大き目のフライパンに敷き詰められたゴボウのアクを取らずにそのまま煮る。
火が通ったところで豚肉を投入。
20分ほど弱火で煮ながら頃合を見て日本酒と蕎麦つゆを投入。
あとは日と煮立ちさせてから火を止めて放置。
煮汁を薄めて炊き込みご飯風にメシを炊き上げる。
ドンブリに盛ったご飯の上にさっきの煮つけをトッピングする。
たったこれだけで凄く旨いメシのできあがりだ。

旨いものを食べるために苦労したり高い金を払う必要などオラには無い。
スーパーに行ったら旬の食材を買ってきて、シンプルに頂く。
これほど良いことは無い。

最近は蕁麻疹の悪化で何を食べても大量発生する。
今朝も起きたらボコボコに腫れてて外に出られない。

ためしにゴボウの切れ端を蕁麻疹の発生箇所に押し当てて汁を摺りこんでみる。
1時間ほどで腫れが引いて、その後は赤い痕も消えてきた。
汁を塗った部分に痒みも無い。
汁を塗った部分と塗らない部分の違いは一目瞭然。
何が有効成分なのか全く不明であるが、今度は大根おろしの汁で試してみよう。
ただ、大根の値段がアホみたいに高いので、買うには躊躇してしまうのだが・・・

思うのだが、秋の蕁麻疹に効くのは、秋の野菜だと思うのよ。
しかも根菜類が特に体質改善に効果があるかもしれない。
今回は特にアクの強いゴボウをチョイスしてみたが、辛味のある大根も期待している。

今しがた腹いっぱいゴボウメシを食ったのだが、どんどん蕁麻疹が減ってきている。

2010年10月13日水曜日

一晩経って落ち着いた

死を迎えるとき、普通は病気もせずに苦しまず老衰でポックリが望ましいと思う人が多いだろう。
オラもそうだし、母もそうだ。推らく姉もそうだろう。父はわからんけど・・・

こうして父が末期がんで生存率10%以下ともなると、人の死について改めて最良の状態を考えさせられる。
母方の婆さんは胃癌で苦しんで死んだ。
痛い!痛いー!と言って死んだ。苦しかったのだろう。痛みは他人には分からないものだからどれだけ苦しんだのか想像もできない。
ああいう死の間際というものは見ていてどうすることもできない無力感と、可能なら痛みを半分でも背負いたいと思うものである。

誰も望まずしてそういう最後を迎える父なのだが、オラも母も互いに「苦しむならさっさと楽にしてくれ」ということにしている。中でも死んでいるのか生きているのか分からないこん睡状態というか、植物状態というのか、機械に繋がれて延命されている状態は望んでいない。

看病する側も、看病される側も生活に影響を与える。縛り縛られという関係は望まない。
下の世話なんかはする側もされる側も相当の覚悟が要るのだ。
父の病気の悪化は全て父の意思による結果であり、誰にも責任など無い。
自分の体の具合など他人が心配したところで分かるわけでもなく、痛みは本人が一番分かっているからだ。

痛みが痛みとして存在し、その痛みをどすることもできない場合は、傍に居てくれるだけで痛みが和らぐ関係が望ましい。そもそも病気と闘う意思というものは、奇跡すら起こすもので、本人が諦めていたり、直そうという意思がなければ奇跡も起きない。
そもそも、気力は体力に左右され、体力も気力に左右されるものだからだ。

2010年10月12日火曜日

父が末期の胃癌という知らせ

夕刻、姉から電話。「お父さんの事なんだけど・・・」

・・・なんだべ?(というか、良くない話に決まってる・・・もしかして死んだか?)

姉「お父さんさ・・・末期の胃癌だって・・・」
オラ「ああ、そう・・・ふーん・・・」
(姉から母に電話が代わる)
母「○○(名前)、お父さんさ、入院ついでに病院さ無理やり検査させだっきゃ、末期癌だってわがったのさ・・・」
オラ「ふーん・・・まぁ、仕方ねーべ。」

オラのオトタンは今の慢性腎不全になったときも死にそうになるまで病院に行くのを拒んだ。
そして、週に3度の透析と、何度か入退院を繰り返して今に至る。

死にそうになったときも救急車を呼ぶのを拒み、タクシーで病院に行くのも拒み、母の言葉も聞かず「大丈夫!何とも無い!うるせーじゃ!ぜってー行かない!、救急車呼んでみろ!許さねーぞ!」と言い張ってきた。母はいつでも出られるようにと、普段着で寝る日が何度も続いたという。

その間にも精密検査を薦めていたのだが、それも拒み続け、とうとう入院ついでに無理やりさせた精密検査。
胃の一部の細胞を摘出して検査したところガン細胞を発見。既に末期がんであった。

