自衛官の採用達成率が51%なのか
【速報】自衛官の採用達成率が51%と過去最低に 若年人口の減少や企業の求人増加が影響 処遇改善や省力化など検討委発足
【速報】自衛官の採用達成率が51%と過去最低に 若年人口の減少や企業の求人増加が影響 処遇改善や省力化など検討委発足
質が悪いものは5本で150円。
焼肉店の倒産のニュースを見て、オラは思うのだ。肉が食えれば幸せというオラにしてみれば、廃棄される年老いた乳牛の硬い肉でも全然構わない。
寝不足でも寝すぎても早死するってニュース記事があったな。
ま、理屈は解るが個人差ってものがあるだろうし、オラは寝過ぎな日もあるよ。寝不足な日もあるが少なくとも寝不足による生産性の低下は理解しているつもり。そして寝過ぎは別に悪でも無くて状況によっては溜まり過ぎた負荷や劣化を修復する為に必要な行為とも思っている。
寝不足についても時と場合に依る。連続すると負荷に繋がるのでそれはいづれ生命の危険にまで至ると思う。ただ、睡眠の質が良くて、本人がそれで寝不足と感じていなければ問題ないのではないかと。要するに睡眠は脳が要求しているものだからな。脳と相談しろって話だ。
あと、体質というものもあるだろう。
健康診断なんかでも毎年思うんだけどね。多様性を認めろって割に、その基準値ってのが誰を基準にしてるんじゃいボケ!と言いたいことはある。
人間は老いるものだし、年代に依ってはそれって良い数値なんじゃないの?ってものも多い。いつまでも20代30代な数値を50代や60代で維持できるわけねーだろ!的な。
数値的に健康そうな人が居るとする。ガリガリで筋肉も無ければ青白くて一見すると不健康。多分、殴られたら死ぬなって感じの。
逆に太ってるけど筋肉量が物凄くて数値的には半分近くが基準値を上回ってる。でもアクティブで趣味も多いし外で遊ぶ事が多い。殺しても死ななさそう。
どっちが健康だろう?。
健康で平均的な数値で健診の結果も良好。毎年きちんとワクチンを打ってる。でも、新型コロナで重症化したり死亡するひと。
逆に、数値的には持病もあるし良くはないし、見た目がかなり健康そうだけど数値的には不健康。インフルエンザにも新型コロナにも感染せず、ワクチンも一切打ってない。
どっちが生物的に強いのか。
平均とか健康って何だ?
時事ネタも加えるとアレだな。
クマパンチ1発で死にそうな健康な人。
クマが初見で逃げるクマ野郎(数値が良くもないが最悪でもない隠れ筋肉ダルマ)。
どっちが生物として最凶なのか。
健康で長生きするけど物理に弱いか、数値は良くないけど物理に強いか。
最近じゃ車が大破しても怪我らしき怪我をしていないクマ野郎という肩書が・・・
専門家が居ないので個人研究も認められないという事実もあるのだ。
だいぶ前に言われたことではあるが。
でもってオラが言いたいことは単純明快。
特定の現象に基づいてそれが理に適っていて、検証の価値があると判断されたものって「一説として有り得る」という見方もある。
例としては壮大なスケールになるが、宇宙に関しては人類はまだまだ全容を把握していないし、説そのものをとりあえず「あるかも」と仮定して、それを証明しようとするのが一般的だ。
でも、身近な植物ですら研究者が居ないからと無下に排除してしまうのでは、その仮説を残すこと無く無かったこと(差し戻し)にするわけで、検証の予知もない。そんなのかなり乱暴な話である。
オラが一般的ではないカテゴリに於いて結構な観察結果、実証実験、作業効率向上、性能の向上、効率の最大化に持論があるのはここを大昔から見てる人は知っていると思うし、事実、それでなにかヒントを得て役に立ってることも少なくない。
