たったひとりの事故で市内の水泳の授業が全部中止ってやり過ぎにもほどがある。
プール小4死亡事故受け、高知市立の全60校で今季の水泳授業中止
生徒と先生が話し合うという手段は採れないのか。
先生の目が届かないのであれば、泳ぎの得意な生徒がライフセーバー的な役割を買って出るとかね。うちらの水泳の授業の記憶はないのだが、例えば学校での水泳の授業というのは泳げない生徒を無くすということでもあり、それはつまり水の事故を減らす役割でもある。
水泳の授業をやめるというのは、水の事故を増やすことになる。だから中止ではなく増やすほうが正しいと思う。
この一人が亡くなると全部やめる。全部取り壊すみたいな流れは公園の遊具に等しい。
言葉はキツイが、水泳の授業程度で溺れて亡くなるのは稀である。圧倒的少数であるにも関わらず、他の全員の権利を取り上げるのは馬鹿のすること。結局は誰も責任を取りたくないし、責任のある監視を保証できないし、責任ある監視をする気がないとも言いかえられる。
高知市の小学校に通う生徒が可愛そうだな。
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