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2023年10月11日水曜日

出鱈目なキャンペーンはやめたほうが良い「ホタテの消費拡大PR」

 だから、半成貝は足りてないのに食って応援はおかしい。成貝が余ってるのに市場には出回ってない。半成貝を消費拡大しても意味がない。情報は正しく。やらせのPRやキャンペーンはやめるべき。

県産ホタテの消費拡大に向け 全店で「県産ホタテ」フェア ユニバース

ちなみに成貝の貝柱の刺し身は3個分を半分にカットして冷凍したものは売られているが、500円と非常に高価である。キャンペーンやる気あるのかと。

ほたて広場では7~8枚入り(1Kg)で650円くらいが普段の相場。現在の価格は不明。余ってるのに高く売ったりするのは全然応援になってない。協力させる気があるなら安く売れよ。じゃなきゃ道化のようで苦笑するしかない。

勘違いするな、迷うやつは迷うんだ。コロナは関係ない。「平川市切明でキノコ採り73歳行方不明」

 ま、現場は山奥だな。

100人体制で捜索ですか。どこかの元、偉い人ですかね。そんなに人が出るんだ。

確かに停めた車から四方八方に大人数で人海作戦ってのは効率が良い。せめて入った方向が分かれば捜索もし易いでしょう。で、警察犬は?。車を開けて犬に車のシートを嗅がせてGO!って方が早くないですかね。こういうのは犬に勝るものなし。

山菜採り捜索の専門部隊でも作ったらどうなんですかね。できるだけ若く機動性の高い中型犬くらいのを殺処分から救って訓練。警察がアレなら警察からの外部委託で県からの補助金を貰える感じで。山菜採りだけではなく、キャンプ場で行方不明になった子供の捜索とか、八甲田周辺での行方不明者の捜索もできるでしょ。ついでにクマの出没も増えているから臭いを辿って寝込みを仕留めるとか。

行方不明のキノコ採り男性未だ見つからず 青森県内の山菜・キノコ採りの年間遭難者数は過去最多に

コロナ明けは関係ないな。逆に三密回避で山に入る人はコロナで一気に増えたでしょ。今回の人はベテランのようだし、オラと同じソロで山に入る人のようだ。ただ、年齢的に体力はどうなのかは知らない人なので何とも言えないね。

キノコ採りの70代男性が行方不明 8日朝から青森県平川市の山に入る 10日も100人態勢で捜索

お、イッヌ登場。初日に居なかったのかね???。最初から出すべきでしょ。雨降ったら臭いが消えるんだから。どういうマニュアルなんだろうね。

キノコ採りで行方不明の73歳の男性 山中で見つかるも死亡確認 青森

「車が見つかった場所から西に約800メートルほど離れた場所」

はぁ?800mだって? トレッキング?。それともマタギみたいなことしてたの?。遭難するくらいなら自分の体力に見合った行動半径にしとけばいいのに。

山で迷わない方法なんて簡単すぎるんだよね。オラはコンクリートジャングルなら遭難する自信があるぞ。それに比べて山の中じゃ目印にできるものは非常に限られている。あと、地形や沢、特徴のある木なんかも道として認識するには十分だ。

山で体力が尽きるというのもあまり理解できないな。何かの持病があったのでは?。心臓とか気管支関連のね。9日に遭難して11日に遺体で発見であれば、低体温症が最も有力だけど、迷ったのか、体力が尽きたのか、怪我をしたのか、クマに襲われたのか、全く不明。

依って、何も判らん。迷うほどの距離でも無いし。迷う理由も見つからない。

平川市の山にキノコ採りに入った男性 遺体で発見

遺体には、クマといった動物に襲われたような目立った外傷はなく、警察が亡くなった原因などを調べています。

ほう。病気→動けなくなる→低体温症 ですかな。

キノコ採りの73歳男性 遺体で発見 沢の中で倒れていた 8日から青森・平川市の山に入る

ほほう。心筋梗塞ですかな。或いはヒートショック。

キュー!ってなって、バタン。

八甲田・十和田湖周辺の風力発電事業の白紙撤回成る。「ユーラスエナジー(トヨタ関連会社)は引き続き青森の自然を破壊する宣言」

ということで、青森県の各自治体はトヨタの車をボイコットして欲しいものだね。

ほんと、絶対に買いたくない車のひとつだよ。トヨタは。

あんなもん(風力)作ったら十和田湖も奥入瀬渓流も濁るだろ。

そして切り崩した場所から斜面崩壊が始まって(以下略)

