2024年4月21日日曜日
2024年4月20日土曜日
2024年4月19日金曜日
医者なのにオーナー登録も知らんの?
グーグルマップでのウソや悪意ある口コミ投稿を放置 医師らがグーグル相手に集団提訴 東京地裁
オーナー登録して、ユーザーによる写真投稿やコメント欄などを使用不能にする。コメントに対してオーナーがコメントできるというのは有名な話。検索してオーナーの返信がある場所はそこそこある。編集時にオーナーですか?という表示が出ているので、そこからオーナー登録をする。
Googleローカルガイドに登録していれば済む話。Googleマップを見ているのであれば、登録して自分のビジネスの管理をすれば良いだけだ。いちいち削除申請して消してくれないとか文句いってるのでは対応が遅い。医者ほどの知能があってもITに弱い情報弱者のようだ。
ちなみに、その悪質なコメントをしていたりビジネスを閉業にしているのは「業者」と呼ばれる嘘の評価をコントロールしているGoogleローカルガイドであり、それらをGoogleは投稿の条件によって判断しているもその精度は非常に悪いため、例えば最高レベルの10に達しているオラでさえ誤爆でアカウント停止されたこともあるし、知り合いのGoogleマッップのモデレーターも何度かアカウントを停止されたこともある頭の悪い判定プログラムであるのは確かだ。
ま、分からないことはGoogleヘルプに聞けば良い。そこに居るモデレーターが何かアドバイスしてくれるさ。そのモデレーターは当然、Google社員ではないボランティアも多く含まれる。
2024年4月18日木曜日
最近、地震が多いな。
4月17日 23時14分ごろ、夜間の終業点呼やって仮眠を取ろうとしたらラジオから緊急地震速報がピロリロリン♪。
やはりネットや携帯電話よりも早いわな。さすが電波ー!電波バンザーイ!。
ま、TVをつけっぱなしで寝る家庭は少ないだろうけど、やはり環境雑音としてのラジオのつけっぱなしってのは眼を休めて耳だけ起きてる状態として最適。
人間が大昔にそこらの哺乳類のような生活をしていたとするのなら、やはり寝る時は目を閉じるが聞き耳は立ててると思うんだよ。そういう意味では耳ってのは起きっぱなしでも構わないのだろう。肝心なのは眼を休めるってことなんだと思う。
寝ているときに周囲の異常を感知するのは耳であったり臭いであったり、触覚だったり熱だったりするよね。寝るときに目を開けたまま寝るのは魚や昆虫くらいだろうし。
昆虫って寝るのかな?ってのはあるけど。ま、下等生物だと休めるということはするだろうけど寝るってのはあまりしないと思うけどね。渡り鳥やクジラの仲間みたいに脳味噌の半分ずつ寝るって技は無理だろうけど。犬猫や鳥って物音で簡単に起きるし。
ラジオをつけてない時もね、P波を体感で感じる時はある。瞬間的に速い何か衝撃波みたいなのが体を通過する感じ。同時に建物とか周りのものがミシっ!と音がする。何だろうね?あれ。何かよくわからない衝撃波みたいなものなのかね?。体というか心臓あたりにドクン!と来るんだよね。
2024年4月17日水曜日
大鰐町(おおわにまち)でワニ肉ホットドック(駄洒落商品)
青森・大鰐のカフェバーがワニ肉ホットドッグ販売 駄じゃれがアイデア
大鰐のワニって昔の日本では鮫(サメ)をワニって言ってたから、もしかして虹貝川(平川の支流)にサメが遡上したことでもあるんだろうか?。それともワニ型の怪異でも居たのだろうか。とにかく内陸に鰐(ワニ:サメ)って文字があるんだから、何かあったにちげーねー。
で、大鰐のキャラクターはワニ(クロコダイルなどの一般的なワニね)なんだけど、そのワニ肉でホットドックとかいう駄洒落商品を開発したっぽいニュース。
黄砂で雨が降りやすくなるとかある?
