氷砂糖
先日、ちょっと郊外の商店(今はコンビニばかりで商店というものは少なくなったが)でビールを買うついでに何か珍しいものは無いかと店内を見回したときに1粒ずつ梱装された氷砂糖があった。
今の飴玉は昔と違って一粒ずつ梱装されているが、それと同じで氷砂糖を飴玉のように舐める人用という感じの商品。製造者は岐阜県の藤田屋と表示されている。
イマドキ、こんな商品を誰が買うんだ?って雰囲気バリバリの商品であったが逆に購買意欲をそそられて思わず1袋買ってしまった。
その日はちょっと山の方で屍肉を焼いて食うOFF会があったのだが、市内のスーパーや最寄のコンビニで買ったら飲むときには温くなってしまうのではないかと村落の商店でビールを買ったのだ。
まぁ、その前に2kmほど市内よりのコンビニで大量の氷を買ってはいたのだが、まぁ、こういった商店で何か買うというのも雰囲気的に悪くないわけで、機械的な返答しかしないコンビニより商店の方がオラは好きだ。
買った氷砂糖は夜中に口寂しいとき舐めようかと思ったのだが、いざ舐めてみると大して甘くない。むしろ普通に混ざりものである飴玉のほうが甘く感じるわけで、純粋な砂糖の結晶である氷砂糖そのものは甘いと感じるものの殆ど甘さを感じないくらい。
実際に混ざりものの飴玉よりは純度の高い砂糖である氷砂糖のほうが高カロリーであると思うのだが、よくよく考えたら砂糖ミルク入り缶コーヒー1本と比較してもその数分の一程度だろうし、純度が高い硬い砂糖の結晶だけあって、口の中で転がしてもなかなか溶けにくい。 しかもこの味気なさがまた昔っぽくて氷砂糖マイブームキター!という感じである。
こりゃちょっと疲れたときに舐めるには飴玉より氷砂糖のほうがいいんじゃないのか?って勘違いもしてしまう程で、何の味もしないただちょっとだけ甘いこの氷砂糖というものに何だかノスタルジックを感じるのだ。
それこそ脳内妄想はどんどん膨らんで、味の付いた飴玉が高かったとき、子供らは質より量って感じでこういったものを飴の代用として舐めていたのではないか・・・とか、勝手に想像してしまうのだ。
そう思ったら、これは昔懐かしい味に違いないとかどんどん妄想は膨らんで、昔の子供らが食ってた菓子って今でも売ってるんだろうか?とか。そういやホットケーキの素を単に丸めて油で揚げ砂糖をまぶして1個10円とか市民プールの近くで売ってたよなぁとか、今、コーラ飴(10個連なって1個は5円)あるんだべが?とか、あのkォインの形をした口の中に溶け残る安いチョコレートモドキはあるんだろうか?とか・・・オラの子供の時代は母親が子供の時よりはモノがあって、蛍光色の凄く毒々しい駄菓子を食ってたなぁ・・・とか、よくあんな不味くて体に悪そうなものを平気で飽きもせずに食ってたよなぁ・・・とか思い起こさせるのだ。
更にその心は昔に飛んで行って、駄菓子屋で1石トランジスタラジオを買ったよなぁとか、そういや輪ゴムで飛ばす飛行機とか指先をネパネパさせると煙が出るシートだの、水に溶けるスパイメモだの、珍しいだけで泡が殆ど出ない紙石鹸とか、銀弾鉄砲だの、パチンコ(Y字のゴムがついた小石やらかんしゃく玉を飛ばす武器)とか買ったし、休み時間に学校で水玉風船をぶつけ合ってパンツまでびしょ濡れになったよなぁとか思い出すのだ。
たった1袋105円。個別梱装の氷砂糖だけで昔々を妄想したり、こんなにも懐かしい昔に心が飛ぶってのはお得なもんだ。うんうん。