"ひじょうにうれしい" "安心した" 八甲田周辺の風力発電 事業者が計画を撤回 自治体や県民の受け止め

既に着手してしまった部分の自然回復は困難だ。原状回復するように訴えて欲しい。

人間視点かと思った。ま、実際そうなんだけど。「動物より人間のほうが怖い」

 一番怖いのは...人間 野生動物 なぜおそれる 最新の研究で判明

↑これは日本語がおかしい。

人間が「一番怖いのは...人間」。「野生動物」を人間は「なぜ恐れる

という解釈もできる。しかし、このタイトルはこう言いたいらしい。

動物が「一番怖いのは...人間」。「野生動物」は「なぜ」人間を「恐れる

切り方もおかしい。主語が抜けている。不自由な日本語ですね。外人さんでしょうか。


最新の研究も何も、人間から見ても動物から見ても人間が一番怖いでしょ。

動物と違って何を考えているか分からないのだから。

動物が動物を怖がるのは弱肉強食という視点。

ただし、彼らは無駄な殺生はしないので、腹が空いていない時は意味のない狩りをしない。

人間が動物を恐れるのは、人間が動物の思考を読めないことで単純に予測不能で怖がるから。特にクマやイノシシは日本では脅威でしょうね。力の弱い人間が普通だそうです。

動物が人間を恐れるのは、人間をよく知らないということもあるけど、動物に動物の視点で接すれば彼らは観察に留める。何か頼みがあればお願いして来ることもある。

ニュースの中身に沿えば

そりゃ密漁が盛んな場所ではそうだろう。ただ、彼らの嗅覚は鋭いから、知っている人間に対してはそうでもないとも言えるのでは無いだろうか。タイトルの日本語に日本なのか外国の何処なのか書かれていないから日本の事だと思ったぞ。

オラが人間を怖いかと聞かれたら

馬鹿は怖いね。うん、馬鹿は底抜けに馬鹿だから怖い。なぜ怖いかと言えば正当防衛を発動した時にうっかり殺してしまわないかという点で怖い。

仮に書類送検されて裁判で無罪になっても、貴重な時間を浪費することが怖いし、オラ自身は何も変わらないのに、他人から見られる目が怖いね。

それが通り魔駆除など英雄的行動に依るものであれば何ら気にすることも無いのだろうけど、馬鹿に絡まれることが一番怖い。犯人にも馬鹿にも人権はあるけど、死んでしまった被害者には人権がないからね。

クソ以下の人間を殺してしまったとして、オラが無罪確定になったとする。オラが人間を殺してしまったことで後悔するだろうか。

答えは「いや、全く気にしない」なんだよ。人間を人間至らしめるのは理性であり、欲望のままに他人を死傷せしめたり、金品や財産を奪い、その上で襲いかかって来るとしよう。

それを人間と呼んでも良いのだろうか。それは単に欲望に自制の聞かない人間の形をした動物(害獣)であるとオラは認識する。依って、オラに理不尽に襲いかかってくる生き物を死傷(駆除)せしめることに何を躊躇う必要があるのだろうか。

同様の状況下でもしも苦しんでいる人が居るのであれば、自信を持って言おう。

「貴方は誰がなんと言おうと正しい行動をした」ってね。


そういえば、アニメでも同様の状況に苦しむヒロインがいましたね。ガンゲイル・オンラインに嵌る少女は、かつて幼少の頃、郵便局強盗から偶然奪った拳銃で、犯人を撃ち殺してしまい、それがPTSDとなり苦しむが、ソードアート・オンラインの主人公キリトが彼女とタッグを組みながら打ち解けて、彼女の心の傷を癒やすって感じ。キリトもゲーム上で人を殺せばリアルでも人が死ぬソードアート・オンラインで生き残ったSAOサバイバーであり、彼女と同じような悩みを抱えていたってやつ。


