納車が明日に控えて
特に今更やることなどなし。明日はそこそこ車から物を下ろしてディーラーに行き、乗り換えて、そのまま慣らし。1ヶ月点検をやるとか言ってるけど、1000キロとかだったら1ヶ月も掛からずに行ってしまうのだが。その辺どうなんだろ。
既に信用がマイナス500%のスズキアリーナに持参するのもクソ喰らえな状況。個人的には今後一切近寄りたくないというのが正直な気持ち。
経路を見る限り、中国艦船からの砲弾やミサイルによる直接攻撃は無理。となると自爆ドローンによる海面スレスレ、超低空からの急上昇攻撃による墜落の可能性は残る。
位置関係からするに、ここで撃墜してから乗員を回収するには目視に依る発見の虞があり、拉致するにしても無理がある。なぜ誰も見つからないのか。
墜落の衝撃で全員がヘリ内部で気を失ってそのまま沈んだのか。
【解説】陸上自衛隊のヘリコプター“消息不明” 考えられる3つの原因 機体の一部らしきものも新たに発見
腑に落ちないこと。何で一人も見つかっていないのか。水深100mにヘリが沈んでいるということ。つまり潜水艦に拉致られた可能性。
全員が墜落の衝撃で即死するものなのか。そんなに自衛官は貧弱なのか。そうは思えない。
シートベルトは?。救命胴衣は着けている筈ということになっている。つまり投げ出されても何人かは見つかると思うのに、誰も見つかっていない。そのようなことがあるのか。
現状で考えられるのは、自爆ドローンに依る特攻で墜落。爆発の衝撃で乗員全員が死亡または気絶してそのまま沈下。
自衛隊も数百メートル程度に沈んだ機体や船を浮上させる作業船くらい用意しないのか。
潜水艇に依る機体の破損状況を確認できる装備も無いのか。海洋大学が持っているくらいの装備品を揃える予算も無いのか。上層部は無能なのか。必要になってから予算を申請するのは想定(想像力)が足りない。
今回の事故(事件)は納得できない復改なことが多すぎる。
と書くと、人間に対して動物たちが自然を返せと訴えるかのように聞こえるが、オラの考えは違うんで。
感性による良し悪しや人の「なんとなく良い」とか、「ぶさカワイイ」とかAIじゃ判断できないようなことでしょ。あと、風流とか、美しいとか感動とかそんなもんは残る。それに携わる。発信する。想像する。判断する。バズらせる人は残るでしょうね。
真っ先に要らなくなるのはセルフレジ化でコンビニやスーパーのレジ打ちとかそういうの。コンビニやスーパーは商品の陳列とかで今のところロボット化したとしても満足のいくようには出来ないでしょう。それこそ、みんな電子マネーで決済するようにすれば、スーパーもコンビニも棚にカード読み取り機つければ、タッチして商品が落ちるようにできるでしょ。最初に袋を買うか持ち込めば、最後にレジ打ちも必要ないし、万引きもできない。要するに棚が自販機状態。これだと万引き犯は根絶できるかも。
オラの趣味に関しては、石ころ関連ではAI判定ができるのは少ないかもね。クリエイト系やら探索系。撮影とかそんなもん。実際の行動を伴うものはAIが自由自在に出歩けるロボットでも撒き散らさなきゃ無理でしょ。
あと、人間の勘とか、野生の勘みたいなやつに頼るもの。経験による学習はAIの得意なものだろうけど、人間の好みすら個性に依って偏りがあるので、学習しきれないと思う。そしてAIは経験や判断。結果による学習はその事例によって学べるけど、嘘を見抜くには時間がかかると思うし、ポーカーフェイスのできる人間には通用しそうもない。
また、誰を助けるか、誰を見殺しにするかという判断もだね。これらはあくまでも守る対象が守りきれるかどうかとか、最初から護衛対象が決まっていて、それを優先させるとかは設定や判定による選択の結果。人間のように、可愛いから助けるとか、ブサイクだから助けないとかいう判断はしないだろう。そもそも人間が人間の好みを判断する基準でさえ曖昧なのだから。
例えば目の前に刃物を持った狂人が居たとする。
近くに襲われそうな人が居るとする。
身内である場合と赤の他人である場合でも助けるか助けないかの判断は変わる。
男の場合は単純だから、行動には下心が伴うし、肉体の強度によって助けられるか助けられないかの他に、そもそも自分第一で誰だろうと見捨てる男も居るだろうし、自分の大切な人なら庇おうとするかもしれない。
オラの場合はそこへ更に別の考えも入り込む。
一つは、チャンスと考えるパターン。何のチャンスかと言えばこれはオラの脳筋な部分。自分の攻撃力の確認。滅多にないでしょ。全力で試せるってこと自体。
何も考えないということもある。身体が勝手に動くってこと。打算は人間だからあるでしょ。あとからのメリット。いま動けば◯◯かもしれないってやつ。
他には間に合うかどうかの問題。相手の使う獲物も問題。受けるダメージによって手を出すか、出さないか。逃げても意味がないか、逃げ切れるか。
先制攻撃を防御と考えるかってやつ。防御は狂人には通用しないので普通にやられまくる。こうなるとどんどんダメージが蓄積して反撃のチャンスがなるし、受けたダメージで攻撃が遅くなるほど相手に与えるダメージが減っていく。可能な限り早い方が良い。ベストは受ける前に狂人相手に最大限の攻撃を与えて相手の攻撃力を削ぐこと。