オラはネットから得た情報を非常に有り難いものとして参考にしている。でもってオラの専門の範囲ではオラはネットに情報を上げて、間接的にネットという情報の倉庫に恩送りをしているのも事実だ。無論、アマチュア的意見としての思いつきも含めて実用性のあるものも生み出している。
その実績は知っているひとだけ知っていれば良いと思う。別にオラが好きでやってる事なので、それに対するお礼を強制するつもりもない。自慰行為と言われようとも、情報というものは多く存在していて、その中から自分の欲しい情報を得るためのヒントである。多ければ多いほどにそれは答えを絞るには役立つのだ。たとえ間違っていても、逆のヒントを得ることにも繋がる。
考えるというのはそういうことだ。考えるって面白いよなぁ。
結局のところ、嘘を嘘と見抜く。間違いを間違いだと立証する。仮説は正解であるかもと検証することに意味がある。
感じ方なんぞ、その本人にしか分からないことであって、人に依っては賛同できても、人に依っては承諾しかねるものもあるのは当たり前。みんなが同じなら逆に気持ち悪い。オラはこんな性格だからなぁ。意見がぶつかっても人の話は聞くほうだし、都度都度途中で話を遮るアホには関わらない性格だ。
で、個人研究だけど。
いくつかの某サイトもここでは濁すが今のところ情報の質や量では日本一ではある。
正確性を保証するものではない。でも概ね合ってる。わかり難いものを比較的分かりやすくしたつもりである。それで助かってる人も居るし、気づけば日本で一番詳しいサイトとして評価はされている。
今後も幾つか作ろうという気にはなっているし、何かに気付いたらちょこちょこと作ろうとニヤニヤしているのも事実だ。ただ、誰が作ったというだけで評価が分かれるのだけは好かないので、作者不明にしとくのも面白いかなとかまたニヤニヤしている。
要するに、専門家なんて肩書が無ければ自由がない世界ってつまらないでしょ?って話。
専門家って言っても「自称」から「権威」までいっぱいあるわけだし、大した脳味噌が無くても専門職に居るだけで専門家として食っていける事実もあるでしょ。
江戸時代だっけ?。職業の自由がない時代に唯一、「医者だけが自由になれる職業」ってのがあって、本当の医者から自称の医者まで居たという話。アレは最近見たアニメで知った訳だが、それってまさに今でもあるよねって思ったよ。
一体、専門家って何だろうね?。趣味で極めたものが本職を上回るって結構当たり前に存在している訳だけど。少なくともISDNという低速回線からADSLという高速回線に代わりつつネットが普及し始めた頃からインターネットに巣食ってるオラとしては情報を発信し続けている訳で。良くも悪くも仮説が本当になったこともある。
「それでメシを食ってるから専門家」と「趣味はアマチュアなので却下」ってのは「Lv.1の専門家」と「Lv.99の趣味研究」を比べてるかも知れないってことに置き換えられる訳だ。
このネットの時代に、プロもアマも居ないと思わない時点で、プロ・アマを肩書だけで比較すべきじゃないとか思ってるのは間違いだろうか?。
ニュースをよく見よう。読もうというのは自分がその立場。当事者だったらどうするべきか考える機会を得るということで非常に有用な考える機会であるとオラは考えている。
いつか自分にも起きるかも知れない。自分の身に降りかかるかも知れない。自分が当事者になるかも知れない。自分の家族の身にも起きるかも知れない。
でも、逆に、所詮は他人事である。自分に限ってはあり得ない。まさか自分の家族に限って。その人は運が悪かっただけと考えるのは思考の放棄だと思う。こんなリアルな事案が報道されているのに、それを他人事で済ませるのは再発防止やリスク回避を放棄していると思う。