あ、ちなみに動物に関しては襲ってくる動物に防御でやり過ごすには余りにも危険。動物の攻撃は必ずしも強いものが弱いものに襲いかかるわけではない。カラスでもそうだけど、攻撃することで自分が逃げられる可能性を高くするために弱い動物も強い相手に攻撃を加えるんだ。カラスなんて500~1000グラムの間くらいだし。数十キロの人間がチョップ1発でもすれば簡単に骨折する。

最近多いクマが人を襲う件。ハッキリ言おう。体長70や100のツキノワグマはデカい犬だと思えば、反撃により相手を退散させることもできる。ただし、人間側があまりにも非力だと効果は薄い。だけど、何もせずに食われるくらいなら、ヤケクソで一発キツいのを御見舞する価値はある。

同時に、それは人間の形をした動物にも言える。

まずは心構えの問題だよ。

常に心せよ。

いざという時に動けない人間は弱い。動ける人間は弱くても強い。


オラか?。喜々として迎え撃つけど。持久戦には持ち込みたくない。最初の一発を如何にあいてより早く、強く与えるか。

そもそも、オラはクマに遭っても動じないので、「何もしない」「そのうち相手が勝手に去る」ってこと。基本的にオラは動物の感情を読むのが得意だし、動物の考えていることを察することが得意なので。だからこれまで襲われてもいなければバトルにもなっていない。

オラを襲うリスクは相手も考えているってこと。

仮にオラを襲って勝てるとしても、オラ自身が無害な態度を示している限り、相手は恐怖を感じることはない。だからいつも観察されて終わり。

初見でオラを「マジやべぇ何か居た!、ぜってー勝てない!」とか感じたクマはオラを見た瞬間に逃げるだけ。オラのオーラって動物にはどう見えてるんだろうね。

2023年10月10日火曜日

母グマにトドメ刺されてグッタリ中

頼まれてたバター(業務用)500g×2個(2700円)を届けてトンズラしようとしたら無理矢理どっか連れてけとゴネられ、360キロほど走った訳だが、相変わらず地理が赤点にも満たない酷い有様で、城ヶ倉の黄葉(まだ先)を見たいとか言い出し、その後は海が見たいとか言い出す。


おう、気づいた人は偉い。城ヶ倉は県の真ん中だ。酸ヶ湯とかの近くな。
海はそこから実家を挟んで西に遥か遠い。距離感が母グマの中ではワームホールでつながってるらしく、オラ自身が青森市を起点に実家まで60キロ超なのは無視して360キロ。詰まるところ、オラは朝の5時から今(16時)まで480キロ走ったことになる。ガソリン消費量22リットルだ。22×164円=3600円。
(青森市浪岡JA−SS)

経路は簡略化するが、主に山の中を走れという要望で、産直と道の駅を網羅するとだな。

青森市ー弘前市ー碇ヶ関ー黒石ー城ヶ倉大橋ー黒石ー碇ヶ関ーアップルロードー獄温泉ー鰺ヶ沢ー日本海の防波堤(出来島)ー十三湖ー鰺ヶ沢ー獄温泉ーアップルロードー弘前市ー青森市。
(彼方此方の寄り道あり)

今日は7時30分〜14時30分も助手席に母グマを乗せてる。トイレは5回だ。飯はとさやのみ。
津軽エリアの郊外の幹線道路にあるトイレは全部頭に入ってるが、流石に電池切れしたオラも今日ので過放電だべ。

そうそう、秋田のさてつさん。来たてみたいだね。周辺の5地点に行ったけど居なかったがとさやには9時に着いたんだよ。
もしかして帰りに和歌山に寄ったかい?。同車種がチラッと見えた気がした。

また今度ね。

今日はエネルギー補給は程々に。
萱野高原でおでん食って雲谷温泉のつもりが、結局3日連続で十三湖に行く羽目に。
おでんも温泉も予定はパーだった。
朝おでん。温泉。昼おでん。昼寝。夕おでん。温泉のつもりだったのに。
ガソリンも多く見積もって7リッターで済んだ筈なのに。加えてクマが出たら撮影しようと思ってた。

