2024年1月16日火曜日
シートベルトの有無を書かないニュース記事「86歳、案内標識に激突して車外にダイブ(死亡)」
国道45号で軽ワゴン車が案内標識柱に衝突→車外に放り出される… 運転していた86歳の男性が死亡 凍結した路面でスリップか…
ここで最も重要なのはシートベルトの安全性だと思う。普通はシートベルトをしていれば車外に放り出されることはない。
つまり、シートベルトの金具を差し込んではいるが、シートベルトを胴体に掛かるように着けていないということだ。最近の車はシートベルトしていないとピーピー煩いもの。年齢も年齢だし、きっとシートベルトの無い車から乗り始めて、シートベルト着用義務が始まってからも装着が気持ち悪かったのだろうと思う。
たったそれだけの理由で死んでしまうとは情けない。
その人の死に方って、ある意味でその人の人生の集大成になり得るんだよね。せめて「めぐせぇ死に方だけは避けるべき」である。
人間は水生生物ではない「漁業者の安全意識というものに疑問」
「小さい子どもいるのに」漁船転覆、シジミ漁の31歳夫と27歳妻不明 小川原湖(青森県)
小さなお子さんが居るのであれば、尚更ライフジャケットの装着。防水のスマホや携帯の所持。転覆時に取れる手段を考慮するといった「もしも」「かもしれない」などは自分と家族の幸福を考えれば無視できないものかと。
そういえば、過去に下北半島の漁業者の転覆遭難(死亡)事故で、漁師がライフジャケットを着けないのは車でシートベルトをしない事と一緒というような日記を書いたら関係者が日記を消せと特攻してきたね。
結局は自分のことだし、残された子供の不幸を考えれば、どうすべきだったのか訴えるのは遺族の方であり、オラではない。それでも漁協は組合員への100%ライフジャケット装着の義務化を進めていないし、海上保安庁がライフジャケットの着用をしていない漁業者への違反点数の付与と罰金を課さない限り、不幸な事故は無くならない。
陸上の事故と違って海上の事故ともなれば生存率は大きく異なる。人間は何十時間でもみずのうえを漂ってはいられない生き物なんだから。コレも結局は少し考えれば分かることなんだよね。ここで何も考えないというのは流石に危機意識が欠如しているとしか言いようがない。
これもさっきの日記と同じ。死に方はその人の人生の集大成である。
もっと解り易く言えば性格が現れるってこと。
<追記>
【詳報】16日の捜索で見つからず… 30代男性と20代の妻のシジミ漁師夫婦・行方不明のまま 80人態勢に増員し17日に捜索再開へ 目撃情報もなく…
思ったんだけど・・・公海上じゃないから捜索費用は漁協から出るんかねぇ・・・。
小川原湖の海流(湖流?)がどうなんか知らんけど、流されるってこともあるのか。それとも汚泥に沈んでたら見つからないよね。
慎重さが足りないということに尽きるかと。こういったものは漁協で海上保安庁を交えて講習会を開くなど、決して無理をしないという大前提を植え付けるべきでしょうね。
今回も結局のところライフジャケットを着ていれば携帯で救助を呼べた。携帯(スマホ)が防水なら水没しても安心。仮にウェットスーツを着ていれば冷たい水に浸かっていても救助まで持ちこたえられた。同時に、各種アプリの使い方を知っていれば位置情報を共有ってところまでできる。
難しいから。そんなのあるの知らなかった。必要ないと思ったなどと思わず、自分の命と家族の幸せを考えるのであれば、無理するにしても対策だけは万全にしておく必要がある。あれもしたくない。これもしない。収入を増やしたいではどうかと。少なくとも最低でも3隻出漁しなければ出漁は許可しないなどのルールを作れば、転覆時に他の船の助けを期待できる。何もかもがこれまで大丈夫だったからというだけで安全マニュアルの作成や周知といった命を守る手段を取らなかったことが最大の原因。
【速報】湖に沈んでいた妻の遺体を18日朝に発見 漁船転覆で捜索の31歳と27歳のシジミ漁師
繰り返されるのは学習しないから。明日は我が身と思っていないから同じ事故を他人事として見ていられる。自分の番が初めてきたとしても、後悔する暇も与えてくれないだろう。小事で済めば反省の余地もあるだろうけど。
