よもっとが縄張りのハシボソガラス再臨
蓬田村の産直で前に飯食ってたら、ハシボソガラスが羨ましそうにコッチ見てたので少し分けてやったのが1年チョイ前。サンバー乗ってた時な。
蓬田村の産直で前に飯食ってたら、ハシボソガラスが羨ましそうにコッチ見てたので少し分けてやったのが1年チョイ前。サンバー乗ってた時な。
ごく少数の事故や意見を大げさに取り上げて何でも禁止する風潮が世の中にあると同時に、逆に大多数の権利を奪っているという意見もあるという記事。
「うずらの卵」で小1男児が窒息死 「当面、給食での使用を控える」という行政方針に何故かネット世論は猛反発 専門家は「騒音による長野市の公園廃止が分岐点」
禁止すれば事故は無くなるのかという意見は大多数派である。
オラも、ごく少数の意見を無視するのは違うと思うが、理に適っていないようなレアケースを大げさに報道して、それを生業としている(要するにウズラの卵の生産者)に不利益を与えるのは間違っていると思う方だ。
そういえば「かいわれ大根事件」もあったな。O-157で食中毒が起きたのではないかと仮定されてかいわれ大根の生産者が大打撃を受けたケースだ。実際にはかいわれ大根が犯人だと断定されていない。
オラが公園の遊具を例にとっていつも怒ってるのも、ごく一部の馬鹿のせいで児童公園にブランコしか無くなってしまう事態を憂いているのもそれ。いずれも通常では起こり得ない一部の馬鹿が想定外のことをしてしまったが故にかつて多くの子供達が遊び、昔の児童公園では普通にあった遊具がどんどん姿を消してしまう。
そのうち写真でしか見られなくなるのでは?。
なんとも寂しい風潮である。
外よりも家の中で遊ぶ物が増えた結果、危険な遊具で遊ぶ機会を逸し、その使用による運動能力を得る機会を永遠に失う。ちょっと考えれば分かるだろボケ!的な頭の悪い事故が多すぎる。
よく観察して遊ぶ際に怪我を負わないようにするのはあくまでも遊ぶ側であり、それで怪我をして不利益を受けるのは本人とその遊具が撤去されたことによって遊ぶ機会を失った現代の子どもたち。
我々昭和世代にとって、今の子供達が可愛そうであると同時に、人類のリスク評価能力の退化なのではないかと残念でならない。
特に今回のウズラの卵で窒息って件。
「ちゃんと噛んで飲めよ」
以上。
◯月◯日の◯時◯分頃に地震があるから震源から離れてね~みたいな予報は無い訳で。
天気予報ほどの精度があったとしても、それも確率の話であって確実性はない。
そんな地震予報が毎日報じられていたとしても、毎日聞いてたらそのうち無視してしまうのが人間という生物だからね。そもそも地面の下の亀裂やプレートの歪み、圧力の分布をレントゲンのように見られる技術は未来にはあるのかもしれないけど今はない。せいぜい衝撃を発して反射されてくる音波から知りうる情報を地震の予知に使えるほど現代科学は熟していない。
自分の身を守るのは自分自身の考えと行動と生物としての個の強さであって、何もかもをメディアに登場する専門家や政府。自治体に頼りきっている時すでに遅し。
あの時、こうしていれば・・・なんてタラレバを垂れ流してもしょうが無い。
その日、その時、その場なんてものは可能性の問題であって確定できる要素など無い。先送りにしては対処ができなくなるし、家族単位で自分の済んでいる場所の位置。周囲の地形。家屋の経年と強度。事前に何を準備しておくかまで話し合わないと、その後の人生はタラレバばかり口にすることになる。
決めるのは自分または家族単位であって、対策を他人任せにするのは不幸を呼び寄せるだけ。また、仮に運悪く絶望的な状態で被災してしまった時にどういった行動が可能なのかも考えて準備しておく必要がある。