唯一の救いは、途中で十三湖河口北にまた大量の石が上がってて、母グマは助手席に30分放置で全力サーチ&採取したところ、珪化木、玉髄、碧玉をショルダーバッグに満杯拾えた。結構な質と量だ。とりあえず写真は後日。

本当は眼を休めるつもりが、何故か鰺ヶ沢〜十三湖までは晴れだったので、鬱憤晴らしに全力で200メートルを往復。10分でほぼバック一杯になる量が落ちてたよ。小さいのはほぼ無視してもだ。

ま、今日、石拾いに来た人はラッキーだったかもよ。

いま、と言うか。弘前の実家に着く前から今まで雨が降ってる。

寝るぞ。

起きた

帰宅後に水風呂して汗を流し、クレゾール石鹸液入りボディーシャンプーでガッツリ汚れと雑菌を落とし、しっかりと栄養を摂って、石拾い時に酷使が足りない部分へ負荷を掛けて、仕上げはニベアローションで日焼けした肌をケア。


今日は動画も音楽も不要なくらいいきなり寝落ち。仕事の披露と遊びの疲労は質が違う。多分、家でゲームやっての疲労って仕事(デスクワーク)の披露に近いんじゃないのかね。
ゲームは10年以上前に卒業してるんで、遊びはアウトドア全般。
外でうまい空気を吸って、運動して、外食して気分爽快。最近の筋トレを意識した遊びで任意の筋肉に負荷を掛ける方法で有酸素運動も効率化。

自分の体のコントロールは、どこの筋肉に負荷が掛かっているかを把握し、姿勢のコントロールで無理な姿勢でもバランスを崩さない。その踏ん張る筋肉は非常時に生死を分かつ可能性だってある。
そして、その無理な姿勢でも静止できるだけ筋肉を鍛えられれば、相手の攻撃を避けたり受け止めたときにも転倒しないようにもできるのではないか。

足元が柔らかい場所は筋トレに最適だ。足が埋まらないように足裏で砂を捉える感覚で踏み出す力が最高の角度を一歩ずつ確かめる。慣れると砂の上でも早く歩ける。

最近ご無沙汰の岩場の散策は、砂と違って接地面積は最小。足裏の一点に体重が掛かる。可能な限りつま先の中心に接地を心がける。踵は使わない。脹脛とアキレス腱だけで全体重を受け止めて自分を前に打ち出す。

足裏の感覚維持は絶対に必要。これができない人は。というより出来なくなってる人は老化がかなり進行してるね。何も無いところで転ぶという得意技を発揮する。

躓いたらもう片方の脚を前に出して踏ん張ると転ばずに済む。凄く当たり前で簡単な事だ。何故できない。答えは単純。
自分を鍛えずして何時までも若いと勘違いしてるから。根拠のない自信でいきなり大怪我するタイプだ。で、そのまま寝たきりになってボケて二度童子(にどわらし)。

オラは絶対に嫌だ。衰える速度以上に鍛えてやる。今のままだと筋肉が多過ぎるので、ちょっと試したいことがある。理論上は正しい。むふふ。

2023年10月9日月曜日

今週はもういい。疲れた。

この辺の海岸は様々な種類の胡桃流れ着くものも食べていたのだろうか。本気で拾うと軽く洗面器に山盛り行くんで、石が打ち上がらないときは胡桃を拾うという手もある。

縄文人も海に流れ着く錦石を拾ってたのだろうか。そういう物は出土してないようだし、縄文人のアクセや石器にはこの辺で取れる玄武岩や流紋岩のようなものも多い。

この辺の植生。漂着物や豊富にある砂を見て思う。錦石を現代の道具を使わずに加工する案が思い付いた。証明するにはスペースも、暇も無いが、多分、やろうと思えばできるだろう。石器作ってみたいな。

14:00。腹が減った。軽い食事。
おやつにりんごと栗が出てくる。
今年の初物。

思うのだが、この辺のどんぐりは、圧倒的に【柏の実】多く取れる。量も凄まじい。
これを加工して縄文風の不味い特産を作れないだろうか。え?何で不味い必要があるかって?。オラは当時の飯は味よりも栄養価だったと思ってるし、食えるものなら味を気にしないから。