でも、自分が対処ができないのに無茶をするのは無謀で自殺行為だ。普通の人は0度の水に落ちればすぐに低体温になる。思うように体を動かせずに徐々に意識を失うだろう。持っても15分だ。皮下脂肪があって低温耐性のあるオラなら2~3倍は余裕だろう。それだけの熱を生み出せるし真冬に強風ずぶ濡れで7時間耐えられたから。
そもそもそんな小さな船に乗るのにライフジャケットも着けない理由が分からない。浮いていれば蘇生の可能性もあっただろうに。思考を巡らせることを面倒だと思うのは生を諦めること。これ以上同様の事故が起きないように再発防止策を漁協全体で協議すべきかと思うけどね。
可愛いは正義ではあるが、別に大人の女性でも良いんじゃね?と思うことはある。「ご当地萌えキャラ」
PRキャラ「なのは」缶バッジなど登場 売り上げ全額を能登地震義援金に 青森・横浜町
あおもりくま的な美的観点から、ご当地の萌えキャラってのは別に幼女や少女じゃなくて、色白切れ長一重黒髪ロングストレートヘア(後ろで髪を束ねてるかポニテもアリ)眼鏡のA~Bカップ大人の魅力アリ知的っぽい女性でも良いと思うんだよ!(力説)
ある意味で、こういうのを堂々とレジに持ち込める時点でロリコン認定乙!なわけで、売る気ないだろって思うんだけど。義援金を盾に堂々とレジに持ち込める一般人は居ねーよ?。
まだ和装の怪異でロリババアという設定の方がマシである。あ、それって座敷わらしとかそういうのか。ま、座敷わらし伝説ならお隣の岩手県には金田一温泉という有名所があるけどね。家事で全焼しているから座敷童様はもう住んでないと思うけど。
ひろゆき風に言えば「それって貴方の感想ですよね」なんだけど、確かにそういう金にモノを言わせた振り回しってのは却下だ。
「偉い人」に対して、三流は「ペコペコ」し、二流は「敬意」を示す。では、一流は?
端的に短く言うと「互いに人として対等にコミュニケーションが取れる相手」ということなのでしょうね。
でも、世の中は腹の探り合いや、言葉を濁してどちらにも解釈できる言葉を発し、明言しないことで後で言った言わないの論争になるのですよ。
オラ的には相手に伝える言葉が理路整然としていて、誤解の無いように短く纏めて話せる人で、要件はストレート。互いにWin-Winを築ける相手ですかね。
オラ自身が一般人からすると変人扱いされる人間なので、少なくとも仲間になってくれるのは同じく得意分野でのエキスパートとかマルチスキルな人が多い。でもって互いに縛らない関係。都合がつくなら積極的に会いたいし、どうしても外せない用事がある時は断っても了承してくれる人。あまり気遣って欲しくないけど、相手には気遣うって感じですかねぇ。じゃないとお礼の応酬になってしまうので。
オラが嫌いなのは、第三者に要件があるのにオラにそれを言うように言ってくる馬鹿。なぜ馬鹿なのか。用があるなら直接言えば良いからだ。勤務時間の関係で直接言えなければ、要件をまとめたメモをオラに「これ◯◯さんに渡して」で済む。
これでまだ馬鹿の理由が分からない人は馬鹿の仲間だね。オラは書記じゃないってことだよ。不思議なことに日本人なのに日本語に達者な外国人よりも日本語を分かっていない日本人は多い。要するに伝言程度の短い文章を生成できないから馬鹿なのだ。
ということで、要件を短く纏めて箇条書きに言えない人は信用できないのだ。大抵の場合は家族、友人、知人との会話のような口調の伝言で倒置法だらけの要点を得ない話。それを何でオラが推敲せにゃならんのだってこと。
この点だけは譲れない。日本人が真面目な話で日本語をきちんと話せない場合はオラは信用しないのだ。無理難題を押し付けているつもりはないんだよね。これは社会人として当たり前にできて当たり前のことなのだから。
あとは・・・第六感だね。
殆ど動物の感情を読むに等しいスキルなので、胡散臭さってのはオラには共感覚で分かるんだよ。見た目では隠しきれない部分ってのは系統別けできるって感覚が分かる人も居るでしょ?。詳しくは書かないけど。
2024年1月15日月曜日
うん、知ってる。
実はあなたの精子を“殺す”NG習慣10選。「子供をつくらないから関係ない」とは言い切れない理由
