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2024年4月16日火曜日

自然災害での犠牲者の捜索という人的リソース

自分なら助かっていないと思われるような状況なら捜索に割く人的リソースは撤収。捜索そのものを諦めて貰って構わない派である。無論、余力が出てきて後から見つかった場合にはそれなりに対処すれば良い。

オラは合理的主義者なので、亡くなった人の捜索よりも生き残った人への支援やこれからの生活への支援が最優先と思っている。オラが冷たい人間なのかどうかはこの際どうでも良い。亡くなった人間よりも支援が早急に必要な人間を死なせないための努力をしたら良いという考え方だ。

大規模な事故や災害。大火などが起きて負傷者が大勢出たとする。医者も最も急いで助けるべき人を選ぶ。要するにトリアージである。

例えば一人の重体患者を助けるべきか、2人に重症患者を助けるべきか。重体は意識もない相当にヤバイ状態一刻も早い処置が必要で、助かるかどうかは微妙。重症は大怪我で意識はあるが直ぐにも対処が必要な状態で、放置しても悪化するだけ。もしもオラが医者なら単純な足し算引き算を選ぶだろう。

本物の医者はどう選ぶのかね。数分後に死ぬかも知れない人と今助ければ生き残る確率がすごく高い人。

ここで考え方が冷たいか人情的かという問題を考えられる余裕というものは、平時でしか考えられないだろうということ。本物の災害というものは周りが瓦礫の山の怪我人だらけで地獄絵図のような状態だと思って良い。そこで平時のような施工ができるか。まず何を優先して何が出来るかということ。一人でも多くの人を助ける場合、助けるべき人を年令や性別で分けるということもあるだろう。老人よりも大人。大人よりも子供。乳幼児はどうかな。助けても自力で食事を摂ることも排泄の自己完結も難しい。人道的には助けるべきであろう。でも、市町村まるごと被災した場合には、消防や自衛隊が手を出せるのは手を出せる所からだ。自分の身内優先でお願いしますというわけには行かない。

高齢者よりも若い人を助けるのは合理的。瓦礫をどけるだけで擦り傷しかない軽症者を救助して、救助作業を手伝ってくれそうな人を増やすというのも合理的な考え方だ。後は後のことだ。最も効率を有効にする方法。最も合理的な考え方。それはその場になってみないと分からないことだし、普段から考えておけば、優先順位というものはその場でも考えることはできる。

ただ、多くの人は災害というものを普段からイメージしていることは少ない。いつも大災害が起きると後の祭りで過去の災害の教訓は活かされていない。それが世の中の常識であり、一般的な考え方だ。多くの人は自分が安全な居場所に居てアレコレ言うことはできるが、当事者になった時は放心状態になるか取り乱すか、合理的な考え方をできないだろう。

オラはとりあえず身内を優先するけど、実家に戻れないほどの被害を受けたら自分ができることからするだけ。周りを見て、まず何をすべきか考える。今回の能登半島地震では一部の重機を所有する人が素晴らしい活躍をしている。あれこそが自分ができることを最も理解して行動にでた結果だと思う。オラ個人としても褒め称えたい。

オラの生活は基本的に災害時でも不調をきたすことはない。過去の日記にも書いているが、オラは過去に一度ぶっ壊れているのでかなりドライだ。多分、眼の前が血だらけの怪我人だらけでも、死体だらけでも精神に異常をきたすことはないと思う。

出来ることはするが、できないことはしない。

パワー面でも人力でどうこうできるレベルは常人よりも範囲が広い。構造解析による瓦礫の効率的な撤去手順も見ただけで概ね把握できるので、その場で出来ることは多いからそれはオラが出来る範囲で全力を出すがそれに責任を負うつもりはない。

あくまでも手助けするけど結果に責任は負わない。後で文句を言うつもりであれば最初から手を貸さない。それに人にものを頼むという態度にも依るだろうね。気に入らなければ手助けしないというのは普通だ。仲の悪いご近所さんよりも、よく話すご近所さんを助けるのは普通である。見ていて何もしないということはない。たまたま気に入らないご近所さんに助けが必要なら、見ているだけよりも手を貸すくらいはする。無論、あとで感謝の意くらいは表してくれないと気分が悪いというのは普通の考えだろう。

オラはただ、できることをするだけ。

こういうのは感情的になると正しい判断ができなくなるからね。

逆に人間的な感情というものを殺せる方が冷静にものを見ることが出来る。血だらけの怪我人を見て泣きわめくだけの無能に比べたら、今何をすべきか考えを巡らせるほうが正しいし、工具を使わなくてもパワーだけでかなりの事ができるようにオラは普段から筋力を増強している。これが備えているってことだ。

今の生活が当たり前で、災害で自分の生活基盤を失い、家族が一刻も早い救出が必要なのに何もできない人間には成りたくないということ。眼の前で熊に襲われそうな人がいれば多分、反射的に熊に襲いかかるだろうことは想像できる。そこんところは動物的な条件反射で、コミュニケーションを求める動物には優しく、襲いかかろうとしている動物にはぶっ殺す!がオラのスタンスだ。こんな感じで何事も決めておいて、何事も今後は起こるものとして何が出来るかを考え、できないことは出来るようにすれば良いだけ。

普段の生活だけ考えている人間は、有事には弱い。そして有事になって無力感を感じるだけ。行政や国が何とかしてくれるとか期待が大きいほどに、実際の動きは遅く状況は逼迫しているのが実情だ。そう考えれば、そうなったときに備えるのは人間としては普通だと思う。昔の人間ほどそういった災害を乗り越える考え方は強いと思うが、現代では逆に珍しいのかも知れない。

普通って何だと考えたとき、普通って弱いなと思うよ。

オラが普通を嫌うわけはそういったことからなんだよね。

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