何でも土産って美味しければ良いって訳じゃ無いよね。話のネタでも良いから、当時の飯の味を再現するとこんなに不味いってのを知りたい。

無論、美味しく作ろうと思えばできるだろう。でも、それだと手間が掛かりすぎる。
当時の人がそれほど時間と手間を掛けても食ってただろうか。せいぜい海辺なら塩味だよな。煮る、焼くくらいで蒸すってのは葉っぱに包んで土に埋めて上で火を炊くくらいでしょ。
結構、シンプルだったのでは無いのか。
であれば、食えなくもないってレベルで良いのでは。

さて、明日は雨だしな。
ゆっくり温泉にでも浸かって、おでん食って過ごすか。

磯松海岸 南側は60%

手前は薄い
奥まで砂地をよっこらせ。
奥は十分な量。
これで強風の山背と干潮なら100%
岸から5mくらいに中型の珪化木が打ち上がってた。

磯松川河口 70%

少し流された。でも散策には十分。

起きたら眼の前にカラスが居ました。

ん?
おっ。
あっち向いてホイ
あっち向いてホイ
あっち向いてホイ
あっち向いてホイ
口の中が真っ赤な子連れのハシブトガラスでした。
クチバシのカーブが微妙。オスならこの積極的な態度に納得だが、一声も発しない。
子供はお強請り鳴きで分かる。

そういや前にも食いもん強請ってきたな。
何を見分けてるのか。それともカラスを嫌がらない事が見分けの基準なのか。

車じゃなくちゃんと顔を覚えとるのかよ。半年以上前だぞ。

頭の良い子は好きだ。

黒かりんとうを進呈。

十三湖河口北 津波の塔

津波の塔の裏がすげー。

2023年10月8日日曜日

とさそとめやち 60%

掘れば出る

とさやで飯

満腹だべ

磯松川河口 80%

磯松海岸 20%


流されてた。
波が強すぎたんだ。

今日は大坂から3人来てる。

2023年10月7日土曜日

読み通りだべ。明日は石が上がるぞ。

強烈な西風で寄せられた石が北風で南下。
その後に弱い山背で波が消える。

つまり、最強の石拾いパターンじゃね?

衛生管理のキャパオーバー?。生産能力以上の弁当を売ろうとしてこうなった?

 注文の受けすぎが原因? 老舗弁当店が食中毒で「営業禁止」処分に 専門家「二つの菌が出るのはあり得ない話…防げた事故」

欲張ったらこうなった・・・的な話のようだが。

平日1日約6000個を製造していましたが、連休前日の15日はその約3倍の1万8816個が製造・納品された。

 普通の弁当工場では、ご飯を仕入れるというのがあり得ない

製造・衛生管理できる範囲でやっていれば、手の届く範囲で済んだが、炊飯を外注しなければならないほどに大量に受注した結果、岩手の業者が手を抜いた。更に現場の手が回らずに管理がキャパオーバーして省略しちゃった。テヘペロ案件。


つまり吉田家で注文を受けると判断した人間が諸悪の権化であって、温度管理を怠った担当者が罰せられる問題ではないということだな。

  • 直接的な原因(現場が衛生管理まで手が回らない:オカズと米飯を駄目な下請けに発注)
  • 管理的な要因(キャパを超える注文:利益に目がくらみ、現場を無視して目先の利益に走ってヒャッハー!)
  • 管理的な要因(人手不足:今いる人間だけでやれば雇わない分の人件費が浮いてヒャッッハー!)
  • 物的な要因(温度管理できない車両を使用した岩手の下請(まだ事件にはノーコメントで営業中))

結局は強欲が招いた大事件ということでした。八戸市のお株は大暴落です。駅弁の指定業者から外しましょう。殆どが八戸も青森も関係ない名前の弁当です。ちゃんと北海道で作ってください。