大気中の塵に水滴が集まって雨が降るわけだから、微粒子の黄砂が雲の中で水滴を集めて雨が降りやすくなるのだろうか?。
何か夜中に雷を伴う雨が降ったらしいが、点呼が切れたので仮眠を取ってる最中に降ったらしい。今朝はしっとりさわやかな朝である。
おっ、もうそんな季節か。今年も山菜採りの季節が到来。
山菜採り・行楽シーズンに向け 山火事防止パレードで呼びかけ 青森市
山菜採りの遭難者については毎年色んなことを思うんだ。
迷う人ほど対策をしていないし、クマに遭遇したときのことを想定していない。
人間は老いには勝てないけど老いを遅らせることは出来る訳で、冬の間に鈍った体でいきなり山に入る前に、まずは家の周りをスタスタと軽快に散歩することから始めれば良い。要するに足腰への命令を刷り込むことで転倒による滑落や躓きなどを予防できる。筋力もある程度戻せるし、春だ!山だ!山菜だ!うぇーい!・・・もう歩けないってことは無いでしょ。平地をまともに歩けない人間が山を歩けるわけがない。
別に奥まで入らなくても山菜は採れるんだよね。道路からせいぜい10~20mくらいでやめとけば良いのに、遭難する人ってさ数百~数キロも離れた場所で見つかってるんだよ。山に入る時は斜面を登り、道まで戻る時は下りの方が体力的には楽だよ。採った山菜の分だけ重くなるし荷物抱えての登坂は疲れる。疲れたら降りる。これを守れってこと。斜面を下って沢まで降りて山菜採って登ろうと思ったら登れないとか考え無しだ。
タケノコ採りって実は体力勝負なんだよね。高齢者にはかなりキツイんだよ。あと、方向音痴は連れていかない。そして自ら行かないことだ。死にに行くようなもの。どうしても行くならスマホ持ってる人にネットワーク接続が無くても見られる地図をインストールして、使い方を指導して、迷ったときに電話が通じるなら場所の報告ができるようにしたらいい。例のGoogleのアレなんかは、住所がなくてもピンポイントで自分の居場所を相手に伝えられる。ま、3Gなら電波が届くような場所でも4Gも5Gも電波が届かないってのはよくあることだ。携帯やスマホを持っていっても意味をなさないことを考慮すべきだね。ま、トランシーバーくらいは持ってようよ。できれば、山に入るときに救助に使うチャンネルとか地元警察が決めておけばいい。9chとか、h9chとかね。21chもあるから9とh9は山では救助用にしとけば良いって話よ。
クマに遭遇したとき。威嚇するな。様子を見ろ。相手に関心のないフリを見せろ。春のクマは腹ペコだから食われると思え。食われないためにできることは「コイツを襲ってもリスクが高い」と思わせることだ。つまり、クマと闘えるほどの肉体強化をしろ。それでクマは「できれば関わりたくないなー」と思うわけ。山ってのはクマのテリトリーだから、人間にクマが合わせるのは筋が違う。人間がクマに襲われたくなかったら人間がクマに対抗するしか無い。それができないなら山に行くなってことで話は終わり。
でも、今年もいっぱい遭難したりクマに襲われるんだろうな。学習能力がないよなぁ。
眼の前で女子が襲われそうなら助けてやっても良いけど、野郎は自分でなんとかしろ。
男だろ?。そのくらいやれないでどうする。北海道にはヒグマ相手に撃退した爺さんが居るんだ。ツキノワグマくらいはヒグマに比べたら大きな犬だよ犬。話ができず、襲われそうに成ったら威嚇返しするしかあるまい。
死ぬよりは大怪我で済むんだから全力の一撃をお見舞いしてやれ。それで他の人がそのクマに襲われる確率は下がる。人間は怖い。そう思わせられるだけ山菜よりは大きな収穫だべ。
弘前のナンバープレートは欲しいな
実家は弘前市だから、将来的には弘前ナンバーにはなるんだけどね。
モノクロ版を実家の近所の人が装着しているんだけど、かなりイカス!!!。
ちなみに青森ナンバーをねぶたの絵にしたら絶対に要らないってほどオラはねぶたが嫌いだ。
パチンカスは身を滅ぼす。
1円パチンコ台の玉を4円の台に移動して使用 青森市の男性自衛官を免職処分 現金7万5千円をだまし取った疑い
自衛隊が再教育もクソもあるまい。普通に個人のモラルの問題だ。責任は自衛隊にはないが、確かに自衛官の質を問われるとも言える。
が、ここ最近の自衛官の不祥事を見れば隊員のレベルが低いとしか言いようがない。自衛官も人間だからと言えるけど、やはり欲は身を滅ぼす。
ま、パチンコやる奴がどうなろうとどうでも良いことだけどね。
道路で寝ないでください