ひとつは無我夢中で外に出るべきか留まるべきか。ひとつは被災直後の衣食住の問題。ひとつは押しつぶされた家屋の中に居る時にでできること。ひとつは直ちに津波影響下から離れる避難路のこと。或いは裏山が地滑りを起こす可能性があれば、直ちに影響範囲外に退避すること。
財産は失っても命があれば生きていかなければならない。当面の心配を今からどう減らしていくかということもある。うちはそんな余裕はないと何もしなければ、もっと深刻に余裕がなくなる。メンタルもそうだ。いつも綺麗なトイレで優雅に用足ししている人は仮設トイレの汚さ、不快さに耐えられるか。仕切りもろくに無いプライベートも無い避難所生活で神経をやられるかもしれない。その場になってみないと気づかない自分があるかもしれない。
遊びの予行演習は意味がない。その場になってみないことには気づかないこともある。一番の悪はやたらと神経質になっている事だと思う。気になりだすと次から次へと不満が爆発すると思う。現代人には不衛生は耐えられないと思うし、そんな事を言っていられないのは分かっていても受け入れられなければ先に気が狂うと思う。
親からも奇人変人扱いされているオラくらいに成れとは言わんけど、オラくらいに成ればある意味で無敵とも言える。大災害では普通の人ほど弱いものはない。不衛生な状態になれば集団食中毒にもなろうし、冬なら風邪をひくものも出るだろう。暖房に頼り切った現代人では「0度で無風なら寒くはない」というオラの感覚もわからないだろうしなぁ。
被災しても自分の生活が今まで通りなわけ無い。不便に慣れるってのは、必要最小限の生命維持であって、病気になってる場合じゃないというのも分かるでしょ?。そういう部分が楽な方へ楽な方へと逃げ続けた結果、人間という生物が急な生活環境への順応性を衰えさせていく原因だし、怠惰に慣れると筋力も落ちて自分のことを自分でできなくなる。
自ら望んで弱体化する動物なんて居ない。居るとしたら人間だけだ。
集団として強い人間は個々じゃ個体差が大きすぎて、人間は生物的に強いか?と聞かれれば、文明レベルの低い人間ほど個としては強いと答える。
便利なものが使えなくなったら、それ無しで長期間を生きられるか?。それは今の自分にあてはまるものを列挙して、チェックしてみれば良い。これだけは無いと生きられない物があるとしたら、用意すべきなのはそれだ。
でも、その災害の発生時に生き残れないような弱者は、その災害の発生とともに死んでしまうリスクは高いんだよね。
無ければ不便を今から減らそう。寒くても我慢しよう。暑ければ涼しくなる工夫を覚えよう。無用な羞恥心は捨ててしまえ。無いよりマシと思おう。自然から食べ物を自力で入手する術を学ぼう。そして、自分を鍛えよう。
やってて良かったと思えるのは、当事者になってからだと思うが。
大半の人間は当事者になるまで他人事なんだよね。そこが人間の一番駄目なところ。
「私、メンタル強いから」はもうやめよう。メンタルには強いも弱いもない。あるのは個人の中でのグラデーション
大して中身のない記事だな。
診療先の案内みたいなものだけの記事だな。
この記事に書いてないけど弁護士に相談することで悩みの解決を図るという方法があるとオラは思うな。モノを知らないというのは損をするってことだ。簡単に法律で解決できる問題もある。そういう場合は医者より弁護士の出番だろう?。
あと、病院では治せないものもあるぞ?。解決の選択肢として他には催眠術という手もある。要するに気にしなくて良いことを気にしすぎる人には、気にする必要がないと思い込ませるのも手段だ。
