この単調で地味で無我の境地を見いだせるような作業に中毒性でもあるのだろうか。
舎利石そのものの出自の特異性の魅力だろうか。ここにしか無いものだからか。
鉱物としての見た目に惹かれるのか、それとも希少鉱物だからか。
普通に拾おうとしても数を見つけるのも困難で、良質なものともなると含有率が低いのに自分ならさほど難しくなく拾える事が面白いからか。
仏教的価値が高く、パワーストーンとしても破格の効用があるからか。
他の輝石同様に、自然が生み出した芸術品であり、その偶然に偶然が重なった奇跡に感動したからか。
今採らないと、いつか枯渇するかも知れないから。これは予想が変動することもあるし、誰にも断定できない。でも、実際に様々な目に見える要素と気候変動による条件の変化はあると言い切れる。
そして、後に後悔しないために今拾うべき鉱物であるのは間違いない。採らない理由もない。採るなら効率が誰よりも高いオラなら作業に無駄が無い。
価値が高いのは間違いなく、現地に行っても必ず拾えるとも言い切れないので、旅費を考えると買ったほうが確実であるのも正解だ。
最も正しい拾い方を考案したのもオラであり、年に数度しか来れない人への指導で拾える数は3倍多くなる。
伊達に浜に転がってる訳では無い。オラの行動には理由と論理がある。
日々拾い方も進化していて、埋没箇所の予測精度も格段に上昇中。
舎利石採取に関しては誰にも負けない筈だ。舎利石の所有数も多分オラが一番多い。
ああ、多分だけど、老後の備えってこともあるね。売れる価値のあるものを備蓄する訳で、採れなくなれば価値も上がる。
多趣味なので、それを続けるには最低でも衣食住と車だ。スキルが多数あっても丸腰では活かせない。足のないオラじゃ性能は半減どころじゃないから。
ということで、やはり趣味のためって事になる。
例えば、良いアイデアがあっても、それを形にできなきゃ売れないでしょ。でも、その為には資金が要る。資金を得る為には何かを作り対価を得て次に繋げる。
商売を大きくするのも、趣味を継続したり広げるのも同じ事。
ラジオのアンテナ制作サイト作って、記事の執筆依頼を受けて、原稿代でカメラ貰って、それでWikipediaやGoogleMapに投稿する。その写真から思わぬ問い合わせが来てネットワークが生まれる。その繰返し。
僕は友達が少ない。これは事実。でも、仲間は多い。互いに縛らない。縛られないのが仲間。気楽で良い。
多分ね、友達が多いほど出費は多くなると思うよ。仲間だと共通点があるから察せるけど、友達って時に過干渉になって喧嘩もする。でも、仲間同士って喧嘩はほぼ起きない。これからの時代は友達よりも有能な仲間のネットワークが大事になると思うんだ。
舎利石拾いもそのネットワーク作りのほんの一部分かもね。