歳を取ると人の話を聞かない。新しい情報を受け入れない。深くモノゴトを考えない傾向に。
いくらニュースやワイドショーで危険性を周知しても、聞いた側からスルーされがち。その時はなるほど!とか思うのだろうけど、そこから短時間で脳に定着せずに消え失せる。
短期記憶と長期記憶のどのくらいが機能するのか分からないが、例えば運転などリアルタイムで考えて操作する手続き記憶は繰り返し行なわれることで若い頃からの習慣としてはなかなか消えないと思うが、高齢により判断力や反応速度は衰えると思う。
ただ、自分の家がどこなのか忘れてしまう認知症はこれとは別個のものなので運転そのものができたとしても、家の場所を格納して置く部分の脳細胞が切れるとどうしようもないのだろう。
別件ではあるが、命の危険に関しての知識は第一にその都度考えて気をつける危険感受性(考え方)と、これは危険であるという知識(条件に対してのリスクの知識。つまり記憶)という部分はまた別個のものである。だから少し考えれば分かるようなことで命を落としてしまう。
症例1:知識として持っていない。または聞いたことがあるかも知れないが覚えていない
アレですね。表面が毛羽立った衣服で調理するとコンロの火が鍋やフライパンよりもはみ出していることで燃え広がるやつ。これの野焼きバージョンでしょう。女性であること。高齢であることから寒さ対策でモコモコになるまで着込んでいたのかも知れません。
症例2:危険感受性の低下。或いは、注意力や雪がないときのその場所の様子を雪が積もった時の風景に重ねて「これ以上は危険」という見慣れた風景なのに覚えていない状態。
除雪車の運転誤ったか、4m下の河川敷に転落 旅館経営の男性が死亡 新温泉町
今日なんか久しぶりに路面のラインが見えないくらいの圧雪路面だったけど、雪で見ないからラインが見えないということは無い。積雪がないときの車線や路側、ゼブラゾーンまでオラの脳はドラレコ並に記憶している。なので、雪があっても無くても仮想ラインは見えているというか、風景に投写されている。
この無くなった方は自分の職場周辺の道路形状や路肩の端っこが記憶されていないようだ。覚えていれば、これ以上寄ったら危険だと容易に判る筈なのだが。
どちらも別に大したことではない。ごく当たり前の常識の範囲で、自分が死にたくなければ習得していて当たり前のことだから、生に対する執着心まで失せていたのかも知れない。
別に若いとか高齢だとかはあまり関係ないかも知れないのだが、少し考えれば分かることで命を落とすケースに於いては、若すぎて経験値が足りない場合と、高齢過ぎて考えが及ばない場合とに分かれるが、共通するのは一歩引いて「ちょっと待てよ」と考える余裕というか慎重さだけ。常に気をつけていれば高齢になっても習慣というか癖のレベルにまで昇華することで、ほぼ無意識で発動するものだ。