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2010年7月30日金曜日

秋葉原無差別殺傷事件のニュースを見て

記憶に新しいのに、もうそんなに経ってしまったのかと思う。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

加藤被告の釈明は道徳のかけらも無く身勝手で到底理解できるものではありませんが、この事件の教訓としては、無関心が事件を大きくしたのかも知れないと思えることが多々あります。

刃物を持った人が歩いていれば、普通は気付いた人が叫ぶか取り押さえるところですが、周りにあまりにも無関心ということがこれほど多数の死傷者を出したのかも知れない。

ドン!という音に気付かないはずも無い。トラックで次々と人を跳ねた音はそんなにどうでも良い音なのだろうか。人が轢かれた時点で誰か叫ばなかったのだろうか。誰も叫ぶ必要が無かったのだろうか。
「人が轢かれたー!誰か救急車呼んでー!」これだけでも充分に周囲の関心を引けた筈だ。

轢かれた人の介抱に誰かが着けば、それを見た人が轢いた人の監視に回ればいい。
加害者が逃げるかもしれないし、突拍子も無い行動に出るかも知れない。
そういった行動がすぐにできる人がその場に5~6人居れば、ここまで犠牲者が増えずに済んだかも知れないのだ。

この事件の後も模倣犯が出没しているだろう?。
その事件も被害者が一人出た時点で誰かが行動に出ていれば犠牲者は少なく済んだかも知れない。
このような悲惨な事件を最小限に食い止めるには、大声で周囲に知らせる人。応急処置を施す人。そして犯人を取り押さえるか、袋小路に追い込む人が必要だと思う。

オラは声もデカければ、応急処置の知識もあり、100kg超のくせに柔軟な体と瞬発力+攻撃力を有している上に視力2.0以上で動体視力も常人よりかなり優れている。
状況が状況なら危険を覚悟で犯人を取り押さえる(もしくは行動不能に貶める)だろう。

皆に危険を承知で犯人を取り押さえろとは命令できる権利も資格も無いが、せめて周囲へ危険を叫んで知らせるくらいは誰にでもできるだろう。
これがこういった人ごみを狙った無差別殺傷事件が発生した直後にどれだけ人の命を救えるかに掛かっていると思う。

オラの目の前でこういう事件が起こったら、被害者と介抱している人はオラが死守してやる。
そのくらいの気持ちをいつも持っている。
それでオラが死ぬことになってもだ。

( ´(Д)`)y━~~~ この世に未練はあるけどな。 それで死ぬならオラがそれまでの運命ってことだよ。

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