父の病気の責任は父にある。

慢性腎不全の原因を作ったのも生活態度にあるからして自業自得。
父の家系の遺伝子は顕著で、父の父と母は脳溢血。だから父も漏れなく高血圧だった。
末期になるまで癌を発見できなかったのも、検査を拒否し続けた本人にあるため自業自得。
そもそも血液が不健康なんだからどんな病気を誘発しても不思議ではなかった。
全ては血液なのだ。血液が病気になると内臓が病気になる。
肝臓か腎臓が病気になると、そのもう一方が病気になる。
毒素を分解する肝臓と、毒素を濾過して排出する腎臓のどっちかが悪くなるともうひとつも悪くなる。

( ´(Д)`)y━~~~ ふぅ・・・オラぁ血液サラサラだーしよー・・・水分をしっかりとって、しっかり出す。

子供のときから「父方の家系は「あだり(脳溢血)」で、母方の家系はガンだからよー」とか言われてりゃ、嫌でも意識の根底には健康願望が根付くわな。
自分の体の異変には敏感だし、幼少のときの病弱・貧弱・軟弱・本の虫から一変して、アクティブ・剛健・熊野郎になったのも、視力を維持し続けたのも、可能な限り自己治癒能力で怪我を治したり最低限の健康レベルを保ったのも「おやんずあだりに、おっかぁガン」という家系だからだ。

父の末期がんに、姉も母も「仕方が無いよな」という感じで、オラもそれと同じ。
母も姉もオラも考え方が似ている。
それぞれが自己責任と自業自得については同じような考え方である。

我慢できないような痛みについては病院に行くのが当たり前であり、検査してもらうのが普通であり、いま抱えている各自の持病やら問題についてはそれぞれが互いにお節介焼きたがるものの、自分の健康は自分で守るものと言い張るところがある。それに頼るところは頼り、自分のことはできる限りのことをするという建前があるからだ。

だが、父は違うのだ。とにかく面倒くさがりである。
死ぬほど苦しくても、全く食えなくなるほど具合が悪くなっても病院に行きたがらない。
我慢したがる。それこそ手遅れ一歩手前まで我慢するというか、死んでもいいと思っているのか死ぬほどの病気でも病院に行きたがらない。
それこそ毎度のごとくどうしようもなくなってから病院に行くのである。
普通なら我慢強いと言うところであるが、そうではない。
死んでしまうよりも病院に行くほうが面倒くさいのである。
推らく死ぬのも面倒くさいのだろう。
でも、死ぬのが面倒くさくても余命はそんなに長くは無い。
慢性腎不全で未定の死刑宣告された上に、末期がんで時計は早まった。
末期がんの宣告は近日中に医師から行われる。

散々検査を薦めてきた母が父に宣告すると喧嘩になること間違いないし、散々検査を薦めてきた母に、散々検査を拒否してきた父が何も言える訳が無い。
それでも父は母を責めるであろうことは間違いないから、母からではなく医師から宣告してもらうことで合意した。
推らく、母から父に宣告したところで「だから何よ!何が言いてーのよ!」と言われるに違いない。
それならば、医師から言ってもらう方が事実と現実を把握できるであろう。
オラも母も姉も父の性格が理解不能であるからして、宣告を受けた父がどういう態度に出るのか想像もできない。

現実を現実として受け止めず逃げて、自分のことを全て他人任せにしてきた父になんという言葉をかけたら良いのか分からないというのが正直な気持ちである。

それでも、オラは父から幼少頃に父親らしいことを多分にしてもらった恩はある。
オラが職場復帰して給料が満額支給になってから父にもおこづかいをあげている。
母にはその数倍あげているのだが、母に上げても生活費の充填に使ってしまうのだからこれは生活費。これはおこづかい・・・と分けてあげるしかない。父は貰ったお金は全て小遣いだし。
父に何をあげるにしても何が欲しいかと言えばモノではないらしい。
自由に使える金があるという楽しみしか無いからだ。
趣味がパチンコとマージャンしか無いのだからオラ的には趣味とはいえない。
モノをあげるよりもお金のほうが本人が好きに使えて良いからだ。
本人もそれで満足なのだから。

とりあえず、いま、父が何を欲しがるのかと考えれば、入院中はとにかくヒマだってことだけ。
それならワンセグTVでいいんじゃないかと。

催涙スプレー:女が区役所でまく 職員5人搬送 横浜

なんかさ、生活保護課で犯行に及んだってことは生活保護絡みだよな。
どうせ、働きたく無いから働かないで居たら生活保護を打ち切られて逆切れしたんじゃないかと想像できる。

生活保護ってのはさぁ、今の時代に合った形態に見直すべきなんだよな。

Firefoxが消える!?