結果として類似案件は跡を絶たず、先程見たニュースサイトの一覧には水の事故が何個も並んでいて、いったい全体何がどうなったらこんなに類似案件が毎年発生しているんだと疑問に思う。やはりこれは他人事であると考えて、普段から自分や自分の家族には起こり得ないとか思っているからなのだろうと思う。
まずは根本から考えよう。
人間は水中では呼吸できない。人間は魚や海獣のように水中で移動できない。人間はいくら泳げてもいづれ溺れる生物である。人間は基本的に陸上生物である。
ここから導かれるリスク評価は、溺れる前提で行動しようということになる。次に溺れないようにするには何に気をつけるか。最後に、溺れそうになったらどうするか。これらをシミュレーションせずにリスクに対する行動を規定していない場合、人間は簡単に溺れるのだ。
人間は基本的に馬鹿じゃない。馬鹿なのは考えることをやめた人間のことを言うのであって、考える機会があれば自分の身を守るために何らかの防衛手段を講じる生き物だ。
でも何故、それをしないのか。なぜできないのか。
答えは簡単。面倒だから。楽な方に逃げる生き物だから。問題を先送りできるものはしてしまえと思っているから。
これを他人任せにできるのも人間ではある。自分ができないのならできる人に任せれば良い。それだけ自分は考えなくても良いし、努力をしなくて済む。あああ、楽ちんだ。
でも、四六時中、それを代わってやってくれる人が居るか。それを注意してくれる人は居るか。代わりに危険を排除してくれるかと言えば無理でしょ。その突然のリスクが対処できない人だけの場合、リスクを受け入れるしか無い。そこに待つのは怪我や死亡だ。
溺死の事故だけでも十分にデータはある。対処も回避もごく当たり前の範囲で、本人だけで回避は可能だ。それこぞ知識だけで回避できる事故である。
ここ最近騒がれている青森県内の動物騒ぎも十分に考える余裕のある事故ではある。
とりあえず普通の人は山での知識が欠如している。山の歩き方が間違っている。方向感覚が乏しい。周囲への警戒ができていない。手軽にリフレッシュできる場所だと勘違いしている。自分がクマに襲われる事はないと思い込んでいる。自分はまだ若いし体力は十分にあると軽く見ている。すぐに帰るから装備は軽装で非常食や携行品も不十分。自分はそこそこの経験もあり今まで事故や遭難の経験がないから大丈夫だ。とかね。
住宅地だから。市街地だから動物の脅威はないとか思っていても、動物が人間の住んでいる場所だから入ってはいけないとか理解できるとも思えないし、人間のルールを動物に押し付けても意味がないし、動物に人間の作った境界線が理解できるとも思えない。
何かを考える時に前提というものがある。それは誰にとっての前提であるかを考える余裕がないと、思い込みによってそれらを考える機会を失う。それが実は簡単でありそういった人間のルールが動物には通用しないということを前提にしていないと、事故というものは起きる。オラから見ればそういった事故は起こるべくして起こっているのであって、何故もクソも無い。
オマエは動物の味方か!とか言われそうだけど、オラは客観視しかしないので誰の味方でもないし、別に相手がカラスだろうとクマだろうと生物VS人間としか見てない。寧ろ考える事ができる人間のほうが上手であり、衝突を避けることもできるのは人間である。動物に対して別に敵対もしないし、襲ってくるなら受けて立つというスタンスしか無いので、オラ的には不干渉であり襲ってくるならぶっ殺すとしか考えてない。同時に、何らかのコミュニケーションを取ろうと思っている相手には寛容であり、多分、そういった意味で気配を上手く読んでる動物がオラには警戒心がゼロってのも事実だ。
普通のことはしないし、動物と何らかのチャンネルがあるし、知能が高い分だけ低い方の動物に譲歩するのは人間である自分がすることである。それで学ぶことも多いし、それには感謝もしているし、人間よりも価値が低いなんて思っても居ない。この空気を読めるのは人間よりも言葉の通じない寧ろ動物の方なんじゃないかと思ってるくらいだ。