これが犯人「北海道出身の「吉田屋」は、なぜ青森・八戸の駅弁業者になったのか?」

吉田家についてはみんなで潰れるように働きかけるのが良いでしょう。どうせトップが変わっても一族経営です。何も変わりません。またやらかします。

  1. 青森県の大事件としては、記憶に新しいハシモトホームのパワハラ自殺事件。症状という賞状を発行し社員をコキおろした無自覚の大人のいじめ。未だ反省していない。
  2. 過去に青森県果工(県とは名ばかりで民間の一族経営)で、その後にオノフーズに社名変更したものの直ぐにつがる食品へと社名変更。場所が変わってないんだから意味がなく、取締執行役員専務の名字もOh!No!。津軽衆から総スカン。
  3. 忘れてはならない未だに模倣犯が絶えず京アニ放火殺人事件の元となった武富士強盗放火殺人事件(青森市浪岡のギャンブル中毒クソじゃいごタクシー運転手:死刑)
  4. 思い出すだけで県民は顔を覆い隠したく成る情けない青森県住宅供給公社巨額横領事件(アニータ事件)クソど田舎の県庁職員がブラジル女に貢ぎまくり、県庁も気付くのが遅れて被害額が巨大になってしまった青森県庁最大のクソ恥ずかしい事件。
オラの記憶する範囲では青森県の品位を著しく貶めた大事件ですね。オラは八戸にも2年住んでたらこの吉田家も知ってるし。八戸駅前にずどーん!建ってるアレでしょ。

ま、自社の品質を下げたくない。良いものを安全・安心に提供したいというならこんな事件は起きないでしょ。吉田家はその点で大きなミスを犯したってことですかね。釜土消し(かまどの火が消える=破産する)。青森県では自治体の黒石市と大鰐町が箱物で破産したのが有名で、近親の市町村からの合併を尽く嫌がられる。

ということで、青森県に新しい恥がひとつ生まれました。今後も語り継がれていくことでしょう。

おしまい。(とっつばれ:津軽弁/どっとはれ・どっとはらい:南部弁)

三沢航空科学館の駐車場でさえ飛び立つ前の戦闘機の轟音は凄い

なので、どのくらい凄いのかは分かってる。

でもって、それは毎日住んでいる住人の立場じゃないと解らない。

遊びに行ってたまたま聞こえてくる場合と、ひっきりなしに離発着の音を聞かされているのでは違うからね。

まあ、何なら体験してみなって話であればさ、その退去した住宅を全部更地にして、纏まった土地に安宿を。半端に残った区画は駐車場にしてさ、お試しで宿泊させてみれば良いんだよ。

そのくらいしないと解らないんだから。

いづれにしても推力が上がれば昔よりも轟音は凄いと思うよ。

逆に思うんだけどね、ノイズキャンセラーみたいなものって作れないの?。敵国にとっても戦闘機の飛来する音を察知できないというのは推そらくは脅威でしょ。

音速を超える速度で飛んでくれば、音よりも早く通過するだろうけど、そもそも音を殆ど発しない戦闘機なんてものがあったと知れば、監視する側も音がした時点でしか気付け無い訳で、アナログ的な監視でも厳しいよね。特に隠密行動の戦闘機編隊なんてものがあったとすれば。

レーダーに映らない戦闘機の次は、ジェットエンジンの音が小さい戦闘機なんじゃね?。

三沢基地周辺住民 早急な集団移転を要望

ラゲッジの窓イラスト変えました。

イラストのカテゴリは一緒ですね。

あおもりくまの好きな動物2種。左右で違います。

抽象的な感じのイラストから少しポップな感じと、少し市販品っぽい感じに仕上がってます。ただ、Excelでイラストを描くのも久しぶりなので、2回目は初回よりは一気にバージョンが2つ以上上がったような感じ。

あおもりくまを探せ!って言っといてせめて目印くらい必要でしょって理由からなんだけど、前にも書いたとおり、オラが今の車を買った時は殆ど走ってなかった車体カラーが増えまくって紛らわしくなったのと、青森市内のスーパーなどに停めてもナンバーを見るまでもない距離で自分の車だって解る為でもある。

しばらくはこれで行きます。うーん、丁度半年くらいになるのか。

しまったな。これから冬だし、くま冬眠中にすりゃ良かった。

パッと見では、どこかで売ってるかのような窓の目隠しと見せておいて、実はハンドメイドでーっすっていうのがやりたかった事もある。うんうん。

これで商売できればラッキーなんだけどね。ま、わざわざ大勢乗ってるエブリイを選んだわけで、ビジネスで使う場合のイラストとか趣味とか思い入れのあるものを線画でチョチョイと描くだけなんだけどね。それこそイメージのラフ画があれば、オラはトレーシングで清書するだけ。絵の描けないオラでもシンプルなイラスト程度であれば、Excelひとつで色々と描けるんだわ。

