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2024年1月15日月曜日

どっかで記事になってた「伝統工芸は見て盗んで学べ!がある内は継承が難しい」って

 要するに、マニュアルを作ったり行程を映像化するなどして、長い工程を誰が見ても概要が分かるようにしておかないと、職人が高齢や災害で亡くなったりすると技術が途切れるってやつ。

昔ながらの職人にありがちな「雑用ばかりでなかなか本作業をさせてくれない(オマエにはまだ早い)」「技術は見て盗め(教えることはない)」「一人前になるのに◯◯年掛かるのが普通(どや~)」というやつ。

心の声「バカかと、アホかと、化石かと・・・」

これが「興味を持ってくれる人(後継者)が現れない」ことと、「途中で挫折(アホくさくなって辞める)する」ってことと、「最近の人には馴染めない古き悪しき風習」ってこと。

誰でも出来る訳では無いってのは分かる。

手先の器用さ。分析・理解・再現力。センス(感覚的なもの)。そして「応用力」ってものが備わっていて、作業工程のすべてが一人称視点で映像と音声で記録されていれば、少なくとも再現は四苦八苦しながらでも可能であること。

それよりもさ、レシピを残せよ。

で、こういう職人というのは堅物ほど人に教えるのが苦手。そして、今風のマニュアル化(手順書の作成)というものが不得意で、字が汚すぎて読めない。標準語を書けず文法が崩壊したり。特にパソコンやタブレットを使ってそういったものをデジタル保存する方法に疎いとか。

自分のやってることは素人じゃ難しいんだ!(どや~!したいだけ)

「解り難いモノを解り易くする」というオラの得意分野は、本来であればこういったコトに役立てるべきなんだよね。今は某大手のしがない下っ端ユニーク社員だけどね。いますぐオラの抱える問題をすべて解決してくれて、オラを自由にしてくれれば、オラは報酬に見合った仕事をするんだけど。少なくとも、その辺に居る自称一般人の数倍~数十倍の戦力にはなる。何せ歩く非常識の塊らしいので。

でさ、普通の人には難しいらしいことはオラには簡単で、一般的には分かることがオラには理解し難いって部分がある。理解し難い部分の大半は無駄が多すぎて気持ち悪くなるって意味での拒否も含まれるんだけどね。簡単なものを役人はわざわざ難しくするのが好きでしょ。高学歴の人が作ったものって、重厚長大で難解で見づらくて文字ばっかで読みたくないものが多いでしょ。

マニュアルってものはね。誰が見てもそこそこの理解力があれば取り掛かれるように説明を纏めたものなんだよね。昔はもっと簡単だったのかも知れない。でも、伝統工芸というカテゴリに収まると、その手順や工程を付加価値を付けるためにより精密で複雑で途方もない行程を増やしすことで差別化を計りたがる。

その結果、簡単なものが難しくなる。

実際のところ、手で作れるものなんて失敗を積み重ねれば何回かでできてしまうものだ。ただ、それには、失敗した状態がどのような失敗によって起こったのかを覚えていないと駄目だ。この辺の作業が苦手な人は何をやっても駄目。

何はともあれ一通りを見せてもらう。自分が真似してやってみる。見てもらって評価してもらって、何処をどのようにすれば良いかをアドバイスを受ける。また最初からやってみる。この繰り返し。最初の数年を雑用しかやらせてくれないところは最初の数日で辞めるべきだね。古い考えの職人はもう現代には不要だって教えてあげれば良いのだ。

いまはそんな時代ではない。

そして後継者になりたいという意気込みだけではどうにもできないセンスの問題もある。この感覚的なものは言葉や表現が難しいんだよね。色んな失敗や成功体験をしている人って自分が今やってる事の数手先の未来の行程が見えている訳で、そこで「あ、これは違うな~」とか、「あ、多分、これ失敗だわ・・・」ってのまで見えるんだわ。でもま、失敗もその失敗した結果が見たいというのもあるんだよ。もうね、失敗を恐れない人のほうが上達は早いけど、逆に失敗が多すぎる人はセンスがないんだよね。

得手不得手ってのは、とにかく色々と体験することからはじめないとね。

だから、迷ってるなら門を叩けってのはアリだとは思う。

何事もやってみないと自分に合うか合わないか分からないもの。

それが分かるのは、膨大な経験値を持っている人だよ。

やる前からできる出来ないまで分かってしまうから。

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