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2024年3月2日土曜日

なーんだ。サイボウズの宣伝かよ。

 「私、メンタル強いから」はもうやめよう。メンタルには強いも弱いもない。あるのは個人の中でのグラデーション

大して中身のない記事だな。

診療先の案内みたいなものだけの記事だな。

この記事に書いてないけど弁護士に相談することで悩みの解決を図るという方法があるとオラは思うな。モノを知らないというのは損をするってことだ。簡単に法律で解決できる問題もある。そういう場合は医者より弁護士の出番だろう?。

あと、病院では治せないものもあるぞ?。解決の選択肢として他には催眠術という手もある。要するに気にしなくて良いことを気にしすぎる人には、気にする必要がないと思い込ませるのも手段だ。

まだあるぞ。ヒキコモリに一番効くのは外に出ることだ。外に出ることで解決する問題もある。患者の中には出たくないと暴れるやつも居るだろうね。で、療法士が細身のモヤシでガリガリなら手が負えないわけで、そこはやはり脳筋の出番だね。出ることが怖いなら、一緒に外に出てくれる人間が質実ともに頼りがいのある人間であれば、少しは外に出ようと思うだろう。絶対に大丈夫だ!。任せろ!怖くない!と強く断言できる人間じゃなきゃだめな場合もあるだろう。それが突き飛ばしたら3mも吹っ飛んで骨折しそうな鶏ガラみたいな人間だなら「どこが大丈夫なんだよ!ふざけんなよ!」とかなるでしょ。人間が見た目や外見から発することのできる相手の心理への介入ってのは大きい。

それは動物相手に通用する心理への介入スキルを持ってるオラにしてみれば、言葉だけでは伝わらないコミュニケーションスキルであり、無愛想な医者じゃ絶対に不可能な領域を揺さぶるテクニックでもある。

まず、うつ病の状態ってのは正常な判断をするための思考の範囲が狭まってる状態にあると理解する必要がある。それが当たり前にできているのが普通の状態で、うつ病は普通なら考えに及ぶ解決能力の部分が異常なのだ。心に訴えるとか、心を揺さぶるとか、安心感とかそんなもんが切っ掛けになるとしたら、机上の空論を振りかざす頼りないモヤシよりは、見た目にも安心感のある介助者の方が外に連れ出すには好都合ってこと。

まあ、ケースバイケースだろうけど。安易に病院だけ勧めるてのは間違った対処方法だよね。視野が狭いとしか思えない。気持ちとか考えを変えるってのは誘導であり、洗脳に近いのかも知れないけど、そこに嘘がなければ詐欺じゃない。ま、ある意味で善良な詐欺師の方がこういう心理を突くことに医者より長けているかも知れないのは確かだ。

事に依っては医者や詐欺師よりも寺の坊主の方が向いているかもしれない。ただ、頼る相手が怪しげな宗教ならそれは洗脳になっちゃうってだけ。彼らは人間の不安につけ込んで信者を増やし、救いはそれしかないと思い込ませ、病状を悪化させるウンコ蠅でしかないからね。信じるものは何でも良いけど、ひとつに偏ってはダメってことだ。だから精神病は医者しか治せないってのも大嘘だし、使いように依っては詐欺師もアリなのかもしれない。何事にも動じない解決策は物理!っていう人間にもできるだろう。救済の方向さえ間違わなければ宗教もまたアリだとは思う。

でも、人間は動物である。

この事だけ間違わなければ生きていく為に必要なことってのは意外と単純で、教えてくれるのは人間じゃなく動物の場合もあるってことだよ。オラは生きる意味を身近な野鳥に教わり見えてきた世界の広さで悩むのをやめたって感じ。

あることに気づくと悩むのが馬鹿らしくなる。

先の先まで心配していたら今がお疎かになる。

結局は心配するだけ無駄なことのほうが多い。

解決手段は多い方が良いに決まっている。自分に合うものを選べば良い。

まず自分を大切にしなければ様々な面で大損することになる。

他人の心配は、まず自分自身を自分で救ってからにするべき。

自己犠牲も度が過ぎれば多くの人を救うかも知れないが、多くを不幸にもする。

自己の常識を自ら狭めるのは愚かな行為である。

モノゴトの本質を知っていれば、自然とトラブルはその都度解決でき、不幸を回避できる。

考えることを放棄すると、単純な理(ことわり)を見落とす。

過ぎたことに執着しすぎるよりも、次に同じことで失敗しないのが利口ってものだ。

他人の失敗を自分ごととして考えれば、自分が同じ過ちを侵さない。

世の中の関心は人が作ったものである。下手な誘導に騙されることなく、本当に有用なものを取り入れるべし。

世の中美味しい話なんてほぼ無い。楽して欲を満たそうとすると儲けより損の方が大きい。

多数派でいることには安心感を得られるのだろう。でも、そこに本当の自分の意志が無ければ自分自身を見失う結果になる。選んだのは自分。だから結果は誰も恨めない。

価値とは不変ではない。移ろいゆくモノである。今の価値観は後の後悔にならないように。

ま、そんな感じ。

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