男性機能の衰えが老化を招くってのはオラがいつも言ってること。男はスケベでナンボってやつ。だから草食系男子と結婚しても活動停止した精子じゃ子供はできない。あと、老後を長く生きたいなら男性機能の維持は必須。勃たなくなってから騒いでも遅い。生物は要らなくなった機能から衰えが急加速する。老後に体力が衰えるのは解りきったこと。体力が落ちるから運動しない。
オラはスマホを持たない派。スマホをカメラやカメラのコントロールとして使う。ブログの更新に使用する。天気予報を確認する。カーナビとして使用。これだけ。身につけてはいない。ショルダーバックに入れっぱなし。歩きスマホ星人を毛嫌いしているのもそういう理由。触ってないと死んじゃう人で、電磁波を浴びまくり。視力も落ちる。ある意味で依存症末期患者。
育毛剤は不使用。つか、禿げてないし。うちの家系は禿げ居ないんで。あと、髪は短くしているから抜け毛も少ない。きちんと頭皮もケアしているしビタミン類をはじめしとしてミネラルサプリは飲んでる。ちなみに亜鉛と言えばAsahiのEBIOSだべ。エビオスは精子を作るために必用な亜鉛を含んでいる。胃薬でもあるし、不足しがちな食物繊維でもある。あとにがりもね。
興味を引いたのは「精子の賞味期限が3日」「7回発射しないと出し切れない」ということ。はてさて、7回を連続で出せない人はいるのかね?。普通に居そうだ。
意識的に食生活で不足するものを補い、自分から排出されるものは観察するから自分の健康状態が分かっている。些細な体の異常も見逃さない。
どっかで記事になってた「伝統工芸は見て盗んで学べ!がある内は継承が難しい」って
要するに、マニュアルを作ったり行程を映像化するなどして、長い工程を誰が見ても概要が分かるようにしておかないと、職人が高齢や災害で亡くなったりすると技術が途切れるってやつ。
昔ながらの職人にありがちな「雑用ばかりでなかなか本作業をさせてくれない(オマエにはまだ早い)」「技術は見て盗め(教えることはない)」「一人前になるのに◯◯年掛かるのが普通(どや~)」というやつ。
心の声「バカかと、アホかと、化石かと・・・」
これが「興味を持ってくれる人(後継者)が現れない」ことと、「途中で挫折(アホくさくなって辞める)する」ってことと、「最近の人には馴染めない古き悪しき風習」ってこと。
誰でも出来る訳では無いってのは分かる。
手先の器用さ。分析・理解・再現力。センス(感覚的なもの)。そして「応用力」ってものが備わっていて、作業工程のすべてが一人称視点で映像と音声で記録されていれば、少なくとも再現は四苦八苦しながらでも可能であること。
それよりもさ、レシピを残せよ。
で、こういう職人というのは堅物ほど人に教えるのが苦手。そして、今風のマニュアル化(手順書の作成)というものが不得意で、字が汚すぎて読めない。標準語を書けず文法が崩壊したり。特にパソコンやタブレットを使ってそういったものをデジタル保存する方法に疎いとか。
自分のやってることは素人じゃ難しいんだ!(どや~!したいだけ)
「解り難いモノを解り易くする」というオラの得意分野は、本来であればこういったコトに役立てるべきなんだよね。今は某大手のしがない下っ端ユニーク社員だけどね。いますぐオラの抱える問題をすべて解決してくれて、オラを自由にしてくれれば、オラは報酬に見合った仕事をするんだけど。少なくとも、その辺に居る自称一般人の数倍~数十倍の戦力にはなる。何せ歩く非常識の塊らしいので。
でさ、普通の人には難しいらしいことはオラには簡単で、一般的には分かることがオラには理解し難いって部分がある。理解し難い部分の大半は無駄が多すぎて気持ち悪くなるって意味での拒否も含まれるんだけどね。簡単なものを役人はわざわざ難しくするのが好きでしょ。高学歴の人が作ったものって、重厚長大で難解で見づらくて文字ばっかで読みたくないものが多いでしょ。
マニュアルってものはね。誰が見てもそこそこの理解力があれば取り掛かれるように説明を纏めたものなんだよね。昔はもっと簡単だったのかも知れない。でも、伝統工芸というカテゴリに収まると、その手順や工程を付加価値を付けるためにより精密で複雑で途方もない行程を増やしすことで差別化を計りたがる。
その結果、簡単なものが難しくなる。
実際のところ、手で作れるものなんて失敗を積み重ねれば何回かでできてしまうものだ。ただ、それには、失敗した状態がどのような失敗によって起こったのかを覚えていないと駄目だ。この辺の作業が苦手な人は何をやっても駄目。