まだあるぞ。ヒキコモリに一番効くのは外に出ることだ。外に出ることで解決する問題もある。患者の中には出たくないと暴れるやつも居るだろうね。で、療法士が細身のモヤシでガリガリなら手が負えないわけで、そこはやはり脳筋の出番だね。出ることが怖いなら、一緒に外に出てくれる人間が質実ともに頼りがいのある人間であれば、少しは外に出ようと思うだろう。絶対に大丈夫だ!。任せろ!怖くない!と強く断言できる人間じゃなきゃだめな場合もあるだろう。それが突き飛ばしたら3mも吹っ飛んで骨折しそうな鶏ガラみたいな人間だなら「どこが大丈夫なんだよ!ふざけんなよ!」とかなるでしょ。人間が見た目や外見から発することのできる相手の心理への介入ってのは大きい。
それは動物相手に通用する心理への介入スキルを持ってるオラにしてみれば、言葉だけでは伝わらないコミュニケーションスキルであり、無愛想な医者じゃ絶対に不可能な領域を揺さぶるテクニックでもある。
まず、うつ病の状態ってのは正常な判断をするための思考の範囲が狭まってる状態にあると理解する必要がある。それが当たり前にできているのが普通の状態で、うつ病は普通なら考えに及ぶ解決能力の部分が異常なのだ。心に訴えるとか、心を揺さぶるとか、安心感とかそんなもんが切っ掛けになるとしたら、机上の空論を振りかざす頼りないモヤシよりは、見た目にも安心感のある介助者の方が外に連れ出すには好都合ってこと。
まあ、ケースバイケースだろうけど。安易に病院だけ勧めるてのは間違った対処方法だよね。視野が狭いとしか思えない。気持ちとか考えを変えるってのは誘導であり、洗脳に近いのかも知れないけど、そこに嘘がなければ詐欺じゃない。ま、ある意味で善良な詐欺師の方がこういう心理を突くことに医者より長けているかも知れないのは確かだ。
事に依っては医者や詐欺師よりも寺の坊主の方が向いているかもしれない。ただ、頼る相手が怪しげな宗教ならそれは洗脳になっちゃうってだけ。彼らは人間の不安につけ込んで信者を増やし、救いはそれしかないと思い込ませ、病状を悪化させるウンコ蠅でしかないからね。信じるものは何でも良いけど、ひとつに偏ってはダメってことだ。だから精神病は医者しか治せないってのも大嘘だし、使いように依っては詐欺師もアリなのかもしれない。何事にも動じない解決策は物理!っていう人間にもできるだろう。救済の方向さえ間違わなければ宗教もまたアリだとは思う。
でも、人間は動物である。
この事だけ間違わなければ生きていく為に必要なことってのは意外と単純で、教えてくれるのは人間じゃなく動物の場合もあるってことだよ。オラは生きる意味を身近な野鳥に教わり見えてきた世界の広さで悩むのをやめたって感じ。
あることに気づくと悩むのが馬鹿らしくなる。
先の先まで心配していたら今がお疎かになる。
結局は心配するだけ無駄なことのほうが多い。
解決手段は多い方が良いに決まっている。自分に合うものを選べば良い。
まず自分を大切にしなければ様々な面で大損することになる。
他人の心配は、まず自分自身を自分で救ってからにするべき。
自己犠牲も度が過ぎれば多くの人を救うかも知れないが、多くを不幸にもする。
自己の常識を自ら狭めるのは愚かな行為である。
モノゴトの本質を知っていれば、自然とトラブルはその都度解決でき、不幸を回避できる。
考えることを放棄すると、単純な理(ことわり)を見落とす。
過ぎたことに執着しすぎるよりも、次に同じことで失敗しないのが利口ってものだ。
他人の失敗を自分ごととして考えれば、自分が同じ過ちを侵さない。