県道8号でトラックにはねられ会社員・男性(43)が死亡 警察がトラック運転手(24)に話を聴くなどして事故原因を調査
ま、朝の6時は十分な光量があるから路上落下物もハッキリと見えるし、馬鹿が脇見運転やスマホ操作。漫然運転。スピード超過でもしていない限り轢かないでしょ。
轢いたのは24歳か。後味悪いだろうけど、前方不注意は本人のやったことの責任としてしょうがいない。有罪に成っても不起訴になっても一生悔いが残るだろうけど、受け入れるしか無いでしょ。
車の運転に関する「絶対的な安全運転」ってのは性格に依るものが最大の要素。あとは過去の過ちと経験と「思いっきり納得行かない相手の過失だが、交通弱者というだけで一方的にこっちが悪くなった場合」に依る。いくら気をつけても視界に入っていない状態で猛スピードで突っ込んでくる相手はどうしようもない。法律をあのときに完璧に覚えていればこっちの過失割合をかなり低くできたのに!!!という悔しさがあってオラの100%避けてやる!!!がいまあるわけで。つまり、事故っても相手の過失100%がオラの運転姿勢なのよ。
加えて煽られる事はあってもこっちは隠れ筋肉ダルマである。軽バンからゴツいのが降りてきたら相手は逃げるしかあるまい。そもそも追い越した時点で前に割り込んで停めさせられ、文句を言ってくるようなアホも居ない。追い越したときにクマが運転してたらそのままスルーするしか相手に選択肢はない。運転に依るトラブルは体を鍛えることでも避けられるという事例だ。
暗視も然り。車内に無用なイルミネーションを点けていると外の様子が見えにくくなる。フロントガラス付近に物をいっぱい置いてたりぶら下げているクソド阿呆が居るけど、彼らは自分が誰かを轢き殺す要因を増やしていることに気づいていない知的障害者でもある。
走ってる車を見てみよう。運転している人の安全意識のレベルが判る。
ヘビくらい捕まえればいいのに。
東海道新幹線内でヘビ見つかる 体長38~40センチ 被害申告なし
何のヘビかは知らんけど、同定出来る人が居なかったということはヘビにも無関心か。
日本に居る代表的なヘビはアオダイショウ(無毒)、マムシ(有毒)、ヤマカガシ(有毒)が有名だね。マムシは尻尾を見れば直ぐに判るぞ。
アオダイショウは大人しいし手で持っても大丈夫だぞ。
騙すほうが悪いけど、騙される方も大概。
「詐欺広告は社会全体の脅威」、メタが声明 審査の難しさを弁明
はい、いつものことです。
馬鹿は損をするし、出費が嵩むということです。
貧乏なオラは金を無駄にしたくないので、かなり疑い深い方ですね。
無論、100%見切ることはできませんが、勝った商品が思ってたよりもしょぼいってのは過去に何度もありましたよ。
ただ、まあ、そういうチープなものって世の中には溢れているので買わなきゃ分からないし、逆に安すぎると商品を検索するなどして評価は調べるべきです。
いきなり信用して購入を決めちゃうってのは無思慮ですかね。
他人事。いつかは自分のこと。
3歳女児が死亡、53階建てタワマンのベランダから転落か 広島
親が馬鹿だと子供は早死する。
金を持ってる社会的勝ち組だけど、頭が足りなくて負け組。
この事故ってこれまで散々言われてきたことであって、今更とやかく対策を言うほどの事故ではないと思うが。単純に親が無関心過ぎて自分の子供を失ったってニュースです。
それに高い場所で育った子供は高さに依る恐怖感が薄いので落ちるから怖いという感覚が鈍くなるのですよ。これは常識です。
2024年4月16日火曜日
自然災害での犠牲者の捜索という人的リソース
自分なら助かっていないと思われるような状況なら捜索に割く人的リソースは撤収。捜索そのものを諦めて貰って構わない派である。無論、余力が出てきて後から見つかった場合にはそれなりに対処すれば良い。
オラは合理的主義者なので、亡くなった人の捜索よりも生き残った人への支援やこれからの生活への支援が最優先と思っている。オラが冷たい人間なのかどうかはこの際どうでも良い。亡くなった人間よりも支援が早急に必要な人間を死なせないための努力をしたら良いという考え方だ。
大規模な事故や災害。大火などが起きて負傷者が大勢出たとする。医者も最も急いで助けるべき人を選ぶ。要するにトリアージである。
例えば一人の重体患者を助けるべきか、2人に重症患者を助けるべきか。重体は意識もない相当にヤバイ状態一刻も早い処置が必要で、助かるかどうかは微妙。重症は大怪我で意識はあるが直ぐにも対処が必要な状態で、放置しても悪化するだけ。もしもオラが医者なら単純な足し算引き算を選ぶだろう。
