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2021年11月15日月曜日

第六感

wikipediaでは五感以外で動物が普通に持ってるものを言うみたい。

で、スピリチアル本も出ているが、人に伝えられない感覚だから、伝えようがないと思うのだが、何が書かれているのかは気になる。

第六感は五感の先にあるものだから、先ずは五感が鋭くないと、第六感に到達できないでしょ。どういうものが第六感なのかは個人差があるからきっと書かれていないものとかもあるのだろうけど。

人の気配とか、視線を感じるとか、霊感があるとか、動物の思考を読むとか、動物に意思を伝えるとか、イオンを感じるとか、オーラを感じたり視覚として見れるとか、普通は見えないものを見るとか、地磁気を感知できるとか、未来予知とか。

生物として可能な範囲だから、電気ウナギみたいに高電圧を発生させるとかは不可能じゃないだろうけど、それは超能力になってしまうのか。

人間の知覚能力としては危険感受性が高いとか、短時間の未来予知とか、音響で地形把握とかは鋭い聴覚と観察と予測でできることだから五感の範囲。雨が降る直前の空気の匂いの変化も五感だ。虫だって感じ取っている。

少なくとも視野が異様に広いのは脳の視覚の情報処理能力が高いだけで、左右同時に動態感知なんて動物では普通に出来るからオラができないはずが無い。戦闘機乗りなら普通に持ってる能力だし。

後ろに目がある人って音や赤外線でわかるから、これって五感が鋭ければできること。オーラを感じ取れれば熱いとか違和感を感じるので、何か後ろにいるなと分かる。人じゃないときもあるけど。その時は寒気だったりする。

やはり、五感が鋭くない人は第六感の本を読んでも獲得は無駄じゃないかな。そんな感じのものという知識を得るだけで感覚を得るわけではない。感覚を共有できる時点でそれも超能力。
例えるなら車庫入れがいつまでたっても苦手な人は運転が上達しないように、車を体の延長上のものをという感覚が無いから鈍感とも言える。

そもそも幼少期に感覚器官を鋭敏にする経験を沢山積んでいないと、五感の先にあるものを体感できない。
今では危険という理由で撤去されまくっている遊具の数々。
登り棒、ジャングルジム、シーソー、グルグル回る丸いやつ、コンクリの滑り台等等。
あれは必要な物。馬鹿な子が死んだり大怪我してバカ親がクレーム入れて撤去をさせ、危険から子供を遠ざけて、子供が安全に楽しむ経験を奪う。だから大人になってからつまらない怪我や死亡事故を起こす。
あれが残ってる地方は素晴らしいね。
大人用があったら遊びたいね、是非遊びたい。結構遊びたい大人が多いんじゃない?。

自分らアラフィー世代は、ガキんときの遊びは探検と称して森の中や沼、河川、土建屋の資材置き場、材木置き場など自然や結構危ない場所でリスと触れ合ってきた。自分らの世代と今の子供とは見えているものもかなり違うと思う。多分立体的な空間の移動スキルに大きな差があるとか。平衡感覚が段違いだとか。

ハイキングやトレッキング、登山で遭難する人は第六感どころか五感を脳が処理しきれていないでしょ。
方向音痴もだけど、観察力も低い。動物的な行動を制限された人間が動物が本来持っている第六感を得られる筈もない。オラなんて国内程度なら、道路もない山奥に放置プレイされても人里まで簡単に降りられる。

濃霧の中で先が見えていない人は視力の深視力、色深度、解像度が低く輪郭補正が備わっていない人。視力ののコントラスト比が低い事もあるだろう。吹雪とかも同条件だね。こっちの地吹雪は他所の地方の人なら遭難するでしょ。

オラは老眼で近い物は見えにくい。でも生活で眼鏡は要らない。何せ脳内視力が高いので矯正視力で補正ができる。それも、元々の視力が異様に高かったから脳が勝手に補正してくれる。
幼少期からメガネが無いと生活できない人と、全てが在り有りと見えていた人とでは見えている世界が違う。

聴力も同じで、可聴域が広い人と狭い人とでは聞こえているものが違う。

肌で感じられるものが触覚と熱だけの人と、それ以外のものとでは情報量が違う。

匂いに敏感か鈍感かでガス漏れ警報器でさえ検知しない匂いに気づけば爆死しないし、気づかなければ身に危険が及ぶ。外で遠くにあるものに匂いで気付く。特に季節感を匂いで感じると脳への刺激も大きい。

味に敏感なら食中毒を回避できるが、馬鹿舌なら食中毒に。味覚は特に嗅覚と強く連動しているから腐敗だけではなく、有害物質や変質にも感知できる。

でも、感覚器官から送られてきているものは脳が感知をしている。つまり、脳が見落としたり検知できないものは存在しない。

そう、五感を最終的、かつ統合処理している脳の発達を幼少期に行なうか行わないかで天と地ほどの差が出る。共感覚も鈍くなる。第六感への到達も成らない。

子供に第六感を授けるのは親がいかに子供に外で多くの経験をさせるかに掛かっている。家の中で遊ぶのは嵐の日くらいにして、できる限り外で五感を鍛えさせる事に徹したほうが良い。雨の日の匂いを感じ、雪の日はかまくらで。春から秋は野山。夏は海に。

五感を刺激して、第六感を覚醒させよう。

ああ、怪しい宗教とかには引っ掛からないようにね。

在るものを在るが儘に感じ取れると、超絶便利なもう一つの感覚器官がハードウェアじゃなくソフトウェア的に備わるってだけで、人間として必ずしも必要なものじゃない。

ただ、生存能力だけは高くなる。何せ危険感受性が高くなる。何か嫌な予感がするとか、危険な場所に近付かないとか、危険予知能力が働くから事故も避けられるとか便利特典は盛り沢山。

因みに寺で座禅とかも良いかもね。視覚を閉ざし、眼以外で世界を感じるやつ。頭空っぽで無心になると、第六感の片鱗くらいは触れられるかもね。

因みに舎利石拾いの時は、視覚情報以外の処理を殆ど遮断してる。地べたに這いつくばると楽でしょ。そうすることで脳の処理を視覚に殆ど割り振れる。それで通常の可視領域を大幅に拡張できるのさ。

パソコンのタスクマネージャーってあるでしょ。あれを脳の処理能力の割り振りとして認識させている。

って言っても、この感覚も理解できる人にしか理解できない能力だけど。

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