石江から三内に向かって道路真っ黒け
犯人は黄色い大型の除雪車。
犯人は黄色い大型の除雪車。
目の錯覚か、そこに実在したのが判断ができないものってあるよね。
量子物理学的に言えば「認識したので存在が確定してしまった」的なやつ。
ちょっと今は敏感になってるから、見てはいけないものが見えてしまうことがある。
うん、たまにあるんだけど、可能な限り見ないようにしているし、見てはいけないものは見たくないとブロック(意識外にする)こともある。
ただ、迂闊にもそれが緩んでると稀に見えてしまう。ボーッとしているときとかね。
特に疲れていると波長が下がるんでシンクロしやすい。
で、相変わらず視界の端々に見えるんだよ、それが。
うーん、夢に出そう。頼むから出てくれるなよ。
今あるものはその性能を上げることはできないが、些細な気づきによりその感度を上げると言うよりも感じ取っている全ての情報から特定の情報をフィルタリングすることでスキルは向上できる。つまり感度を上げることはできないが、分析は脳が行なっているのだから、脳の回路を最適化することで機能は向上しないが分析能力は上げられることになる。
気づきに感しては感性の問題である。どうしようもない鈍くて感の悪い人間にはそれを知覚することは難しい。だから、全神経を集中させることでそれを感知する切っ掛けを作って、それを任意のタイミングで使えるようにしておけば、嗅覚も聴覚も事実上は感度が上がる。何度も言うが、人間は見たいものしか見ないし見えない。聞きたいことしか聞かないし聞き取れない。でも、それは脳が処理しているのであって、それを上手くフィルタリングする脳の回路を最適化することで、今ある機能を最適化し、効率を最大化できるのである。
この感覚を理解できないひとはここで話は終わる。
ここまで理解できた人は、その先にあるものを感知することを鍛えよう。
人間の肉体の限界というものは感知できる範囲があり、可視光線の波長や音の周波数に限りがある。決して聞こえていない訳でも無い。見えないからといって見えていない訳でもない。実際には聞こえていないのかもしれない。見えないはずだけど見えているような感覚もある。そして聞こえているかのように認識できることがある。それがその先にあるもの。人間の感覚を超える領域である。
身の回りに居る昆虫や鳥や動物は人間の感知できる範囲より広い感知能力がある。我々人間よりも死が身近にある生き物はそうでもしないと自分の身が危ないからだ。オラが動物を先生と呼んでいるのは、その辺の感知に関してオラよりも優れているから。そもそも鳥なんて生身で自力で自分の意志で重力に逆らって飛べる。これだけで人間よりも優れている部分がある。逆立ちしたって人間は自由に生身で空を飛べない。だから鳥さんは基本的にオラよりも優れた身体能力を有しているので尊敬に値する。
自分よりも優れた相手を認めること。それに習うこと。観察して何を考えているか察して、行動と思考を読む。試して反復して、やり取りして、そして何かを掴む。その何かってのが五感の上にあるもの。先ずは敬意を払う。少なくとも対等に見る必要がある。人間が最も優れた生物であるなら、川や海で溺れたりはしない。そう、イルカやクジラではないのだ。同じ哺乳類でも。ただ、人間が数時間も潜ってられる筈もないので、イルカやクジラに習うのはまた別の分野になる。彼らは彼らの言葉を持っているが、それでも人間に対しては解りやすいように配慮してくれているわけだ。
動物と話すと言ってもダイレクトに日常会話をしている訳では無い。
彼らの感情や動作から、彼らがオラに解りやすいように何かを伝えようとしている訳で、それはある一定の知能がある動物であれば同じように考えている。そこをどのように人間が上手く汲み取って、彼らの会話にこちらが正しく行動できるかがまず最初のアプローチ。
ある程度のやりとりが進むと、彼らと共通の言語が使えるようになる。向こうは人間に分かり易く意志を伝えている。こちらも彼らに解りやすいように行動を返す。互いに何かを掴んでその辺は繰り返すことで習熟していく。結果として、そこらに居る動物とは概ね感情レベルでの会話ができる。直接的ではない会話ね。意思の疎通ってのはその程度のもので十分で、人間は言葉に頼りすぎるから理解に時間が掛かるかも知れないけど、実際はすごく単純なもので、それこそ感覚的にそのやり取りが可能だったりもする。
これが普通にできるようになると、また別の何かの意思が聞こえるようになる。実際には誰かが何かを言っている訳では無い。多分、動物なんかはこういうのに敏感なので、虫の知らせ的な何かがあると、異常行動を取ったり、一斉に逃げ出すとかで回避している。
オラにもこういう虫の知らせってのは届いている。今年のはじめに新潟に行かなかったこと。何か知らないけど行くなと言う感じがした。行くなら太平洋側に行けという意思を感じた。結果として能登半島地震の発生。オラはその時に岩手県宮古市に居た。だって、行くなという意思を感知してたので。誰に?と言われても知らんと答える。ただ、行くなという意思だけ聞こえていた。声じゃない。感じなのだ。
こういうのは結構あるので、細かく何かを回避している事が多い。対価が必要なのかは解らないし、ラジオのように勝手に発信されているものをオラが受信しているだけかもしれない。でも、動物の意思を汲み取るのも、こういった何かの危険を感じ取るのもほぼ同じ感覚なのでは?と思うことがある。まさかのまさか。災害に関しては地球の声が聞こえているのかね?
