2023年10月9日月曜日
起きたら眼の前にカラスが居ました。
2023年10月8日日曜日
2023年10月7日土曜日
衛生管理のキャパオーバー?。生産能力以上の弁当を売ろうとしてこうなった?
注文の受けすぎが原因? 老舗弁当店が食中毒で「営業禁止」処分に 専門家「二つの菌が出るのはあり得ない話…防げた事故」
欲張ったらこうなった・・・的な話のようだが。
平日1日約6000個を製造していましたが、連休前日の15日はその約3倍の1万8816個が製造・納品された。
普通の弁当工場では、ご飯を仕入れるというのがあり得ない
製造・衛生管理できる範囲でやっていれば、手の届く範囲で済んだが、炊飯を外注しなければならないほどに大量に受注した結果、岩手の業者が手を抜いた。更に現場の手が回らずに管理がキャパオーバーして省略しちゃった。テヘペロ案件。
つまり吉田家で注文を受けると判断した人間が諸悪の権化であって、温度管理を怠った担当者が罰せられる問題ではないということだな。
- 直接的な原因(現場が衛生管理まで手が回らない:オカズと米飯を駄目な下請けに発注)
- 管理的な要因(キャパを超える注文:利益に目がくらみ、現場を無視して目先の利益に走ってヒャッハー!)
- 管理的な要因(人手不足:今いる人間だけでやれば雇わない分の人件費が浮いてヒャッッハー!)
- 物的な要因(温度管理できない車両を使用した岩手の下請(まだ事件にはノーコメントで営業中))
結局は強欲が招いた大事件ということでした。八戸市のお株は大暴落です。駅弁の指定業者から外しましょう。殆どが八戸も青森も関係ない名前の弁当です。ちゃんと北海道で作ってください。
これが犯人「北海道出身の「吉田屋」は、なぜ青森・八戸の駅弁業者になったのか?」
吉田家についてはみんなで潰れるように働きかけるのが良いでしょう。どうせトップが変わっても一族経営です。何も変わりません。またやらかします。
- 青森県の大事件としては、記憶に新しいハシモトホームのパワハラ自殺事件。症状という賞状を発行し社員をコキおろした無自覚の大人のいじめ。未だ反省していない。
- 過去に青森県果工(県とは名ばかりで民間の一族経営)で、その後にオノフーズに社名変更したものの直ぐにつがる食品へと社名変更。場所が変わってないんだから意味がなく、取締執行役員専務の名字もOh!No!。津軽衆から総スカン。
- 忘れてはならない未だに模倣犯が絶えず京アニ放火殺人事件の元となった武富士強盗放火殺人事件。(青森市浪岡のギャンブル中毒クソじゃいごタクシー運転手:死刑)
- 思い出すだけで県民は顔を覆い隠したく成る情けない青森県住宅供給公社巨額横領事件(アニータ事件)。クソど田舎の県庁職員がブラジル女に貢ぎまくり、県庁も気付くのが遅れて被害額が巨大になってしまった青森県庁最大のクソ恥ずかしい事件。
ま、自社の品質を下げたくない。良いものを安全・安心に提供したいというならこんな事件は起きないでしょ。吉田家はその点で大きなミスを犯したってことですかね。釜土消し(かまどの火が消える=破産する)。青森県では自治体の黒石市と大鰐町が箱物で破産したのが有名で、近親の市町村からの合併を尽く嫌がられる。
ということで、青森県に新しい恥がひとつ生まれました。今後も語り継がれていくことでしょう。
おしまい。(とっつばれ:津軽弁/どっとはれ・どっとはらい:南部弁)
三沢航空科学館の駐車場でさえ飛び立つ前の戦闘機の轟音は凄い
なので、どのくらい凄いのかは分かってる。
でもって、それは毎日住んでいる住人の立場じゃないと解らない。
遊びに行ってたまたま聞こえてくる場合と、ひっきりなしに離発着の音を聞かされているのでは違うからね。
まあ、何なら体験してみなって話であればさ、その退去した住宅を全部更地にして、纏まった土地に安宿を。半端に残った区画は駐車場にしてさ、お試しで宿泊させてみれば良いんだよ。
そのくらいしないと解らないんだから。
いづれにしても推力が上がれば昔よりも轟音は凄いと思うよ。
逆に思うんだけどね、ノイズキャンセラーみたいなものって作れないの?。敵国にとっても戦闘機の飛来する音を察知できないというのは推そらくは脅威でしょ。
