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2024年7月22日月曜日

物質としての価値と、物体としての価値、存在としての価値、用途としての価値

 ガラスも水晶(石英)も瑪瑙も玉髄も瑪瑙も舎利石もSiO2(二酸化ケイ素)が主成分である。

結晶構造や添加物(混合物)の違いはあれど、ほぼ同種の物質である。

それこそ、砕いて粉末にして熱して溶かして固めたら似たような物質になる。

 ガラスや水晶や瑪瑙や玉髄と瑪瑙や舎利石が違うのは生まれ方の違いであり、その結果の物体としての存在にしか過ぎない。ただ、見た目は違う。

この中で人工物はガラスである。溶かして固めたから着色は別としてほぼ同じ物体であり、材質としては均一なものである。水晶は六角形の分子構造で自然に結晶化すると六角錐になる。瑪瑙は縞があり玉髄には縞がないだけ。舎利石は空洞に充填された溶岩の中の二酸化ケイ素が成長したものである。自然界の中で舎利石だけは生まれ方がかなりレアであるのは確かだ。

水晶はハイテク機器には欠かせないもので、水晶発振子という電気を流した時に一定の信号を発する工業用の水晶がある。これは徹底して不純物を取り除き、特殊な炉で時間を掛けて均一に結晶化させたものが使用される。人工的な水晶の結晶でこれをスライスして使用する。天然の水晶は観賞用やお守りとしての価値は高いが、人工の水晶は人間の文明社会では欠かせない物体でもある。何に使われているかって?。時計やコンピューターの心臓部であり頭脳でもあるCPUだ。一定のリズムで発振することで時を刻みコンピューターの動作速度を決めている。

同じように木炭も煤(すす)も、石炭もカーボンナノチューブもダイヤモンドもほぼ炭素である。不純物の多いもの。純粋な炭素のもの。柔らかいもの。硬いもの。黒いもの。透明なもの。

炭素という成分でだけ見れば非常に安価な物質だが、ダイヤモンドだけは硬くて透明で価値は高い。また、ダイヤモンド自体も人工ダイヤモンド(工業用ダイヤモンド)は存在する。商品としての価値はだいぶ違う。人工のダイヤモンドよりも天然のダイヤモンドの価値は桁違いに高い。

まあ、このように同じものだが違うもの。違うものだが同じもの。似ているけど違うもの。似ていないものだけど本質は同じものとか比較することを考えるだけでも面白いわけで、倫理的にそれが許せない比較ってものもあるんだが、それは自分の中で検証してみると良い。

自分の中の疑問を自分の中で答えを考えるってのはかなり重要で、見た目が壊れているもの中身が壊れているもの。全く同じだが性能に大きいな差があるのは何故だろうとか、その原因は何だとか。壊れているものに価値があり、壊れていないものに価値がないとか、加工していないものに価値があるが、加工しないと価値が上がらないとかもだよね。

同時に、人に依ってその価値が変わるし、加工品に価値を見出す人が大多数でも、未加工品の方が価値が高いという人も居るわけだ。同じように見た目だけで中身は劣悪で、見た目は悪いが品質に全く問題がないというものだってあるし、未加工品のほうが好まれる場合もある。

ま、こういうのを考えるとキリがないんだけどね。少なくともある程度の答えを自分で導き出して整理して記憶しておくことで、必要になった時に即決即断できるからやっとけという話でもある。

物が高いか安いかなんてものも、人によって異なるから、オラの価値観ではダイヤモンドは無価値だし、人工水晶は欲しいかな?と思う。ルビーやサファイアは同じコランダムで酸化アルミニウムであるが、青が好きなオラにはサファイヤの価値は高い。ずーっと安いアクアマリンは宝石の中ではオラ的に一番好きで天然の結晶はオラの中では一番でもある。

舎利石も自然のままでも良いという僧侶が居れば、均一で真球に近い不純物が少ない透明なものが良いという僧侶も居るし、乳白色が良いという僧侶も居る。だからオラが苦労して仕分けている訳だし、その仕分ける以前の採取の時点で、非常に採取が困難な極小粒まできっちり回収しているのはそういうこと。どれもこれも舎利石には違いない訳だけど、人に依っては見た目が重要な場合もあるし、素朴さが良いという人も居るのだ。




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