世の中の関心は人が作ったものである。下手な誘導に騙されることなく、本当に有用なものを取り入れるべし。
世の中美味しい話なんてほぼ無い。楽して欲を満たそうとすると儲けより損の方が大きい。
多数派でいることには安心感を得られるのだろう。でも、そこに本当の自分の意志が無ければ自分自身を見失う結果になる。選んだのは自分。だから結果は誰も恨めない。
価値とは不変ではない。移ろいゆくモノである。今の価値観は後の後悔にならないように。
ま、そんな感じ。
【悲報】乃木坂が学校にサプライズ訪問!!!→ 学生「シーン…」
烏合の衆の一人だと印象はこんなものじゃないかと。
ある意味でアイドルアニメの1キャラより無名なのではないかと。
アイドルアニメは見ないけどね。
あ、マクロスは別だよ?。
「有望な社員が続々と退職している」「章男会長は人が良すぎる」トヨタ社員・元社員6名が嘆く「世界ナンバーワン企業・トヨタの危機」
トヨタ生産方式とか言いながら、実は問題だらけだったというオチ。
オラはここで昔から書いてたよ。無駄を省くあまり人を大事にしていないってね。
何時だっけ?、生産調整のために3月まで雇用計画のあった基幹契約の人を年末に解雇して寒空に放り出した(寮を追い出した)って事件。あの時に強烈にトヨタ嫌いが加速したね。結局はコストや効率を重視するあまり、ヒトデナシなことをしてきた罰なんだよ。
どうなのか知らんけど、オラは恨みのエネルギーって眼には見えないけど個や集合体など名のあるものごとにどんどん蓄積していくと思うんだ。
中には感情の起伏が無いとか緩やかであまり周囲に影響を及ぼさない人など、あまり黒いオーラを発散しない人も居れば、オラのように根本がクソ真面目の善人で喜怒哀楽が激しいと、信じられないくらいの理不尽に遭うことで物凄いどす黒いオーラを爆発的に発散させる人も居るだろう。
多かれ少なかれそういった負の感情ってものが何万~何千万と蓄積していけば、どこかに不具合を生じさせるのかもしれない。その原因が個だったり集合体だったりするのだろうけど、それは結局のところ、自分に還ってきているだけのものなのかも知れない。
普段から恨みを買うようなことをしたり、黙っていても売れるからと裏で不正を働き、儲けに固執するあまり他から恨みを買うかも知れない。トヨタ生産方式は世界的に有名なのかも知れない。でも、追求しすぎて人という多様性のある生き物を均一に押し込んで部品か道具のように扱ってきたトヨタという企業は、「黙っていても馬鹿はウチの製品を買う」という傲慢が積重なった結果、不誠実さを露呈して世の中から在り方の見直しを求められる段階に在るのではないか。
これはトヨタに限ったことではない。どこの大企業も社長の方針を正しく理解していない役員から中間管理職に至るまで全部、柔軟性や能力の不足により正しく末端まで企業理念を守れなければ末端はやる気そのものを失う。結果を出せない末端のツケは中間管理職に。そのツケは役員に還ってくる。社会で起きることは、その縮図である社内でも起きる。
「42万稼いで社会保険と年末調整分引いたら手取り16万」日本の税金、社会保障費の重圧が話題に
タイトルだけ見るとアレだけど、中身を読んで見ると、要するに個人が税金を払いすぎてるって言いたいらしい。
収入が多い上に裏金で潤沢な生活費を持ってる政治家には国民の苦しみなど全く通じていないよね。こういったどす黒い感情が日本の政治家に影響を及ぼしているとは思うし、それが祟って日本という国がおかしくなっているのかもしれない。