音速を超える速度で飛んでくれば、音よりも早く通過するだろうけど、そもそも音を殆ど発しない戦闘機なんてものがあったと知れば、監視する側も音がした時点でしか気付け無い訳で、アナログ的な監視でも厳しいよね。特に隠密行動の戦闘機編隊なんてものがあったとすれば。
レーダーに映らない戦闘機の次は、ジェットエンジンの音が小さい戦闘機なんじゃね?。
ラゲッジの窓イラスト変えました。
イラストのカテゴリは一緒ですね。
あおもりくまの好きな動物2種。左右で違います。
抽象的な感じのイラストから少しポップな感じと、少し市販品っぽい感じに仕上がってます。ただ、Excelでイラストを描くのも久しぶりなので、2回目は初回よりは一気にバージョンが2つ以上上がったような感じ。
あおもりくまを探せ!って言っといてせめて目印くらい必要でしょって理由からなんだけど、前にも書いたとおり、オラが今の車を買った時は殆ど走ってなかった車体カラーが増えまくって紛らわしくなったのと、青森市内のスーパーなどに停めてもナンバーを見るまでもない距離で自分の車だって解る為でもある。
しばらくはこれで行きます。うーん、丁度半年くらいになるのか。
しまったな。これから冬だし、くま冬眠中にすりゃ良かった。
パッと見では、どこかで売ってるかのような窓の目隠しと見せておいて、実はハンドメイドでーっすっていうのがやりたかった事もある。うんうん。
これで商売できればラッキーなんだけどね。ま、わざわざ大勢乗ってるエブリイを選んだわけで、ビジネスで使う場合のイラストとか趣味とか思い入れのあるものを線画でチョチョイと描くだけなんだけどね。それこそイメージのラフ画があれば、オラはトレーシングで清書するだけ。絵の描けないオラでもシンプルなイラスト程度であれば、Excelひとつで色々と描けるんだわ。
ま、実物は、七里長浜に来たときにでも探してみてよ。
これだと小学校低学年の子どもたちだけで遊べないじゃんよ「埼玉のクソ条例に住民反発」
子どもだけで公園遊びも「虐待」に。埼玉県議会の条例案が委員会で可決。「順番違う」と子育て当事者
うーん、オラが子供の頃は遊び場なんて近所の林の中、工事現場の資材置き場、原木置き場、川だったり、空き地(ほぼ原野)だったり、児童公園だったり。
今の子供にしたらデンジャラスなんだろうね。そんなデンジャラスも安全に遊ぶために子供は考えて身体能力を向上させ、如何に安全に遊ぶか(同義語:親に怒られずに遊ぶか)ということを考える。
オラがまだヤングでナウな時代にはOFF会で仲間が子供も連れてくるのだが、人何十倍も野外の遊びに特化してるオラは、その子らに昔の子供の遊びを教えるわけだ。何もないところから周りにあるものを利用して道具を作る。それが当たり前の世代。子どもたちは未知の領域に触れたかのように面白がってた。
とは言っても、推そらくはうちの親父の世代の遊びを教えられたものだから、正確には昭和初期(或いは江戸時代より前)~昭和中期では当たり前の遊びの延長。つまりオラがガキん時までの遊びの方法だ。
これらは子どもたちの想像力や創造力を拡張するし、手先が器用になる。安全に遊ぶ為に怪我をしない体のコントロール(バランス感覚や危険な場所での手足の使い方)を体験する。そして子供の頃に獲得したそれらは一生物であり、大人になってからは感覚的に理解することが難しくなる。簡単に言えばこれらは脳の鮮度が良いときに習得しなければ、凝り固まった脳みそでは上手く実行できないのだ。
確かに近年の子らのコミュニティーはリアルでは狭く、ネットでは広いのだろう。時代の流れとして在り来りだ。リアルでの活動が減ってスマホやPC。ゲーム機の画面上で友達を作るのなんて普通なのだろうね。その創世記すら眺めてきたオラとしてはそれも解る。でも、オラは小学校3年くらいには既にラジオなどを作ってたし、家電も直してた変な子だったわけで、現代はハードウェアを理解するよりもソフトウェアの扱い方を学ぶ方がメインだ。今は自作PCなんて自己満足の範囲で車のチューンに近い。それこそ既製品で十分なのにわざわざやる的な趣味みたいなもんだ。
人同士の付き合いには面倒事が発生することなんて当たり前だから、直ぐに友だちになって、気に入らなければ切るような非対面型の世の中だ。無論、映像に依るTV電話的アプリも普通にあるので、擬似的に対面しているが実は精神面でリアルよりは気楽である。