ま、自称「変な人」な訳で、研究内容もライフワークなものばかり。モノゴトの真理に辿り着くのが先か、人間以外の生き物の心理を正しく読み解くのが先か。実はそんなのはあまり気にしていない。あるがままを、あるがままに。それをどのように理解するか。
先入観とか偏見とか持論があるのはしょうがない。だって人間だもの。ただ、認識というものは時代に依って変化するものであり、変わるものもあるし、逆に根底にあるものは変わらないものも多い。
一番の問題というのは、解りきっていることに対しての失敗が過去形にならずに現在進行系のままってことだね。100%防げる事案に対して学ばないというのは人間って意外と頭が悪いのでは?とか思ってしまう。
あ、違うか。生存本能が薄くなってるからつまらない事故や事件が途絶えないのかな?。
だって、一昔前じゃそんな凡ミスで事故死するなんて余り聞かないもの。でも、確実に世の中の理に無関心化しているし、当たり前のことなのに気付けない人は増えている。だからこそ世の中の事故や事件をせっかくネットで見られるのに、自分の興味のあるものしか見ないのであれば、お気楽すぎると思ってしまうのは変じゃないだろ?。
舞台は現代日本。
猟友会の高齢化によりハンターが不足。
市街地まで進出するクマ、イノシシ、シカ、サル。
農作物を荒らすアライグマやアナグマ。
生態系を破壊する特定外来種の生物たち。
それらを狩るハンターの日常を描いた作品を希望。
実際のところさ、このままではイカンと思うのよ。
銃を持つものが増えれば付随した事件も起きる。
何せ、資格を取るのもの許可を得るのも簡単だろう。
でも、日本に殆ど普及していない銃というものが日常的に溢れればそれを盗む者も現れるし、事件を起こす者も増えるってこと。せいぜい殺傷能力の低い範囲に限っての携帯許可が下りるものでないとね。
だから、基本的に打撃系の武器。銃には勝てない刀剣の類。弓矢やボウガン、スリングくらいまでは許可するべきかな。無論、それなりに審査は厳しくしないとね。
残るはアレだな。使役する動物。基本的に日本じゃ犬になるよね。
残るは自治体や警察、消防の要請に応じて出動し、対価を得られる組織とそこに所属する一般人。単純に冒険者ギルド的なものだよね。警察の下部組織って感じでも良いし。
加えて物価の上昇と給料の据え置きって点で副業は必須だよね。
年金はションボリだろうし、ハンターの収入は年金受給に影響しないというのであれば賛同者は多くなると思う。
人間側が本格的に動物の逆襲に対抗するとなると、動物が人間を恐れるようになる。
これが動物が人間のテリトリーへの侵入を抑止するわけで、これそのものに意味がある。
物語には当然、未経験者や資質のない者も多数参加するだろうし、それらが犠牲になるのは普通にあると思う。ただ、格闘や武術を部活動や習い事。趣味でやってる人間の中には適正者が多く居るはず。どの武道や武術が有利になるかは当然分かると思うけどね。
そういうストーリー展開もまた、その武道や武術に興味を持つ子供が増えれば日本の未来も明るいと思うぞ。何せ心得があるか無いかで人間の起こす事件なども減るからだ。少なくとも刃物持った馬鹿には負けることはない。
そういう話も途中に盛り込んだら良い。
位置的にはアレだろうな。日本では馴染の無い保安官のような仕事も兼ねる的な。現行犯逮捕的なものを代理執行できる人が増えれば、犯罪も減る。どこに居るか分からないということも犯人が事件を起こしにくい。
