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2009年1月4日日曜日

一極に依存すると一極の崩壊で全体が崩壊する

ボードゲームの上でマネーゲームしてをもゲームの中だけで終わるが、現実のマネーで遊ぶとこうなる。

だれか一部の人間がが極端に得をするなか、世界では恐慌だのなんだの騒いでいる。

その騒ぎを一国の中のものとして「ふーん」で終われば良いものの、一国の恐慌が世界全体に波及するのは変だ。

経済学とかマネーゲームには全くの無知だけど、金融と一部の業界を見捨てて無かった事にして自立採算性に切り替えるということはできないのだろうか。

いつまでも同じ仕事があるとは思わないで準備してきた人は生き残れるだろうけど、それに依存してしまうと他での再建の余地が無いのだろうか。
何処の業界も、設けられる時に儲けられ、不況なら不況なりに人間は生きていくしか無い。

あてにならないものにしがみ付いて、あてにしていた物が崩壊すると連鎖的に崩壊するこんな経済システムなど、所詮、金が腐るほどある人間のマネーゲームが誰かの一人勝ちで終わったのだろうか。

コピー機でお金を大量にコピーして架空のお金があるとしよう。
でも、全体では架空のお金も本物も偽物も無く同じお金で、全体のお金の価値が無くなっているのではないだろうか。
価値の無い物に欲しいからと無意味に大量のお金をつぎ込み、無駄に物の価値を挙げ、そこには何処かの誰かが儲けている事実があるし、ただ、そのあぶく銭で使え使えとゴミを買い捲り、一度価値が下がると一気にものの価値が下がる。
勿論、金もあるだけで実際の金の価値は紙屑同然。それでもそのお金を必要としている人間は居るのに、世界のどこかでは使っても使い切れないほどの金を持っている人間も居る。

なんでも成功するのは良いことだけど、この世界的な物の価値やら貨幣の価値って、出回ってこそ価値があるわけで、現状で出回っている金はコピー機で次から次へと増やした価値のない金。
言い換えればお金であると同時に、流通していないお金を架空のお金で水増ししているだけの紙屑だ。
その紙屑は実はプラスのものではなく、マイナスのお金で、そのお金を発行している国の借金だ。

金は天下の回り者であるかどうかは、腐るほど金を持っている人が世間に消費という形で放出しなければ全体が幸せになれないんじゃないかな。

儲かっている会社が正義かどうかなんて中身を見なくちゃ分らないけど、投資とか株とか訳のワカナラナイものでお金の価値が高くなったり安くなったり。
ハッキリいって、オラから見ると投資とか株って経済と言う名の単なる博打にしか過ぎず、本当の価値ってその物の価値ではなく、一般には出回らない架空の金によって動いているのではないだろうか。

現在手元にあるお金の価値が1万円は1万円の価値があっても、缶コーヒーが240円になったら1万円は5000円の価値しか無くなるわけで・・・

世の中の価値って何を基準として決められるんだろう。いっそのこと、金や株や投資する物の価値ではなく、製品とかサービスとか目に見えるものの基準によって決められればいいのにな。
ものの価値が買う側の人間によって高いものもあれば安いものもある。高ければ良い物で安ければ悪いものという基準は誰がどこで決めるんだろう。

金を転がして遊んでる連中にとっては、博打感覚の遊びかも知れないけど、形の無いもの。目に見えないもの。架空のもの。酷いものになると夢にまで金がつき込まれている。

ある国でキャベツを1個20円で買ったとして、それはその国ではその対価で充分なわけだ。日本では100円で全く同じキャベツを売ってる。それもでそのキャベツを高いとは思わないだろう。
ある国では1ヶ月1万円で充分な生活ができ、有る国では10万円無いとロクな生活が出来ない。
よーく考えると、それって高く売ってる国は同じものをつくり売るために100円貰わないと作れず、有る国では20円でも充分だという。

お金って、お金の価値って、そして物の価値ってなんだろうね。
どうして人間は形の無い物にお金を無駄に投資したり、価値観というもので労力に見合わない給料が決められ、一部では有り余るほどの金を手にするものが居て、ある者はいくら働いても一向に裕福になれない。

ほんと、お金っていうもの自体の価値って何なんだろうね。

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