なにか知らないけど。何も根拠はないけど、そういったことが多いのは事実だ。鳥は寄ってくるけどクマは逃げるってのが良くわからない。オラ自身は人畜無害のつもりなので、別に大型の野生動物が攻撃の意思がなく寄ってくる場合には全く恐怖はない。それこそ、あるものをあるがままに見て認識して理解して疎通するだけなので。
普通の人間はクマが目の前にいるだけで恐怖が先立ってしまうとか、思わず声を出すとかが普通なんだろうけど、オラにはそれがない。まず見る。相手が考えていることを察する。それに応じる。向こうが関わりたくないと思えば見ないふりをするし、チラチラ見ながら立ち去ってるのなら、視線を敢えて外して見ないふりをする。
こんなの繰り返してたら、動物からは何か知らんけど自分の考えを読んでる変な人間くらいに思ってるか、オラを人間として見なしていないのかも知れない。だって、普通の人間は動物が考えていることをいちいち読み取って別け隔てなく忖度しない。猫相手ににもクマ相手にも同じ態度をとれる人間が居ないように。
スズメ相手もカラス相手も同じだし、犬相手でもタヌキ相手でも同じ。キツネでも同じ。ウサギでもカモシカでも同じ。考えて行動する生き物相手なら何でも同じ。ああ、ヘビでも同じだから。オラは相手を選ばない。
結果として、何でもかんでもコミュニケーション対象にし続けた結果、多分だけど、何かとも同じように何かを感じ取ってる状態になってる。それが何かは分からないけど、虫の知らせが何かなのであれば、その何かからも何かを受け取っているのかも知れない。
ちなみにオラは別に妄想癖があるとか、中二病をこじらせているとか、電波が命令するんだー!とか、悪魔が常に囁いて来るとかそんなの無いから。何かが何であるかはどうでもいい訳で、意思の疎通の意思があるなら相手が何でも下には見ないし、忠告を受ければそれを聞くつもりではいる。
山に入ると稀に「これ以上来るな!」という強い波動を感じることがある。これ以上行けない壁のような圧。オラはそれに逆らったことはない。そしてそれは何か危ないことがあると認識しているので素直に引き返すこともする。馬鹿じゃないんだから、嫌な感じがするけど気の所為だからこのまま進もうとか死亡フラグを立てるつもりもない。なにか危ないという感じは信じた方が良いし、それが気の所為であっても素直に応じている。それが全ての危険回避に繋がっているし、オラが安全だと思っている内は間違いなく安全である。
ちなみにいきなり何かに威圧されたこともあるよ。女願掛岩の裏には廃道がある。オラは怖いもの無しというか、ある程度のリスクには対処できるので普通の人の10倍くらいの危険にも安全に対処ができる。
そのオラが崖の手前でいきなり腰を抜かした。不意打ち食らったというか、その何かがオラの下半身の力をいきなり奪ったのだ。立てない。自分の意志ではどうすることもできないほど足に力が入らない。あれは流石に怖かった。あれで益々敏感になったね。
あああ、やはり「何か」ってのは居るんだなと。そういうのもあってさ、自分の感知できる感覚というのは最大にアンテナを張ってはいる。ほぼ常に張ってるけど慣れたので些細な何かには無意識に気づくようになってる。だから嫌な感じを察知すると自然と回避しているし、危ない何かを感じると止まったり徐行したり。そういうのが当たり前になってる。
もうほぼ自動化。素直に感じて逆らわず回避あるのみ。嫌な予感レーダーみたいな何かの感。感覚とかそういうのでもない。感としか言えない。勘ではない。勘はものづくりで経験によりこうした方が良いのではないかというのが勘であり、オラの感というのは感じるとかの曖昧なカテゴリだ。
今のところはオラの第六感というのは弱いものではあるが、その嫌なものを避けるというアンテナだけは結構有用なスキルでもある。
それにオラ自身がオラの感覚器官だけを頼りにしなくても別に構わないんだ。先生たちの行動や鳴き声がそのままオラには感情という言葉として聞こえているのだから、彼らから見えているものがオラにも共有化されている状態。カラスとかスズメの場合はある程度言葉もわかるので、それが急を要する場合は手助けもする。今なら多分、かなりレベルが上がってるので、穏便に対処が可能かもしれない。