一部の人間に資産が集まるのもおかしいし、会社ってのは本田宗一郎いわく、皆んなで幸せになるためのものが会社であるってのは、実際に実現できる方が珍しいってことさ。社員のやる気を底上げするのも社長の役割であるし、社員がやる気をなくせばそれだけ生産性も落ちる。
短期でズルこいて儲けるのが昨今のやり方だが、普通の会社は長期に渡って努力を積み重ねて信用を得て伸びていく。一朝一夕には成長などせん。そういう会社もそこに至るまでに相当な努力や奇抜な発想があったからだ。
今の日本は非常に長い停滞を引きずっていて、どん底すら見えていない。落ちるところまで落ちてしまったらもう、それは日本という土地があるだけの無気力な烏合の衆になってしまうのではないだろうか。
そもそも、政治家が正しく税金を使うのであれば誰も文句は言わない。
でも、外国人への生活保護も含めて税金の使われ方が国民の為になっていない。
少なくとも国民の納めた税金は、国民のために還元されて然るべきだ。
「車中泊」石川県なお140人、仮設住宅に入居できず「選択肢がない」…専門家「2週間が限度」
自分が災害の当事者になると想定していないから車選びを間違う。オラなんて先週は普通にエブリイで4連泊くらいしているからな。週休2日な週はいつも2~3連泊しておる。
足を伸ばして寝返りも打てるほどの平らなスペースを確保できる軽バン(エブリイやハイゼットカーゴなどのこと)は快適な移動別荘である。
ミニバンの方が広いだろとか思うのは間違いだ。座席を倒してもマットやクッションを使うか専用のマットを使わないとミニバンってのは平らなスペースを用意できない。乗用車なんてそんなものだ。
段差も凹凸も無い平らなスペースを用意できるのは貨物車だけ。乗用車なんぞ移動の道具であって快適に長期間を泊まれるようにできていない。
いっそのこと廃車の軽バンからエンジンとか燃料タンク、座席を取り払ったボディーだけのやつに引き込み線とコンセントを付けてカプセルホテルにしたほうが寝やすいと思うが。
一戸建ての人なら中古のキャンピングカーとかトレーラーを置きっぱなしにしても良いでしょ。家に居ながらにして庭でコテージのように使えば良い。エアコンを用意すれば狭いスペースを冷房するだけなので夏でも熱効率も良いぞ。
商業施設の駐車場で2歳女児が車にはねられ死亡 運転していた男を逮捕 千葉・木更津
しかも名前まで出してしまってこのメディアは鬼畜だな。
駐車しようとしていた乗用車が車の陰から出てきた2歳の女の子をはねました。女の子は家族4人で買い物に来ていて父親が車に荷物を積んでいるときにはねられた。
どう考えても2歳児を放し飼いにしていた親が100%悪い。
こういう事案はとりあえず逮捕し葬式には参列させず、不起訴で終わるから氏名までは出す必要はないってのが定説だけどね。
まずはちびっ子をチャイルドシートに固定してから荷物を詰めよ。親が馬鹿だから子供が不幸になる。放置したらその辺を走り回るでしょ?。何考えてるの?この馬鹿親は。それに4人で来てたその4人ってのはどういう構成だ?。母親は?兄弟が居たなら兄弟が捕まえておかなきゃでしょ?。親の危機意識が低いと子供は長生きできないな。どうせなら2歳児を放し飼いにしていた親子のフルネームを出せば良い。
きっと轢いてしまった57歳の自称自営業の人は名前まで晒されてしまったので、「運が悪かったな」とかいう同情しか集まらないと思うけどね。2歳児なんぞ小さすぎて死角で見えないと思うし、幼児の交通事故は親の監督責任が問われるケースがある。
【木村 政美】エクセル、パワポが苦手で後輩に「仕事を丸投げ」する50歳…「働かないおじさん」はなぜ発生するのか?