そうした人と人との関係ってのが希薄なってくると、益々人同士の付き合いは希薄になる。間にデジタルが入らないとアナログで上手く会話ができないんじゃないかと。
近年は子供に声をかけるだけで不審者認定で事案の発生が速報で出る。何とも嘆かわしやだ。結局は子供は年の離れた友達を作ることが難しくなるのだろう。で、大人と話す機会のない子供は、同世代としか話を合わせられない子がどんどん増える訳だ。それで良いの?。
では、どうするか。
人の面倒を見るのは面白いし、それ自体が面倒をみる側も見られる側も成長になる。大人が子供に関われないのであれば、ちょっと年上のお兄さん、お姉さんと遊ぶしか無い。友達の兄姉とかね。年の離れたお兄さんお姉さんってのは昔は子供の面倒を見るのが普通だったし、知らない子にも親切だった。当然、うちらの時代では知らない大人が知らない子供を普通に叱る時代。そうやって知らない子供にも健全に育つように見守ってきたわけだ。
過去にも何度も書いてはいるが、オラは子供とお年寄りのはウケが良い。基本的に親切には親切で他の人に返す。恩送りというのは世の中をホッコリさせる良い仕組みだと思ってる。誰かに助けられたら、他の人が困っているときに助けると、その助けられた人は更に他の人にも親切になれる。単純な習慣である。
「やれる人が、やれる時に、やれる事をしよう!」
オープンソースコミュニティーの基本理念である。
誰かのために成ることと同時に、自分のスキルアップ(ステップアップ)に繋がる。これは「生産性が高い遊び」であると同時に、成長の機会である。要するに子供同士の互助会みたいなものを組織化すればよい。活動方式は自由だ。
地域貢献部とかクラブやサークルという名でも良い。学校行事で1日とか数日とか月イチとかそんな形だけのものじゃなくて、平日の放課後はそれが普通にできる場所だけ大人が作れば良い。子供にもメリットはある。人に教える。人に教わるというのは何も大人が子供に教えるだけではなく、年下から年上が教わることもあるし、経験を経て、人に上手く教えるという学校の一方通行な勉強では身につかないスキルも習得できる。
社会に出てからは人にモノを教えるのは普通にあるし、人にモノを聞くにも聞きたいことが何であるのかを相手に明確に提示するというスキルだって身につく。
オラが毎日イラっとしている事の一つに、「国語力の低さ」があるのはそれだ。自分の中では応答は完結しているのだが、アウトプットがデタラメで、相手のインプットがバグるってやつ。自分ではちゃんと言えていると誤認しているのだが、聞いてるオラにしてみれば支離滅裂である。つまり言葉を整理して発することができない大人だらけである。大人でそうなのだから、その人達の子供も推して知るべしなのではないか。
鳥やその辺の地面を歩いてる動物でさえ日本語を話さなくてもオラには正しく意志を伝えられるのに、人間は言葉を操れる生き物なのに、言葉の使い方が酷すぎるわけだ。要するに日本語の構文がクソなわけ。子供の頃に本の虫だったオラにしてみれば、コイツら読書してないんだなと思う事が多い。別に読書って言っても漫画でもラノベでも良いんだよ。
消費の方法にも色々とある。ゲームで遊んでゲームを作ろうと考える人。ゲームで遊んでまた違うゲームを消費するだけの人。別にゲームを作れなくてもゲームシステムやストーリーを作るのでも生産行為に当たるがどうにも世の中は消費者が増えすぎて未来が心配だ。
勉強にも色々とあるけど、学校の勉強の基礎は必要最低限の算数や数学の公式同様に、国語にも公式のようなものがある単語の並べ方だ。やはり会話口調にしか慣れていない人は大人になっても「自分では言ってるつもり」で、「倒置法の繰り返しで支離滅裂」になってるのだ。しかもそれに気付いていない人が多くてビックリする。
学校の勉強がてら、そういう会話の練習をしていれば、皆の前で発表するとかそんな機会にはスラスラと「理路整然とした文章が箇条書きで出てくる」のだが、普段やってない人の話し方は「電話中のメモよりも酷い要点が無い文章」になってしまう。
これは勉強という遊びもあるのだよって意味。実際に外で遊ぶのも、死なないための勉強であるし、室内で勉強して遊ぶのも大人になって恥をかかないための勉強でもある。