ま、動物が起こす事件以外にも日本に来て行方不明になっている外国人労働者が起こす果樹園や野菜泥棒。ソーラー発電所のケーブル泥棒。金属目当てでは標識泥棒もだね。とてもじゃないが警察には手が届きにくい範囲を趣味のついでに見回りできれば遭遇確率も上がる。
当然、一般人ではないので相手が何らかの武器を所持していてもボコれる。
そういった作品を誰か作ってちょんまげ。
運転をやめた高齢者は8倍の要介護リスク…精神科医・和田秀樹「認知症患者は危ない」は幻想と断言する理由
根本を理解していない。
事故を起こすのは年齢にも関係あるが、そもそもペダルを踏み間違えるほど運転が下手くそというだけで、それは若年ドライバーでも多いんだよね。老人の場合は程度が酷い事故に至ることが多くて、踏み間違えてもアクセルを踏み続けてしまうというやつ。
なので、高齢ドライバーから免許を取り上げる前に、免許を持つ資格がないほど運転が下手なドライバーを一層したほうが効果は高くてっとり早い。
プール小4死亡事故受け、高知市立の全60校で今季の水泳授業中止
生徒と先生が話し合うという手段は採れないのか。
先生の目が届かないのであれば、泳ぎの得意な生徒がライフセーバー的な役割を買って出るとかね。うちらの水泳の授業の記憶はないのだが、例えば学校での水泳の授業というのは泳げない生徒を無くすということでもあり、それはつまり水の事故を減らす役割でもある。
水泳の授業をやめるというのは、水の事故を増やすことになる。だから中止ではなく増やすほうが正しいと思う。
この一人が亡くなると全部やめる。全部取り壊すみたいな流れは公園の遊具に等しい。
言葉はキツイが、水泳の授業程度で溺れて亡くなるのは稀である。圧倒的少数であるにも関わらず、他の全員の権利を取り上げるのは馬鹿のすること。結局は誰も責任を取りたくないし、責任のある監視を保証できないし、責任ある監視をする気がないとも言いかえられる。
高知市の小学校に通う生徒が可愛そうだな。
ある結果のために最大効率の手段が公開されているが、その手段が恥ずかしいのかやりたくないのか頑なにその手段を用いず、誰が見ている訳でもないのに恥ずかしがるとか意味わかんねーとかオラは思うのだ。
今回の大荒れで総入れ替えと成れば良し。
精神的なストレスMAXで悶々としてるのでオモクソハメを外したいが予定も目的も相手もいない。
ハンター「足りない」「高齢化」半数以上に/青森県内市町村クマ対策
ハンター「狩る者」という意味では一緒だけどね。
世の中の矛盾としては「銃刀法」が面倒くさい。武器の所持で逮捕されるのに、自分の身を守る為の所持まで許されない。でもって、自分が人や動物に襲われたとき、常に武器を所持できないことに依って自分自身を守れない矛盾って感じだね。
人間を襲う者が日常化する時代に突入しつつある。
それが人間であるか、動物であるかの違い。そもそも襲う側が人間の場合は違法を承知で武器なんか持っちゃってるでしょうに、ソレに対して常に丸腰で居ろってのは自身の生命を守るための権利を侵害しているのではないかと思うのだよ。
何でも過ぎれば無理が生じる。規制したところで気狂いは武器を所持し、法律を守る側は丸腰で居ろってどんな罰ゲームだよ。包丁もナイフも草刈り鎌も何でもかんでも駄目。ツールなんてものは使う側のモラルに一任すべきだと思うけどね。流石に銃は危ないからな。
では、気狂いと大型の獣に対しての武器所持の限定的許可って駄目なの?って話。
オラは木刀または棒術の棒くらいあれば刃物持った気狂いも動物も牽制や撃退くらいは可能だよ。老いても剣道を長くやってきた経験や、その後に自己流ではあるものの体術も訓練している。これに棒切れの所持が加わればかなりのことができる。
ハンターを増やしたい自治体や警察。でも、銃の厳重保管という面倒は嫌だし、クマは怖いという人間しか居なく成った現状。山に分け入って周囲を警戒しつつ自分の身を守れて遭難もしない若い人間なんて居るのか?。