まあ、目指すところは人間と動物の間に立つってことだけどね。一方的に自然を破壊して奪っている人間にはその義務があるとは思ってるんだよ。少なくともオラにとっては意思疎通の能力がある動物にオラが可能な限り手を貸しても良いと思ってる。
野生動物に人間が手を貸すべきではないとか言うけどさ、野生動物から散々ものを奪ってる人間の言葉じゃないよねぇ。だったら、少しは話の分かる人間が彼らから助けを求められれば手を貸すくらい別にいいだろ?って話でもある。
そのために鍛えている感でもある。
何にしても、それがどういう仕組でどのように機能しているかを知っている人は、少しの工夫で何とかしてしまうけど、良くわからない人はどうやって機能しているのか分からないので何時まで経っても失敗し続ける。
成功体験の多い人は、工夫してなんとかする癖がついているけど、成功体験の少ない人は工夫の仕方そのものが分からない。
オラみたいに50代半ばでも、今まで散々アレコレやってきて、機械にも強いしアプリやソフトウェアなんかも何百何千何万と試している人間にとっては、お約束事項が守られているソフトウェアについては説明書も要らない。見れば解るように作られているから。
それでも分からないソフトウェアってのはそもそも仕様を決める段階で、使用者のことを考えていない頭がおかしい人が設計しているから無駄が多く、どこに何があるのか普通とは違うことをしているので、そもそも最初から意味不明なことが多い。毎日使うものがそんなクソみたいな仕様になっているのに、それを改良しようとも思わない人も相当頭が可笑しい。
単純に言うと、説明書が要るようなソフトウェアは最初からクソなのである。
見ても何が面白いのか分からないので見なければ良いじゃんとか言うけど、道路を封鎖されて実害が出たことが何度も何度もあるので、ハッキリ言って、弘西林道とか十和田湖の周りでも走ってろと言いたい。
加えて参加者の交通マナーが悪い。練習と言って公道を走るのは良い。車道走るなクソボケ!。歩道がある道路は、歩行者は歩道なんだよ。車道走るなクソが。
ということで、マラソンとか駅伝が大嫌いになる。そういう仕組。参加者のマナーでスポーツそのものが悪になるのだ。あと大会主催者もクソね。道路はみんなのもの。一時的でも専有するなよ。非常に迷惑なんだよ。
同じく競輪もクソ以下。道路で練習するな。一列に並べ。山間部などは時々脇に寄って後ろの車を先に行かせろ。ホンズナシ!。
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考えることを放棄した人間は不幸になる。そんなに難しいことではない筈なんだよね。
物理現象なんて身の回りでいくらでも眼にできる。そして中学校を出ている脳味噌でも少し考えれば深刻な事故になりかねないことも解る。
オラがいつも言う。一般人は理科や科学や物理学に非常に興味がないという事実。
理科も科学も物理も身の回りで起きていることなんだよね。
だから、これらをきちんと理解出来ていれば、この程度の予測はできる。
理科や科学や物理なんて世の中に出ても役に立たない??? はぁ? 身の回りで起きていることはまさに理科であり科学であり物理なんだよね。事故も料理も。機械工学まで学べとは言わないけど、見れば解る構造を表面しか見ないことで手足を失う案件も多いね。ベルトコンベアに巻き込まれるとかさ。エレベーターに巻き込まれるとか。
世の中の事故ってさ全部、人間の「面倒くさい」が引き起こしているんだよね。
バイクなんて小さいもの。トラックのミラーに写っても米粒も良いところ。
自分がどのように視認されるか理解していないバイク乗りは、自分が見えていいないと認識しないと駄目。それに一定数が急加速とか車を縫うように追い越したり、先のカーブで対向車が見えないのに追い越しをかけるアホが居る。