勉強はつまらないよね。オラもそう思うんだ。でも、勉強が面白くないのは勉強する意味を納得させずにただただ勉強しなさいしか言えない大人でもあるんだよねぇ。
大人になってからの勉強ってのもあるよ。大人になったら勉強しなくて良いと思ってる子供には残念でした~と言おう。むしろ、学校よりも長い人生の中での自分磨きで自主的に勉強しなきゃならない。仮に自分に子供ができたら尚更、子供に恥ずかしくない何でも知ってて、何でも指標を与えられ、解らないことを調べる方法を教えられる親ってのは大事だね。
今回の埼玉の条例ってのはハッキリ言って県としては何もしない、代わりに何かを提示する訳でもない単なる親への丸投げであるし、こんな馬鹿な条例を通した議会もまた思考が浅い。条例に挙げるのであれば、どうしたら条例を遂行できるのかをセットで示さないとね。或いは場所の提供なり、仕組みなり、誰かを雇うなりね。
埼玉のこの条例は、投げっぱなしジャーマンだよ。
2023年10月6日金曜日
さて、今週は土曜も出勤だ
明日は死ぬほど眠くて暇だと思う。
お、正解だ。白いセダンでしょ。うん、そりゃ犯罪者が好きな車だ。「超原子力ビレッジ六ケ所で声掛け事案」
<声を掛けられても乗ってはいけない車>
基本的にヤンキー臭いやつ。車高短は却下。
白のセダンなんて金持ってる運転ヘタクソジジイかヤンキーの乗る車だよ。
黒のセダンはやはりヤンキーとか893の好きな車だ。
紫は頭のイカレたやつの乗る車だ。黄緑やピンクも要注意だね。
微妙なのは痛車(アニメのプリントされた車)だな。
多分、そんな馬鹿みたいに目立つ車で誘拐とか連れ回ししようなんて馬鹿はオタクには居ないと思うが、俺ら第一世代ヲタクと、現在の変容したオタクとはOtakuの性質や根本が違う。ヲタクは博識は第1世代。要するに広く色々と知ってるやつ。第1世代ヲタクはそれなりに実用的な知識を多く持っている。
今のオタクはよく判らん。アイドル系アニメとか全く見ないからな。理解でもできないし。生理的に無理だ。
魔法少女とかロリっぽい絵の痛車には注意が必要かも知れないが、所謂「Yes!◯◯ータNo!タッチ」な筈で、3次元には興味ないだろうから大半はヤンキーの車よりは安全だとは思う。特に車高短セダンに比べれば百万倍くらい安全かと。
最終手段としては痛車はアリだろうか。でも、乗せる方としても逆に疑われたくないのできっと関わらない方向で素通りするかも。それだけ子供から声を掛けられるのは恐怖だろうね。この世の中、この世界線では大人は子供に声を掛けてはいけない絶対ルールなのだ。
子供から大人に声を掛ける時は逃げ込める場所を近くに用意して距離を取る。できるだけ大声で周囲に聞こえるように。
広く見通しの良い場所。交通量もそこそこで、他車のドラレコに記録される街灯の下など。
可能であれば通行人ではなく、どこかの家で、家族暮らしの家が安心。野郎一人暮らしの家には逃げ込んじゃ駄目だ。一軒家がベスト。アパートは危険。普段から交番や子供110番の家や店を把握しておくこと。コンビニがあれば最強だ。コンビニには監視カメラがあるから店員がバイト君でも安心だ。
子供が困ってる場合は、子供から大人に声をかけよう。ちゃんと相手を選んでね。
連れて行く方も交番に連れて行く時も手は繋いじゃ駄目だ。連れ去りに見られる。服の一部を掴んでもらおう。それなら自分の意志で子供が付いて来ているという事になる。子供が疲れて寝てしまってる場合は致し方ない。おんぶか抱っこしか無いだろうね。できれば側に付いているだけでその場で警察に指示を仰ぐ方が良いだろう。場所の説明は近くの電柱を見ろ。それで警察は位置を把握できる。
そして大人は絶対に子供に声を掛けてはいけない。これは鉄板だ。緊急性が無ければ絶対に無視だ。断固無視。あと、人は見よう。犯罪者に多い顔に特徴がある。
そのお金、オラにくれよ。「金持ってるのに馬鹿な人って自分で稼いだ金じゃないんだろうね」
「この取引所にアカウント登録すれば2万円もらえる」暗号資産の投資名目で6300万円騙し取られる 2023年の最高被害額 青森県
最高額だって、おめでとう!。すげーよ!!。マジでイカス!!。今年の大賞は君だ!!!