本物の医者はどう選ぶのかね。数分後に死ぬかも知れない人と今助ければ生き残る確率がすごく高い人。
ここで考え方が冷たいか人情的かという問題を考えられる余裕というものは、平時でしか考えられないだろうということ。本物の災害というものは周りが瓦礫の山の怪我人だらけで地獄絵図のような状態だと思って良い。そこで平時のような施工ができるか。まず何を優先して何が出来るかということ。一人でも多くの人を助ける場合、助けるべき人を年令や性別で分けるということもあるだろう。老人よりも大人。大人よりも子供。乳幼児はどうかな。助けても自力で食事を摂ることも排泄の自己完結も難しい。人道的には助けるべきであろう。でも、市町村まるごと被災した場合には、消防や自衛隊が手を出せるのは手を出せる所からだ。自分の身内優先でお願いしますというわけには行かない。
高齢者よりも若い人を助けるのは合理的。瓦礫をどけるだけで擦り傷しかない軽症者を救助して、救助作業を手伝ってくれそうな人を増やすというのも合理的な考え方だ。後は後のことだ。最も効率を有効にする方法。最も合理的な考え方。それはその場になってみないと分からないことだし、普段から考えておけば、優先順位というものはその場でも考えることはできる。
ただ、多くの人は災害というものを普段からイメージしていることは少ない。いつも大災害が起きると後の祭りで過去の災害の教訓は活かされていない。それが世の中の常識であり、一般的な考え方だ。多くの人は自分が安全な居場所に居てアレコレ言うことはできるが、当事者になった時は放心状態になるか取り乱すか、合理的な考え方をできないだろう。
オラはとりあえず身内を優先するけど、実家に戻れないほどの被害を受けたら自分ができることからするだけ。周りを見て、まず何をすべきか考える。今回の能登半島地震では一部の重機を所有する人が素晴らしい活躍をしている。あれこそが自分ができることを最も理解して行動にでた結果だと思う。オラ個人としても褒め称えたい。
オラの生活は基本的に災害時でも不調をきたすことはない。過去の日記にも書いているが、オラは過去に一度ぶっ壊れているのでかなりドライだ。多分、眼の前が血だらけの怪我人だらけでも、死体だらけでも精神に異常をきたすことはないと思う。
出来ることはするが、できないことはしない。
パワー面でも人力でどうこうできるレベルは常人よりも範囲が広い。構造解析による瓦礫の効率的な撤去手順も見ただけで概ね把握できるので、その場で出来ることは多いからそれはオラが出来る範囲で全力を出すがそれに責任を負うつもりはない。
あくまでも手助けするけど結果に責任は負わない。後で文句を言うつもりであれば最初から手を貸さない。それに人にものを頼むという態度にも依るだろうね。気に入らなければ手助けしないというのは普通だ。仲の悪いご近所さんよりも、よく話すご近所さんを助けるのは普通である。見ていて何もしないということはない。たまたま気に入らないご近所さんに助けが必要なら、見ているだけよりも手を貸すくらいはする。無論、あとで感謝の意くらいは表してくれないと気分が悪いというのは普通の考えだろう。
オラはただ、できることをするだけ。
こういうのは感情的になると正しい判断ができなくなるからね。
逆に人間的な感情というものを殺せる方が冷静にものを見ることが出来る。血だらけの怪我人を見て泣きわめくだけの無能に比べたら、今何をすべきか考えを巡らせるほうが正しいし、工具を使わなくてもパワーだけでかなりの事ができるようにオラは普段から筋力を増強している。これが備えているってことだ。
今の生活が当たり前で、災害で自分の生活基盤を失い、家族が一刻も早い救出が必要なのに何もできない人間には成りたくないということ。眼の前で熊に襲われそうな人がいれば多分、反射的に熊に襲いかかるだろうことは想像できる。そこんところは動物的な条件反射で、コミュニケーションを求める動物には優しく、襲いかかろうとしている動物にはぶっ殺す!がオラのスタンスだ。こんな感じで何事も決めておいて、何事も今後は起こるものとして何が出来るかを考え、できないことは出来るようにすれば良いだけ。
普段の生活だけ考えている人間は、有事には弱い。そして有事になって無力感を感じるだけ。行政や国が何とかしてくれるとか期待が大きいほどに、実際の動きは遅く状況は逼迫しているのが実情だ。そう考えれば、そうなったときに備えるのは人間としては普通だと思う。昔の人間ほどそういった災害を乗り越える考え方は強いと思うが、現代では逆に珍しいのかも知れない。