せいぜい山菜採りの上級者で体力があり、身体能力が高い人間じゃなきゃ無理。
ま、ここに1匹ほど居るけどね。
多分、銃も短時間で使えると思う。器用貧乏で基本的にやればできる子なもので。加えてクマと御対面しても平常心。それ以前にオラの五感は山じゃ常人のそれを超えてるからな。
気分で行先がコロコロ変わるのは目的を場所ではなく行動目標で決める辺りがオラと同じって意味で。
紙面の出没場所付近から半径数キロ~十数キロではどこでも同一個体の遭遇は有り得るし、或いは別の個体が出るかも知れない。そもそも、正確な数や個体数、位置がわかっていないし、調べる方法も無いわけで、定点カメラを付けて通過するクマの数を数えても同一個体が行ったり来たりすることもあるわけだ。
道路でナンバーを読み取るNシステムのようなシステムで、クマの体格や顔認証で同一個体をカウント1とするくらいのシステムが無いと意味がないし、逆にクマが歩きやすいように獣道を整備して、そこを通らせて数えるくらいの無駄な労力をしなければ生息数など数えることはできない。そういうAIカメラを開発したら社会に貢献できると思うけどね。
結局のところ何が言いたいのかと言えば、気にしてもしょうがないってこと。
一番重要なのは、出会った時にどのようにするかであって、出没場所には近づかないではない。何せ、市街地近くまで出てきているのだから、そこから移動可能な行動半径は市街地を含んでしまうということだ。
クマの通り道などニュースで散々やってるよね。盛岡あたりは北上川沿いに来るって言うし、「クマにとって通りやすいクマ視点での道」があるってことだよ。
そこから他の場所に行きたいクマは道路に出ることもあるし、下れば海に。登れば山に出るわけだ。で、またその時の考えでフラフラと彼方此方に行く。だから歩きスマホしている場合じゃないってことも言えるし、こんな場所にクマが居るわけ無いとか考えるのも迂闊過ぎる。
青森市の市街地でサルの目撃相次ぐ 商業施設から程近い場所でも
この糞サルは低い場所を移動していることから、カラスを警戒しての行動だと思われる。
弘前市樹木~桔梗野付近で目撃されたサルは電線を移動しており、カラスに威嚇されまくってたね。
今の時期はカラスの巣立ちの時期と重なっており、まだ上手に飛べないヒナを守るためにサルの接近を許さないと思う。
ちなみにニホンザルは雑食なので生の動物や鳥もムシャムシャ食ってしまう。
オラが見たのはスズメを食う合浦公園の檻の中のサル。
頭から「オレサマ、オマエ、マルカジリ」なのである。
ということで、ニュースで言ってる対処方法なんぞあてにならんので、とりあえず
とだけ言っておく。
怖がっている相手には調子こくのは襲ってくる可能性のある動物には共通。
これらには無理に攻撃を仕掛けてこない。
「目を逸らすな」も場合に依る。
相手が無関心を装っており、「関心がない=攻撃の意思がない」と意思表示しているのに凝視していると、自分に危害を加えようと狙っていると思われかねない。
何にしても状況など様々。よーく相手を観察して心を読んでの対処が重要であり、お約束の対応を信じて逆に襲われてもオラは知らんのである。
専門家とやらも馬鹿の一つ覚えのようなアドバイスをやめて、もう少し動物の状況に応じた対処法とやらを素人にも分かりやすく絵本にすると良い。
とは言っても・・・
基本的にクマと対面しても平然としているオラと一般の方々とでは、根本的に精神構造も動物的なコミュニケーション能力も肉体的優位性も場の空気を読むのもスキルも経験値も何もかも違い過ぎるので何とも言えん。
ごく普通以下の母が言うには、クマと出会った瞬間に「叫ぶ」か「気を失う」か「心臓が止まる」かもだとさ。山に熊が居るのは当たり前。