いやいや、動物のFirefox(レッサーパンダ)のことですよ。
何でもニュースによると国内の半数の固体が血縁関係にあり、近親交配で繁殖が困難になるとか。
んじゃぁ、新しいのを輸入したらよかんべ?・・・ところが、輸入できないそうなんですよ。

精子を輸入するか、クローンか・・・手立ては少なそう。

めちゃんこハラヘタ

朝飯を近所のコンビニで買って、移動中にサンドイッチを食う。
途中で別のコンビニに寄って昼飯を買おうと思ったら忘れて会社に到着。
そのままオニギリを食らう。昼飯はカップメンかカロリーメイトだべな・・・と諦める。

メシを食っていると黒いのがお裾分けを希望してくる。
窓のギリギリから頭だけ覗いている。
今日は急いで出てきたから何も無い。
仕方が無いので後部座席の下から柿ピーを出して放り投げる。
ピーナッツでは食いつきが悪いのに柿の種は好きらしい。
カリカリと良い音を立てて食っている。

昼飯は無いのでカロリーメイトを2本とアセロラジュースのみ。

何とか仕事も終わり帰宅する。
Aボス夫婦(ハシボソ)が電線でお待ちかね。
ジャーキーを放ると降りてきて拾い、道路に持っていって足で抑えながら千切って食っている。
味も何も無い犬用のジャーキーのどこが旨いんだろう・・・

さて、メシを何にするか決めていない。
食べ物は無いこともないのだが、三連休を保存食で過ごしたので今更それを食いたくない。
こんなときに生卵でもあればソーメンで済ませても良いのだが、卵が無い。
個人的にいま一番食いたいのはカツどんだな。

(* ̄(冖) ̄) ジュル 

2010年10月8日金曜日

NHKがガサ入れを事前に漏らす

NHKやるなぁ。

もうね、NHK自体を潰した方が世の中のためだよ。
そして、放送局だけで組織した放送協会を作らなきゃならんですよ。

勝手に電波を垂れ流して、受信できる機器(この場合はTV)を所持しているから金を払えという893紛いの商売は許されるものではない。
放送協会を分解すると「放送」の「協会」だから、言い換えると「放送局の協会」とも解釈できる。
視聴者は協会の会員ではない。
会員でもないのに払わなきゃならない意味不明な現状。

農協は農家の協会。漁協は漁師の協会。
放送協会は放送局の協会ではないのか?

ある目的のため会員の協力で設立・運営される会。

会員になったつもりは無いのだよ。
こんな間違った協会なんて無くしたほうがいい。
こんな誤った考え方の集団だから今回のような倫理に欠いた事件を起こす。
オラはNHKを観ないからNHKが無くなっても全く困らない。
地デジTVはカードを挿入しなければNHKを受信できないような仕組みにできるはずだ。
デジタルなんだから、受信している放送局が信号で簡単に判別できる。
だからNHKが写らないTVなんて技術的にとても容易に作れるはず。
NHKに魅力が無い人はNHKを見なければそれで良し。
NHKが観たい人はNHKに金を払う。

これぞ正しい需要と供給。


2010年10月5日火曜日

列車にはねられて2歳児死亡 乗客250人にケガ人なし(愛媛)

乗客にけが人が無くて幸いだったが、2歳児は可愛そうだな。
親はもう既に散々悔いているとは思うが、2歳児に安全確認を求めるのは無理だから責任は親にある。
これから将来のある子供が親の不注意で死亡するという痛ましい事件だと思うが、子供が目を離した隙に大怪我や死亡するなど2歳児に限らず散々起きている。

楽しいはずのBBQや海水浴。目を離した隙に溺れて死亡する事故なぞ珍しくも無い。
道路でいきなり走り出して車に轢かれる事故もそうだ。
何が危ないとか、何をしたらいけないとかは学校任せにせず、親が子供に教えるもの。

散々危ない目に遭ってきたオラが、いまこうして生きているのも「千の小事で万の大事を回避する」という結果であり、それ相応の小事を経験しているからこそ、より多くの大事を回避できたともいえる。
経験こそ大事ではあるが、予備知識としての親の教育というのは経験値の少ない幼児には非常に大事なことだ。
子供に噛み砕いて教え、それを子供が理解しなければ知識にはならない。
「ダメでしょ!、危ないでしょ!」とか何がどうして危ないのか。何でそれが危ないのか。危ないが理解できなければ痛いでもいい。子供が成長に合わせて理解できる言葉で説明すればいい。
理解できて初めてそれが役に立つ。

危ないも、いけないも教える機会を失い、何が悪くて何がダメなのか分からない子供が徘徊する世の中。
自転車は左側。1列で走り道路に飛び出さない。夜はライトを点灯させ、2人乗りしない。雨の日は傘をさしたまま運転してはいけないし、ヘッドホンやプチホンで耳を塞いで走ってはいけない。
そんな当たり前のことを理解していない子供が悪いというのは表面上のもので、実際のところ、それが何で悪いのか教えない親が悪いのだ。

その結果起きるいかなる事象も、結果的に加害者は居るかもしれないが、その原因を作るのは親だ。
親は子供に正しい指針を示さなければならない。
子は親の鏡という言葉どおりで、親の顔が見たいというのは悪口でもなんでもない事実なのだ。