何はともあれ一通りを見せてもらう。自分が真似してやってみる。見てもらって評価してもらって、何処をどのようにすれば良いかをアドバイスを受ける。また最初からやってみる。この繰り返し。最初の数年を雑用しかやらせてくれないところは最初の数日で辞めるべきだね。古い考えの職人はもう現代には不要だって教えてあげれば良いのだ。
いまはそんな時代ではない。
そして後継者になりたいという意気込みだけではどうにもできないセンスの問題もある。この感覚的なものは言葉や表現が難しいんだよね。色んな失敗や成功体験をしている人って自分が今やってる事の数手先の未来の行程が見えている訳で、そこで「あ、これは違うな~」とか、「あ、多分、これ失敗だわ・・・」ってのまで見えるんだわ。でもま、失敗もその失敗した結果が見たいというのもあるんだよ。もうね、失敗を恐れない人のほうが上達は早いけど、逆に失敗が多すぎる人はセンスがないんだよね。
得手不得手ってのは、とにかく色々と体験することからはじめないとね。
だから、迷ってるなら門を叩けってのはアリだとは思う。
何事もやってみないと自分に合うか合わないか分からないもの。
それが分かるのは、膨大な経験値を持っている人だよ。
やる前からできる出来ないまで分かってしまうから。
うん、こうなるのは必至で、石拾いでも経験しているから分かってた。
「靴の中はずっとぐちゃぐちゃ」能登半島地震で災害派遣に向かう自衛隊員が持参する装備品のモロさ
防水の靴だろうがなんだろうが、靴の丈より深い水や泥を漕いでいけばこうなるでしょ。沢伝いに山菜採りに入ったり、舎利石や錦石を波を被りながら拾ってれば靴を水没させるのは当たり前。足が真っ白にふやけてシワシワ。オラの場合は真冬に瑪瑙浜で7~8時間くらい舎利石を拾ってたから全身ずぶ濡れで浜風に晒されてたので、靴の中が半日くらいぐちゃぐちゃに濡れるって経験はあるよ。この状態じゃ普通の人は冬なんだから低体温症で意識を失って死ぬよね。鍛えているとはいえ自衛官全員が超人なわけない。
オラはそこんところ単独で色んな無茶をやってきたし、自分の限界を測ってるので
彼らは公務員なのに、官給品の装備に関してはショボいってのは知人の自衛官からは聞いてた話。各自で自前で買ってるのも知ってた。こういう場所を行軍するってのなら胴長くらいは配給すべきである。
児童が児童ポルノ拡散する時代
小学校タブレット盗撮事件が大問題に…背景に大人世代とは違う子供の感覚
50年前と違って、今の児童はその意味くらい分かるでしょ。
普通に家庭裁判所送りで良いんじゃないの?。
こういうのは実害が無いとコトの重大さを認識できない訳で。
死ぬほど心配させれば良いんだよ。
青くなって初めて悪いことをしたと学習するから。
公務員を大卒に限定する理由がわからないな。昭和かよ。
今後はどんどん若者が減るんだからさ。企業も大卒に拘ってる場合じゃないと思うのだよ。
と、うちの会社ではレアスキル持ちモンスターで高卒のオラが言ってみる。
結局のところさ、働いてみないと職業適性って分からないのよ。そして、仕事で何が活かせるかなんてのも働かないと分からない。オラみたいにちびっ子の頃から「無いものは作れ!」なんてガキは今の世の中じゃ結構な希少種だろうさ。物が溢れていると自分じゃ作らないもんな。
であれば、企業は高校生の職場体験や職場見学をどんどん取り入れて、学校もどんどん社会見学させるのよ。そうすれば、目で見て肌で感じられるんだよね。
2024年1月14日日曜日
2024年1月13日土曜日
2024年1月12日金曜日
車の開発は燃費との戦いなのではないかと
メーカーとしては以下の事だろうと思う。
- 他社よりも「燃費」「事故時の生存性」「機能性」「安全性」などの性能が上である。
- 他社よりも顧客の興味を引く外装や内装、標準装備やオプションが豊富である(売れる)。
- 次代のニーズに見合った外観を有しており、他社(他車)より目を引く。
- 開発期間を短縮し、製造コストを抑えて利益を残す。
開発側としてはこうなのだろう。
- 燃費を上げる(エンジンの性能向上=燃費の向上)
- 構造強度で軽量かつ十分な衝突安全基準を得る(車体の軽量化=燃費向上)