普通って何だと考えたとき、普通って弱いなと思うよ。
オラが普通を嫌うわけはそういったことからなんだよね。
法の遵守の軽視 無車検・無保険・他人名義
余りの無関心さに一瞬脳が??????という状態になった。それって気にならないの?って思って呆れるというか、無関心にも程があるが、実際のところ、そういう人種も居るのだろうという事実だけが明るみに。というか、実際はこういうの少なくない訳で。
スーパー駐車場で女児はねられ死亡した事故、車は知人名義・車検切れ・自賠責保険なし
こりゃ貸した方も同じくらい罰せられれば良いのに。これで保険が下りないともなると被害者への救済は税金が使われるのだろうか?。
自賠責はあくまでも最低限度の人身事故を救済するための保険で、絶対に加入することが運転の条件になっている。車検切れの車に乗ってた72のジジイもフロントガラスの上にあるシールを気づかないわけがなく、車検証入れを見れば自賠責保険の未加入も判るわけで、そんな危なっかしい車なんぞ普通は借りない。
もう一つ。
「バックしてきた乗用車に親子がはねられ、生後9か月の女児が死亡した事故」という部分でも理解しがたい人も多いだろうと思う。いや、生後9ヶ月が元気に走り回れるのかは子供の居ないオラには分からないのだけれどね。
生後9ヶ月の子供が周囲の安全確認など出来るはずもなく、親は何をしていた?ということ。この車がきちんと車検を受けて保険も加入していて、過失がなければ親の不行き届きで不起訴になるかもしれない案件ではあるが、無車検・無保険・借り物で死亡事故ともなると加害者の神経の方が図太いと思う。
いつも言ってるけど、「親が馬鹿だと子供は早死にする」って点は言い方が酷いと言われようとも、しっかり認識すべきことで、自分の子供を失いたくなければ、ひとつずつしっかりと確認すること。子どもの行動は年齢が低いほど予測が難しいこと。子供は一番最後に降ろし、乗るときは一番最初にチャイルドシートに固縛すべきもの。先日も似たような事故があったでしょ。
もしもあのニュースに何か思うところがあれば、自分は絶対に気をつけるという信念を抱くところ。ところが実際はこんなもん。他人事で関心はなく、失ってから後悔してしまう。後悔したところで子供は帰って来る訳でもなし、ただただ「あの時ああしていれば・・・」と死ぬまで後悔することになる。
繰り返す。「親が馬鹿だと子供は早死する」ってこと。ここで言うところの馬鹿ってのは勉強の出来るできないではない。周囲への関心。身の回りにあるリスクへの関心。危険予知と、リスク評価と事故対策だけ。これは勉強とは無関係で賢いか愚かかの違い。少し考えれば判ることを放置するのが愚か。行動の前にリスクを加味して危険を回避するのが賢いってこと。知能指数とは関係ない。
ま、オラの知能指数が幾らなのかは全く分からんけど、答えのない問題の解決能力は周囲の人間よりも遥かに多く、素早くできるので少なくとも低くはなく平均以上はあると思う。仕事上、事故分析や予測、予知、対策、再発防止策などを散々やらされてきたので様々な事故から、本質を前提として親ができること。できないこと。それに対して未然に防ぐための手順書などの作成は多くの人の意見を聞きつつ、簡潔にまとめることは可能だ。
一番の悪は本質を理解しないこと。それに依って起こる事故を想像できないこと。そのためにできることを思いつかないことなのだ。これは繰り返しやることでいくらでも鍛えられる思考ルーチンで、慣れると答えなんぞものの数分で思いつく。当事者に成らなければその問題には気付かず、当事者でなければ実情を知り得ない。当事者でなければ行動予測はできず。当事者でなければ普段はどうなのかを知ることもできない。だからオラは部外者だからそれを当事者に言うことはできないし、本来であればそれは当事者が行なうことだ。
傍から見て「うっわ!、あれ危ないな」という事案は結構見る。よくもまあ、そのリスクに気づかないものだと逆に感心することもある。へぇ~これが一般人の関心のレベルなのかと勉強させられることはある。世の中なんぞ、自分自身で墓穴を掘って事故に遭う人間は多い。その多くがそれに対するリスクに気づかず、何故か自信満々に自分だけは大丈夫だと思い込み、そして盛大に事故ってしまう人が居る。
このニュースはそういった日常の中にある1シーンなのだと思えば納得できるが、それでいいのかな?とは何時も思うだけでここに愚痴るしかできることは無い。