良くわからないのだが、詐欺だって解らないんだろうかね。
そんなうまい話が転がってる訳無いだろ。
誰しもが金は欲しい。老後は明るく暮らしたい。こんなクソみたいな世の中だからね。
分かる。すごく解る。
でも、馬鹿だ。途方もなく馬鹿だ。これほどお金を持ってるのに、こんなに馬鹿だってことは、親から受け継いだ資産で遊んでた人間だろうか?。明らかに人生経験や知識が欠如している。それとも博打打ちなんだろうか。
6300万円を騙し取られるって凄いよね。オラの貯金なんてその20分の1もねーぞ。借金もゼロだけどね。カード持ってないから、いつもニコニコ現金払い。
半端に金を持ってる人って騙されやすいんだろうか。それともこの人はこれでも貯金のほんの一部なんだろうか。簡単に6,300万円も失える財力って羨ましい。
だから、オラに2,000万円くらいくれ!。
わざわざクマを怒らせる馬鹿がクマに噛まれる 「子熊を見たら手を出すな、親がいるからすぐ逃げろ」
【速報】クマに60代女性襲われ右手かまれる 逃げない子グマを追い払うため車を降り親グマに襲われる 青森県田子町
60代って・・・60年以上も生きてて、こんな簡単なことも解らないってどしたものか。ただ60年以上も生きていたポンコツなんだろうね。呆れてしまう。
でもって猟友会出動ですか。今回は完全に人間が悪いのに。相当に意地糞悪いBBAなんだろうね。この60代クソBBAが余計なことをしたせいだよ。
あ~あ、これでこの子熊が母親を失ったらどうするんだろうね。人間から手を出した場合は猟友会も出動を断れば良いのに。それとも猟友会はやはりクマの胆嚢(80~100万円)が欲しいだけなんですかねぇ。
運転適性がなくても運転免許は取れる世の中。免許を与えた人間(組織)が殺人者だ。
自転車の女性死亡…左折車にはねられる 帰宅中だった昼過ぎ、青信号の横断歩道で 運転手の会社員女を逮捕
これは単純事故だよ。
運転に向かない人が運転している。
青信号を左折した女が左側から自転車で横断歩道を渡っていた女性をはねた。
左折時に横断歩道を渡ってたのは巻き込みであれば思い込み(安全不確認)。正面衝突なら自転車の逆走もあるが見落とし(安全不確認)。
一番見難いのは自転車が逆走からの左折で横断歩道を渡ろうとした場合だね。
安全確認を怠り、左折時に見ていない(見えていない)ことで居ないものだと思いこんで、何も考えずに左折。結果として運転に向いていないのに運転を続けたことで人を殺してしまった訳だ。向いていない人ほど自覚がなく、向いていない程に安全確認をせず、向いていない程に自分は大丈夫だと思ってる。
本人が気づかないのであれば、自動車学校の教官は自動車学校を卒業させないことだ。
自分の卒業した自動車学校はもう無い。寂しいものだ。