- 短期で新型車を開発する(市場動向に見合った新型車が陳腐化しないうちに発売する)
ダイハツは車体をペラペラの鋼板で軽くして、燃費向上が見込めないエンジンを諦めたってことなのかねぇ。余計なものを一切排除することで後席窓もはめ殺しにして数百グラムでも軽くを目指したんだろうか。
エブリイよりも内容量を増やすってことはエブリイよりも壁が薄い訳でしょ。横から突っ込まれてゴロゴロと横転したらサンバーよりも硬そうなエブリイでは大丈夫そうだけど、アトレイやハイゼットって牛乳パックを絞って広げたようにグチャグチャになりそうで怖いな。
それにしてもタフトのフロント部分に寄りかかったらボディーが変形しそうなくらいフニャフニャなんだけど、大丈夫なんだろうか。自転車がぶつかってもオモクソ潰れそうなくらいペラペラだけど。アレがダイハツの言うタブなボディーの標準なのだとしたら、益々信用ならない。
2024年1月11日木曜日
巨大地震。東京や大阪への人口一極集中を避け、地方創生もやりやすくなる。今こそUターン。
東京や大阪などの大都市はハブ以上の役割を与えないほうが良いのでは。
知ったら全員が絶句する…「日本人の日常」を破壊する「超巨大災害」の悲惨すぎる実態
ド田舎が大好きなオラとしては、群れるのを嫌い、人混みそのものが酔うので近寄らない。
大都市が便利であるのは充実した公共交通機関。競争が激しいことにより物が安い。美味しいものが沢山ある。何でも徒歩と交通機関で行ける範囲にあるということ。公共の施設が他の地方都市と比較しても圧倒的に多いこと。遊べる場所が多いこと。
ただ、大都市ほどオラが好きな自然は対象的に減るけどね。流行に興味もなければお洒落にも興味がない。話題にも興味がなく、行列にも興味がない。話題がなければ繋がれない現代人とは違って寂しがり屋でもない。オラは人間が作ったものではなく、自然が作り出したものを愛でるのが好きなのだ。
地震も津波も噴火も豪雨災害も自然のひとつの現象でしか無い。だから、災害そのものを日本人は本来は試練として受けてきた。自然災害も神の起こすもの。だからこその多神教である。いつから日本人はこれほど精神的に弱くなったのだろう。
自然に抗うなど何か個人ができることなど無いし、政府も地方自治体もただただ頭を抱えるだけで何もできずにその日を迎えるだろう。せめて自分の代で起きて欲しくないと願うだけで何もしないと思う。いや、何もしないというのは語弊か。何もできるわけがない。できるのは起きた後の対応と処理のみだ。
だって、切羽詰まらないと何もしないのが現代人だ。昔の人は待っていても始まらないから自分たちで何とかしていたでしょう?。現代人は推そらく戦後の昭和20年を忘れ去り、江戸時代のような200~300年前の人間よりも立ち直りが消極的であると思う。
諦めたら死があるのみの時代に生きる人ほど立ち直りが早い。余り物を持たない時代の人よりも、私財を多く持つ現代人のほうが失うものの多さ故に途方に暮れる。物を持たない人間は強い。
無秩序に歴史を積み重ねてきた統一性のない建築基準の建物が乱立しているのが大都市でしょ。何かに向かって一矢乱れず困難に立ち向かうということはもはや無理。場合に依ってはパニックを引き起こして自閉モードに入るのがオチ。
人も千差万別。今が良ければ良い。今の生活で一杯一杯だから特に何かできる余裕がない。そして何も考えておらず、何か起きれば政府と自治体が何とかしてくれる。自分たちは税金を収めているから備えるは自治体の仕事だと思っているだろう。個人が備えることは形だけで殆どは実がない。本当に2~3週間くらいの備蓄をしている人は僅かかと。物価高で備蓄する予算も無いだろうから、大きな災害があった後は防災への備えは流行っても、現代人は教訓を風化させることが得意だ。
単純に災害が大きくなるのは人口密集地。何もないところで大災害が起きても復興の必要もなく放置でしょ?。被害というのは人が作ったものが被害に遭うから被害金額が上がる。だから大都市に住んでいる人は、さっさと故郷に集団疎開すればいい。地震が起きる前にだ。今なら私財を失わずに済む。命も助かる。発生直後は故郷に帰ってきて良かったと安堵するだろう。便利な生活を捨てられるかは知らないけど。田舎もUターンで人も増えれば仕事も増える。