あと、右カーブでセンターラインを踏んでるクソドアホ。体が対向車線に出るでしょ。
頭を対向車に打ち付けたいんだろうね。どんな自殺願望者なんだろう。首がとんでも知らんぞ?。
転んだら死にかねない乗り物で無謀な運転をするヤツが目立つ。
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あと、そういう馬鹿に多いのが「消せない筈のライトを消して走行している」ってこと。スイッチ後付でOFFにしているんだよ。今のバイクはライトを消せないんだよね。
ただでさえ視認性が悪いのに、ライトを故意に消している馬鹿は死に急ぎだと思うんだけどね。
自分も原動機付自転車のバイク(スクーターじゃないよ)で散々乗り回してたから言えるけど、きちんと自分の安全を確保して、車はすべて敵だと思わないと自分の行動や、相手の無謀な運転で死にかけない。そういう乗り物だよ。バイクってのは。
どうせこのバイクもそういった無謀なひとりだと思うけどね。
意識低い系に多い。周囲の動きに自分がどのように影響するか考えない人が居る。
うちの母親も車を下りるのに偉い時間が掛かる上に、オラが発進しようとしてもまだドア付近で立ってるんだ。文句言うと、直ぐに動けないと言う。そのすぐに動けない原因は高齢ではなく本人の意識が低い故に自分の身体をコントロールできるだけの筋肉を維持しない努力と、思考放棄によるもの。それを高齢だからしょうが無いと自信を持って言う。
いや、自分を世界標準にするなよ。
意識が高ければ、そんな愚行はしない。なにせ危ないからだ。その危ないという状況を認識できていないのだから、車を降りたらすぐに離れるという行動ができない。行動をしないことを続けているから、車から降りて直ぐに車から離れるという行動を起こさない。行動を起こさないから行動を起こす必要がある時にすぐに体が動かせない。
都合が悪くなると歳だから。しらねーよ。
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轢いた人。自業自得です。発進前の車両一周確認は業界標準ではなく、当たり前のことです。それを面倒くさがるとやらないことが当たり前になって、そして今回のようなことが起きます。轢いた人が可哀想であるが、そういうことです。
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店構えとか、なんかコロコロ名前が変わるんで怪しいなと思ってたけど、やはりというか、ほれ見ろというか。
うちの近所にもあるけどさ。利用を考えちゃうよねぇ。
リスクそっちのけの記事が多いな。
危険感受性とは、予測行動である。
ある行動に伴う危険を先読みし、その危険を排除した行動。或いは行動そのものを取りやめることで自身の生命と健康。或いは同様に他人を守る考え方ができるかできないかの程度を示すもの。
つまり、危険感受性が無い。或いは弱いということは、自らの過ちにより自身または他人を傷つけたり殺傷してしまう行為に疑問を持たない。或いは考えが至らないということ。
逆に危険感受性が高いと、自身が自己や怪我に見舞われにくい。或いは避けられることになる。同時に自分が加害者になる行為を避けて自身の生活を守ることにも繋がる。
<訓練方法>
絵や写真。動画などで状況を示してその中に潜む危険を見つけ出し、自分の行動を規定する。
できるだけ多くの危険を洗い出す。
場合に依っては複数の要因。或いは連続したリスクが含まれていることがある。
最後に、危険を復唱し、それに対するリスク回避の方法を復唱する。
<そもそも訓練が必要ない常識破りが原因の場合も>
何時も言ってる「理科や科学や物理を馬鹿にすると死ぬ」ってやつです。
火を燃やせば酸素がなくなり一酸化炭素や二酸化炭素が生まれる。意識を喪失してそのまま続くと死亡する。家の中で発電機を使用して酸欠にて死亡。
空気より重い二酸化炭素溜まりで呼吸することで一瞬で意識喪失。死亡する。炭酸水の湧き出る井戸に顔を突っ込んで湧き水を汲もうとし、二酸化炭素を吸って一瞬で意識喪失して死亡。