逆に言おう。オラよりも年下だろうが年上だろうが、オラくらいのレベルでパソコンやネット、ソフトウェアを自由自在に使いこなせる社員は社内でもごく少数だ。
パソコンを使った何か面倒なことは大抵がオラのところに回ってくる。他の人が四苦八苦している中で、オラがやれば速く、正確で、綺麗で、使いやすいから。オラが作ったものは何時もオラが後にあまり関わらいで済むように使い勝手が良く簡単で視覚的に使えるようにしてあるから。
そのオラでさえも、オラが知る達人達に比べると、オラなんて全く大したことがない。世間一般のITスキルの程度なんぞ、下の下も良いところという評価だ。
若いからPCやOfficeが使いこなせるとか思ったら間違いも良いところ。Office程度のソフトなんて玩具みたいなもので、これで如何にして玩具にするかという使い方をしていれば、自動化そのものが遊びになる。
パソコンが苦手な人というのは、そもそも機械に恐怖心が多いから時間がかかる。あんなものは機能(仕組)を遊びと考えて、結果を簡単に弾き出す過程を調整するツールだと思えば良い。
あ、パワポは紙芝居を作る感じで遊ぶソフトな。Excelは面倒な計算を数字を入れるだけで自動的に算出する関数電卓作成ソフトとお絵描きツールとかポスター制作ソフトな。Wordは多機能メモ帳だし。
残念ながら美談とも思えない。
助けようとした人の家族(遺族)から見ればね。
取り残された高齢男性(80)を助けようと…踏切内に入り電車にはねられ重体だった男性(64)が死亡 高齢男性も同じく死亡
酷いことを言ってる自覚はある。でも、無駄死には美談ではない。
多分ね、
オラなら迫りくる電車があと何秒で当事者の位置に到達するか。自分がそこへ駆けつけて引き戻す。或いは間に合うかどうかを一瞬で判断し、間に合わなければ助けない。単純な足し算引き算の問題である。ミイラ取りがミイラになるにはそれだけのメリットが無ければ成らない。そして、マイナス2になるならオラは最初から動かない。
では、判断基準である。
第一に、間に合うなら襟首掴んで踏切外に引きずり出す。優しく手を引いている場合ではない。今回に限ってはそんな余裕など無いはずだ。
助けようと飛び込むと言えば溺れた人を助けることにも似ている。踏切に取り残された人を助けるのも、水中に飛び込んで助けるのも当事者と救助者が生き残るのは五分五分だ。
踏切が降りてから十分な時間がある場合を除いてはだけどね。助ける方にもリスクに見合う動機が必要だ。
状況対処能力とは物理的な身体能力と思考・判断能力であり、有れば上等。無ければ不幸になる。努力で必ず手に入るものだけに持っていない人は当事者に成った時にどう思うだろうか。
そんなの考えている暇はないという人は居ると思う。
オラがいつも言っていること。それは、普段から想定していれば想定内となる。想定していなければその場で考える必要がある。そして迂闊な行動を取ることになる。判断を誤れば差し引きマイナス2だ。
自分が初めて遭遇する事態はその場で考えるので間に合わないけど、普段から条件を決めていれば咄嗟の時に二択を間違わない可能性が高まるということ。
では、仮に他の人が助けに飛び込んだら?
当事者が子共で親が助けに飛び込む場合もあるだろう。それをどうするか。両方助ければベスト。親を引き止めれば子供が轢かれた時に恨まれる。子供に対して轢かれない位置に移動するよう呼びかけて素直に聞けるかどうか。間に合わないと確定すれば何もしないも選択肢にある。
走ってくる電車の軌道を読んで、最小限の移動で回避する。線路と線路の間でも、隣の線路との間ではなく、軌道上に伏せていれば接触の危険はある。
退避が間に合わない場合は伏せれば電車本体に接触しない事も可能だが、踏切前後がカーブしていると通過する軌道を読みを誤る可能性がある。複線の踏切では判断を誤れば死亡率が上がる。
こんな時に自分ができること。しないことを決めておこう。
青森沖でホタテ養殖漁船の3人が死亡、1人行方不明 海保の捜索続く
2名は救命胴衣を着用してても死亡ですか。携帯電話はどうしたんでしょうね?。海の男なら普通は防水スマホでしょうに。スマホにお洒落を求めると駄目でしょう。少なくとも海の仕事人なら防水ですよ。
なぜ助けを呼べなかったのか。もしかして密猟者に襲われた?。中国や北朝鮮の工作員が小型潜水艦で陸奥湾内に侵入しているとか?。ま、横浜町と言えばナマコ。主な輸出先は中国だからね。893が中国に横浜ナマコを横流ししているかもだし、893を見つけて注意したら殺されたとか。
救命胴衣を着けている人が2名も居て何も出来なかったというのが納得できない。
事故ではなく事件じゃないの?。