選ばなきゃそれなりに仕事はある。3Kと思われがちな第一次産業で働くことを嫌う人が多いというだけで、日々を地味に出社と帰宅を繰り返す方が無機質で無思考な仕事を選びがち。
国や行政が悩むだけで何もしないのは、地震や津波などの大災害は都市の再設計に必用な切っ掛けでおあるから。個別に土地の買収をする必用も無く、取り壊しは地震が行なうことで一瞬だ。せいぜい瓦礫撤去と整地、再区画。全壊しなくても使えなくなれば壊さざるを得ない。つまり纏まったエリアを瓦礫の山にしてくれる。何もしないというのはそういうことだ。自然に都市再生のリセットを委ねるということに過ぎない。
仮に都市直下型のM8~9レベルの地震災害が起きれば古い雑居ビルは全壊するだろうし、少なくとも耐震強度が高いビルでも外壁や骨組みが無事では済まされないと思う。特に大都市なら建物の傾斜は彼方此方で起こると思う。自分のビルが大丈夫でも、隣や向かいのビルが倒れて寄りかかってくれば耐震強度も関係ない。
つまり、強度が均一ではない雑多な建物の集まりでできたのが大都市というもの。単純に耐震性に問題のある建物だけ被害に遭うわけがない。災害発生後は人命優先。たとえ死体でも救助が優先という大前提があるので、人口密集地ほど捜索と救出に時間を要し、救助された人間で医療は震災直後に一瞬で崩壊。
道路などのインフラは倒壊した建物の残骸と、道路そのものの崩壊により使用できない状態になる。物流を舐めて掛かっている現代人は、何もかもが不足した社会では生きていけない。加えて地震はその後が怖い。
ガス漏れ、引火、爆発、広範囲の延焼。水道管破裂に液状化現象。地下施設空洞による陥没。実は山あり谷ありの東京都心。彼方此方で地滑りが起きる。地下施設は壊滅。掘ったら埋めろというのが普通だ。
壊れたものを直すよりも新しく作ったほうがマシ。
でも、また数十年、数百年、数千年後に同じことが起きる場所にわざわざ大都市を作るだろうか。よほどの馬鹿でもない限り少なくとも自然災害の影響が少ない場所を選ぶのではないだろうか。
大きな災害を生み出す場所には膨大なエネルギーが蓄積され滲み出ているとする。要するにパワースポットだ。そのエネルギーに人は呼び寄せられて自然と大規模な都市ができるのかもしれない。古い時代には大河の河口に文明が発生しているのだが、当然のように、河口なのだから水害や津波という脅威は避けられない。河口は地盤も緩いので液状化や地盤沈下も起きる。自然のエネルギーが集まる場所には人も集まるが災害による大被害は切り離せない。
もしかすると、そのエネルギーに群がる人間という種を、地球の意思そのものが人間ホイホイを作り出し、適当な時期を見計らって間引きしているのだとすると、ある意味で納得するのだけどね。
何せ、現状では人間という生物は地球の他の生物にとっては必要以上の消費をする害獣である。どれほど多くの種が人間によって絶滅させられて来たのか数えるのもアホらしいくらいの有害な生物だ。
であれば。
そのエネルギーの集まる場所を活動の場所として避ける必要があると思う。要するに地球が用意したパワースポットを敢えて「そんなエサに釣られないクマー!」と避けることで、自然災害による人類への被害を抑えられる。
同時に、パワースポットは自然のままに放置することで勝手に豊かな自然を取り戻せるのではと。仮にそのパワースポットが自然災害の被害に遭ったとしても、元々は自然は自然のままの方が回復も早いだろうと思う。被害が出てもそのままにすることで、復旧も不要。
現状では災害が起きると甚大な被害が出る場所に人間が集まりやすいって事なので、太平洋ベルト地帯とフォッサマグナに近い場所。津波が収束する湾に都市を作ることは避ける。
いっそのこと、メガフロートのほうが地震の直接被害も避けられるのではないかとまで思ったり。人が大地から離れない限り地震からは逃げられない。
多分ね。99.9%の人はその大災害を受けた時に初めて「故郷に帰っていれば良かった」と考えるでしょうね。一度でも便利を享受してしまうと、不便には戻れない。
不便を楽しんでるオラとしては、いっそのこと今のオラの生活基盤そのものが木っ端微塵に消えてくれたほうが身軽で良いとか思ってるけど。要するに生活レベルが中世くらいまで戻ったほうが余計な心配が少ない、ストレスフリーな生活を望めるんじゃないかと。