例の宝石強盗を撃退したのは力士のような巨漢の男性と、店員が率先してバイクをぶっ倒しに行った事にあると思う。
日本の宝と言ってる外国人労働者がとんでもない人数で行方を眩まして犯罪に手を染めている現代。凶悪犯罪もこれからは増えると思うので、防犯対策としてはやはりセキュリティー会社は「モヤシから巨漢への転換点」なのではないかと。
つまり、案山子や老人を警備員として採用しても意味がないというか、そもそも強盗に入られにくいお店というのは、襲うリスクがあり過ぎる場合に限るかと。
だから、小柄とか、ヒョロいとか、モヤシっぽい人や高齢の警備員を雇っても夜間のモニター係としては使えても、真の防犯対策としての抑止力を求めれば、襲撃する候補から外される店というものを前面に押し出す方が良い。
そういう意味では適材適所として体格を活かした採用や配置というものが重要になってくるのではないかと。
誰が好き好んで一発食らわすだけでふっ飛ばされるような警備員の居る店を襲うのかという話であり、ただ警備員が居るだけという店に比べては抑止力としては強固かと。
これから高学歴でも就職できない時代はやってくるだろうし、頭を鍛えるのも大事だが、防犯の意味を込めて鍛えまくるのも悪くはないと思うんだけど?。それでも普段の生活に於いて物理的なパワーは必要ないと言い、何もせずに吹けば飛ぶような体格で満足するのかと聞いてみたい。
一時的に例の事件で防犯訓練がトレンドに上がってるようだけど、レジやサービスカウンターのオバチャンに何かを期待しても難しいのではないかと思う。人間というのは恐怖に対しては無力な人間が多い。これまでの通り魔事件でもそうだ。刃物程度で思考停止してしまい、振り下ろされる刃物を手で防御する反応しかできない人が普通の部類に入る。
オラがいつも言ってるように、刃物を持った犯人なら加減も遠慮も要らないのでは?という意味が分かる人は、逆に少数派であると思う。でも、自分の命や大事な人を守るという意味では、攻撃は最大の防御であると同時に、そもそも強そうなやつには襲ってない訳で、鍛えまくってる人間は巻き込まれるリスクが激減する。
その上でまだ肉体の強化が必用な時代ではないというのであれば、守ってくれる人間と一緒に居るしかないのでは?。
確かに事務仕事の就職には知能や順応、要領の良さや適応能力や応用力の高さなど頭脳は重要だけど、保険として自分を鍛えておけば「ある日突然、幸せの真っ只中で死亡」というリスクは減ると思う。1本100キロの大型タイヤが転がって来る時代でもあるし。咄嗟に避けるとか軌道を逸して他の人を助けるとかはパワーがある方が有利だ。
オラは一般人から見て大変な変人ではあるが、犯罪者から身を守り、職業選択の自由度を考えれば、何でもできるし、強そうってのはこれからの時代の再就職には十分なステータスであると思えるのだけどね。
歳を取れば取るほどに始めるが遅いと手遅れになる。オラは頭も肉体も維持することと強化すること、衰え難いライフワークを大事にしている。ストレスに押し流される現代日本ではあるが、諦めて家でゴロゴロしているだけだと将来の不安は消えない。
老後にできる再就職なんて選択肢は狭い。査定や評価基準を考えれば資格の保有も大事ではあるが、生活基盤や資金。資格を失っても身体ひとつでやり直せるほどの要件というものは、結局は人間そのものが持つ総合的な能力の高さじゃないのかな?。