キャンピングカーの中で炭を使ってBBQをした。換気が不十分だったので不完全燃焼により一酸化炭素中毒で死亡。換気の悪い場所。密閉空間で火を使ってはいけない。
足の着かない川に飛び込んで、流され沈んで死亡。人間は水中で呼吸できない。人間は水中で陸上のような活動はできない。(淡水は海水より浮力が弱い)
大荒れの海の防波堤で釣り。または防波堤に当たる波を見物し、波に攫われ溺れて死亡。人間は水中で呼吸できない。波の威力を舐めてはいけない。
雪の降る冬。停電になったので車でエンジンをかけて寝たら車が雪で埋まって排気ガスが車内に充満して死亡。常識の常識。
<ヒヤリハットの経験による再発防止>
事故になる未満。つまり未遂により次回に繋げること。交通弱者は交通ルールを殆ど守らないという前提があれば、楽観的にならずに済む。いくら歩行者や自転車が悪くても道路交通法では基本的に車が悪者になってしまう。事故るなら自爆で物損が望ましい。
同じように相手が車である場合も、自分より遥かに運転技能や危険感受性が弱く、運転技能が著しく劣る人間も車を運転しているし、中には非常に頭がイカれた人間による無謀運転。ボケたジジババの逆走やペダルの踏み違い。ありえないタイミングでの飛び出しや割り込みと信号や一時停止の見落としや無視があるということ。
あれだ。青森って県外就職するやつメチャ多いから実家に米を送ってくれってやつがわんさか居るんでしょ。だからスーパーからまっしぐらも、はれわたりも消えるんだよ。
何で青森のスーパーに秋田産のあきたこまち10kgしか置いてないんだよ。
これは異常事態だね。
車でだら〜ってしてるとカラスとかスズメとかハクセキレイとかが近くを通る。
子どもたちに自由参加型の何か教育プログラムをやろうという話になったとする。
とりあえず地域を絞ってそこの中高生にプロジェクトの立ち上げ方とかその方法をオンライン授業で教えるとする。
ここで重要なのは、誰に対しての教育か。ま、ここでは中学3年以上の中高生ってことだけど、いきなり「プロジェクトうんぬん」な用語はよろしくない。
ま、プロジェクトは使っても良いとしよう。ただ、そのプロジェクトってのが何を指すのかの事例がない募集はどうかと。
あと、参加費だよね。ポスターになーんも書いてない。集まるわきゃない。
世の中、やたらと横文字を使いたがる人が居るけど、わかりやすさと具体性。これを受けることで何ができるようになるか。そしてこれを切っ掛けにどういった活動の立ち上げができるか。
或いは立ち上げる事前の用意。何にしてもカネは掛かる。それをどうするか。集め方は?。無料でやる方法はあるのか。拡散の方法は?。
そもそも、子供たちが地域をどれだけ知っているかで地域への疑問や課題というものが見えなかったり見えたりもする。
目的の見えない教育プログラムの募集はどうかと。
【速報】8歳の男児1人が意識不明の重体 キャンピングカーが上信越道で横転 計3人が病院に搬送
山を歩いている。
体長80cmの子熊2頭が藪から出てくる。
オラは何もせずに見ている。
子熊は藪に戻ったが直後に体長120cmくらいの親熊が現れる。
オラは立ち去ろうとするがいつまでもコッチ見てるので何をトチ狂ったのか、棒で親熊の顔をアッチ向けとグイっと押す。(普通はしない)
夢はそこで終わるも、覚醒する時に寝てる左のドアをガリガリと引っかく音で目が覚める。
え!嘘!? 正夢??? と思ったが、スマホの目覚ましのバイブレーターがドアの鉄板に当たって音が大きくなってただけ。
最悪の目覚めだな。
それにしても、棒で熊の顔をアッチ向いてホイなんてあり得ない。そんな初対面の相手にすることではない行動をなぜ夢の中でやったのだろうか?。その辺が理解できない。
しかも子連れの母熊だしよ、一触即発の状態で互いに刺激するとかしないべ。
夢ってのは自分では絶対にしない行動までもしてしまうんだな。
棒で顔を押されたのに襲ってこない熊も熊だけど。それはリアルじゃあり得ない。
何か夢にしては映像が偉いリアルだった割に中身はチープなんだよな。