ま、実物は、七里長浜に来たときにでも探してみてよ。

これだと小学校低学年の子どもたちだけで遊べないじゃんよ「埼玉のクソ条例に住民反発」

 子どもだけで公園遊びも「虐待」に。埼玉県議会の条例案が委員会で可決。「順番違う」と子育て当事者

うーん、オラが子供の頃は遊び場なんて近所の林の中、工事現場の資材置き場、原木置き場、川だったり、空き地(ほぼ原野)だったり、児童公園だったり。

今の子供にしたらデンジャラスなんだろうね。そんなデンジャラスも安全に遊ぶために子供は考えて身体能力を向上させ、如何に安全に遊ぶか(同義語:親に怒られずに遊ぶか)ということを考える。

オラがまだヤングでナウな時代にはOFF会で仲間が子供も連れてくるのだが、人何十倍も野外の遊びに特化してるオラは、その子らに昔の子供の遊びを教えるわけだ。何もないところから周りにあるものを利用して道具を作る。それが当たり前の世代。子どもたちは未知の領域に触れたかのように面白がってた。

とは言っても、推そらくはうちの親父の世代の遊びを教えられたものだから、正確には昭和初期(或いは江戸時代より前)~昭和中期では当たり前の遊びの延長。つまりオラがガキん時までの遊びの方法だ。

これらは子どもたちの想像力や創造力を拡張するし、手先が器用になる。安全に遊ぶ為に怪我をしない体のコントロール(バランス感覚や危険な場所での手足の使い方)を体験する。そして子供の頃に獲得したそれらは一生物であり、大人になってからは感覚的に理解することが難しくなる。簡単に言えばこれらは脳の鮮度が良いときに習得しなければ、凝り固まった脳みそでは上手く実行できないのだ。

確かに近年の子らのコミュニティーはリアルでは狭く、ネットでは広いのだろう。時代の流れとして在り来りだ。リアルでの活動が減ってスマホやPC。ゲーム機の画面上で友達を作るのなんて普通なのだろうね。その創世記すら眺めてきたオラとしてはそれも解る。でも、オラは小学校3年くらいには既にラジオなどを作ってたし、家電も直してた変な子だったわけで、現代はハードウェアを理解するよりもソフトウェアの扱い方を学ぶ方がメインだ。今は自作PCなんて自己満足の範囲で車のチューンに近い。それこそ既製品で十分なのにわざわざやる的な趣味みたいなもんだ。

人同士の付き合いには面倒事が発生することなんて当たり前だから、直ぐに友だちになって、気に入らなければ切るような非対面型の世の中だ。無論、映像に依るTV電話的アプリも普通にあるので、擬似的に対面しているが実は精神面でリアルよりは気楽である。

そうした人と人との関係ってのが希薄なってくると、益々人同士の付き合いは希薄になる。間にデジタルが入らないとアナログで上手く会話ができないんじゃないかと。

近年は子供に声をかけるだけで不審者認定で事案の発生が速報で出る。何とも嘆かわしやだ。結局は子供は年の離れた友達を作ることが難しくなるのだろう。で、大人と話す機会のない子供は、同世代としか話を合わせられない子がどんどん増える訳だ。それで良いの?。

では、どうするか。

人の面倒を見るのは面白いし、それ自体が面倒をみる側も見られる側も成長になる。大人が子供に関われないのであれば、ちょっと年上のお兄さん、お姉さんと遊ぶしか無い。友達の兄姉とかね。年の離れたお兄さんお姉さんってのは昔は子供の面倒を見るのが普通だったし、知らない子にも親切だった。当然、うちらの時代では知らない大人が知らない子供を普通に叱る時代。そうやって知らない子供にも健全に育つように見守ってきたわけだ。

過去にも何度も書いてはいるが、オラは子供とお年寄りのはウケが良い。基本的に親切には親切で他の人に返す。恩送りというのは世の中をホッコリさせる良い仕組みだと思ってる。誰かに助けられたら、他の人が困っているときに助けると、その助けられた人は更に他の人にも親切になれる。単純な習慣である。

