身内にとっては「かけがえのない1人」でも、他人から見ると「ただの数字」
水の事故が無くならない。
何故か。
ニュースの向こう側の人はただのニュースの出来事で「どこかの誰か」、他人であるから関心が無い。
だから自分の身内が水の事故で亡くなるまで実感がなく、身内に釘を刺すこともしない。
結果としてそれが身内に起きた時に初めて後悔することになる。
水に入る前に「安全であるか」「溺れそうに成った時に這い上がれるか」「流される要素はないか」「自分一人で何とかなるレベルか」なんてことを考えるガキだったので、全ては慎重。
落ちても焦らず岸の草に捕まって這い上がる。
川に飛び込む時は、下流側で立てる浅瀬がある。
滝壺に飛び込む時は、捕まらないように下流側に泳ぐ。
実に単純明快な答えを用意して遊ぶ。
何も考えずに怖い事だという自覚もなく、浅い考えで溺れてしまった時、多分、余計に足掻いて正しい判断ができなくなる。
何事も事前に考えて行動することで、自分で自分の身を守れる。
自分の身を守れないで危ない遊びをすると、そこで人生終了である。
別に何も難しいことを言ってるつもりはない。
危険なことをするのは楽しい。
でも、安全マージンを自分の中で線引できない人間は早死するだけのこと。
ニュースを他人事で済ませてはいけない。
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