あおもりくまブログアクセスカウンター

2024年7月6日土曜日

最大効率の敵は恐怖

ある結果のために最大効率の手段が公開されているが、その手段が恥ずかしいのかやりたくないのか頑なにその手段を用いず、誰が見ている訳でもないのに恥ずかしがるとか意味わかんねーとかオラは思うのだ。


それが欲しいのだろう?。二束三文で売ってまでも。金になるからな。苦労して非効率な方法しか用いず、労力に見合わない値段設定をしてるのは本人だ。好きにしろと思うのだ。

ま、そいつらが恥ずかしいからやらないのは自由だが、オラが最大効率を実行してるのはオラの自由なのにジロジロと見てくるのが理解不能。

もしかして、オラの最大効率を真似るのが癪だからとかじゃ無いだろうな。好きに真似ればいいじゃんよ。禁止してないし、推奨してるぞ。

ま、オラはオラが好きでやってる事ってどれもこれも他人から見られて恥ずかしいという感覚なんぞ無い訳で、結果を最大にする為にできる事は何でも試す性格だ。

人目を気にしていては成功は成らず。

過去の偉人を見てみりゃ、偉大な人間ほど変人扱いされてた訳で、オラから見た普通の人って、人の目を気にして何もできない人。
つまり、オラが普通じゃないのはオラには普通で、オラ以外の普通の人は普通以上を恐れる人と規定できる。

人(他人)と違うと思われる事に恐怖を感じるのが普通の人で、人にどう思われても自分のする事に間違いは無いなら気にならないのは変人か偉人のどちらかだ。

ま、恐怖に耐性があるとか、人の目が気にならないオラは、多分、試みることに恐怖がないので、実演とか実践に於いて躊躇が無い。

それは繰り返すほど恐怖が麻痺する訳で、実際はその恐怖って実在しないと分かるし、思い込みが激しいから実行を恐れているだけと解る。

オラが持ってるユニークスキルって一般人から見たら根拠が不明とか理解不能とか、恐怖が勝って実行不可というものがあるのだろう。それって実行しない内はオラが見ているものも見えず、経験ができないから感覚共有が難しいということかな。

同じ目線にならないと同じものは見えないというのに。

世の中は無用な恐怖に溢れているなぁと思うよ。いや、有りもしない恐怖を理由に自分を正当化してるケースが多いというのが正しいのかもね。

0 件のコメント:

コメントを投稿