「やれる人が、やれる時に、やれる事をしよう!」

オープンソースコミュニティーの基本理念である。

誰かのために成ることと同時に、自分のスキルアップ(ステップアップ)に繋がる。これは「生産性が高い遊び」であると同時に、成長の機会である。要するに子供同士の互助会みたいなものを組織化すればよい。活動方式は自由だ。

地域貢献部とかクラブやサークルという名でも良い。学校行事で1日とか数日とか月イチとかそんな形だけのものじゃなくて、平日の放課後はそれが普通にできる場所だけ大人が作れば良い。子供にもメリットはある。人に教える。人に教わるというのは何も大人が子供に教えるだけではなく、年下から年上が教わることもあるし、経験を経て、人に上手く教えるという学校の一方通行な勉強では身につかないスキルも習得できる。

社会に出てからは人にモノを教えるのは普通にあるし、人にモノを聞くにも聞きたいことが何であるのかを相手に明確に提示するというスキルだって身につく。

オラが毎日イラっとしている事の一つに、「国語力の低さ」があるのはそれだ。自分の中では応答は完結しているのだが、アウトプットがデタラメで、相手のインプットがバグるってやつ。自分ではちゃんと言えていると誤認しているのだが、聞いてるオラにしてみれば支離滅裂である。つまり言葉を整理して発することができない大人だらけである。大人でそうなのだから、その人達の子供も推して知るべしなのではないか。

鳥やその辺の地面を歩いてる動物でさえ日本語を話さなくてもオラには正しく意志を伝えられるのに、人間は言葉を操れる生き物なのに、言葉の使い方が酷すぎるわけだ。要するに日本語の構文がクソなわけ。子供の頃に本の虫だったオラにしてみれば、コイツら読書してないんだなと思う事が多い。別に読書って言っても漫画でもラノベでも良いんだよ。

消費の方法にも色々とある。ゲームで遊んでゲームを作ろうと考える人。ゲームで遊んでまた違うゲームを消費するだけの人。別にゲームを作れなくてもゲームシステムやストーリーを作るのでも生産行為に当たるがどうにも世の中は消費者が増えすぎて未来が心配だ。

勉強にも色々とあるけど、学校の勉強の基礎は必要最低限の算数や数学の公式同様に、国語にも公式のようなものがある単語の並べ方だ。やはり会話口調にしか慣れていない人は大人になっても「自分では言ってるつもり」で、「倒置法の繰り返しで支離滅裂」になってるのだ。しかもそれに気付いていない人が多くてビックリする。

学校の勉強がてら、そういう会話の練習をしていれば、皆の前で発表するとかそんな機会にはスラスラと「理路整然とした文章が箇条書きで出てくる」のだが、普段やってない人の話し方は「電話中のメモよりも酷い要点が無い文章」になってしまう。

これは勉強という遊びもあるのだよって意味。実際に外で遊ぶのも、死なないための勉強であるし、室内で勉強して遊ぶのも大人になって恥をかかないための勉強でもある。

勉強はつまらないよね。オラもそう思うんだ。でも、勉強が面白くないのは勉強する意味を納得させずにただただ勉強しなさいしか言えない大人でもあるんだよねぇ。

大人になってからの勉強ってのもあるよ。大人になったら勉強しなくて良いと思ってる子供には残念でした~と言おう。むしろ、学校よりも長い人生の中での自分磨きで自主的に勉強しなきゃならない。仮に自分に子供ができたら尚更、子供に恥ずかしくない何でも知ってて、何でも指標を与えられ、解らないことを調べる方法を教えられる親ってのは大事だね。

今回の埼玉の条例ってのはハッキリ言って県としては何もしない、代わりに何かを提示する訳でもない単なる親への丸投げであるし、こんな馬鹿な条例を通した議会もまた思考が浅い。条例に挙げるのであれば、どうしたら条例を遂行できるのかをセットで示さないとね。或いは場所の提供なり、仕組みなり、誰かを雇うなりね。

埼玉のこの条例は、投げっぱなしジャーマンだよ。