初手で大ダメージを与えれば、相手の次のターンが遅くなる。防御の真逆だ。どんどん相手の初手を遅らせつつ相手が先に戦闘不能になれば良い。だから遠慮する必要も無いし、正当防衛だの過剰防衛だのは後で考える。そもそも相手が凶器を持っておりこちらが素手であれば正当防衛は後からどうとでも成る。
そういえば、AIの警備員が居たとして、人間に危害を加えることを禁止したら、取り押さえるしかできないでしょ。その相手にダメージを与えず取り押さえるってのがAIには「加減」というものが理解できるかどうか。
やはり人間が起こす事件とかってAIじゃ臨機応変には対処できないだろうから、警備ってのはあくまでもAI+ロボットって人間の補助にしか使えず、同時に行動して人間が指示を与えるってことしかできないでしょ。他には何か気配を感知するとか視線を感じるって曖昧なやつ。センサー類てんこ盛りのロボットなら音や赤外線などで何かを感知することはできても、勘や感覚って100%はロボットじゃ感知できないでしょ。
人間相手でも難しいことを、例えば野生動物の侵入などでどう対処するか。害獣駆除としてその場で殺傷するか、それとも、動物の種族を判断して絶滅危惧種なら捕獲を優先させるとか。そういう判断もできるか。やむを得ずっていうのもどこでやむを得ずと判断するか。
遠隔でカメラ越しに人間が判断するのだろうけど、人間の眼ほどの解像度や感度が無いと細かな種の違いも判断できるかどうか。
あと、制圧できるか出来ないかの判断もだよね。盗ませたほうが被害が少なくなる場合と、取り押えるのを優先して施設を破壊しまくるのとではどちらが得か。これもAIじゃ難しいでしょ。色んな人の判断を仰ぐ状況では、即断即決って訳にも行かない。はてさて。考えれば考えるほど怪しいな。
損して得取れとかもそうでしょ。これからテクノロジーの進歩で犯罪も直接関節問わず人間が直接動く場合と、ロボットにさせる場合も出てくる。例えばロボットの中に人間が居るかどうかの判断も、ロボットはどう判断するか。SFのアニメや映画みたいに生体反応がどうとか、X線でスキャンしてどうとかそういうのまで警備ロボットに盛れるか。または判断できるか。カメラの先の人間が判断できるか。
そして法的問題。犯人が中にはいってて、警備ロボットが殺してしまった場合。小説や映画だとロボットには殺人は出来ないので機会のご動作でってシーンがあったけど、指示をしたのは人間だから、この場合はどのような扱いになるのか。
人間のようにロボットやAIには心神喪失とか、カッと成ってついとか無いでしょ。オラの場合は普通に「やられると思ったので夢中で・・・」とか言えるでしょうけどね。ロボットがカッとなることも無いし、無我夢中も無いでしょ。
ま、とりあえず、警備業は残るでしょうね。ロボットとの2マンセルみたいな感じで。単純な巡回はロボットの遠隔操作+AIによる半自動化はできるとしても最終的には警備室からのカメラに依る遠隔でしょう。
販売に関してはどうかな。食い物であれば受け答えで「今日は◯◯がお得ですよ」とか「◯◯が美味しいですよ」って、AIが味とか分かるんかい!とか客から言われそうだけど、結局は人と人とのやりとりって重要な部分は購買意欲とか、妥協とか、交渉みたいなものが多いので、AIが勝手に値引き交渉とかできるならそれでもいいけど、皆に値引き交渉してたら儲からないよね。ということで、やはり、好みとかお勧めとかそういうものは人任せにしている部分をAIが担うのは難しいかと。
では確実に無くなるってのは何かと言えば、判断が必要ではないもの。機会的に特定の条件に沿って判定式で淡々とこなせるものでしょうね。要するに無感情で無表情で無思考な業種はAIで確実に無くなる。
人間のためのロボットやAIは、あくまでも「これ、わざわざ人間がやる必要無くね?」って部分に置き換わるだろうから、コミュ障は失業するでしょうし、頭が悪いとAIでも十分だからって断られるだろうし、自主性とか、感性とか、勘とか、適当にって感じのファジーな部分を要しないものから無くなる。
未だに自動運転ですら誤作動とかあるし、複雑になればなるほど瞬間的に判断する「その何となくこうではないか的判断」も場合によっては漏れる。なにせ車って動いているからね。全部を機械が制御していれば別だけど、人間ってのは基本的に面倒くさいって状況では交通ルールを無視しちゃうお馬鹿さんが大勢居るので、人間だって車を運転していて、「おい嘘だろ、このタイミングで普通出てくるか?」ってのがあるように、機械がその人間の愚かさを加味した防衛運転までできるとも限らない。ほら、人間の見た目でわかるでしょ、あ、この人は馬鹿そうだから危ないとか、このジジババ、もう免許を返納しろやって感じの。でも、年齢だけではこういうのって判断できないよね、運転技能は年齢よりも適正ってのがあるから、若いから大丈夫だろうって機械が判断したら、こいつ、車を運転しちゃダメなやつだったって、乗ってる人が死んじゃうかもしれない。ハッキリ言って自動運転にだけは殺されたくないものだね。
まあ、人間ってのは、その時の気分で、行動原理が変わるし、ハッキリいって人間の行動をAIが全て把握するのは難しいよ。
いつも思うんだけど、何で航空機って自分の位置をGPSで計測して、位置を基地に送信しないの?。旅客機でさえも墜落現場の特定をするのに時間がかかりすぎ。これって場所が分かると撃墜されるから自らの場所を公表できないってことで良いの?。
浜田防衛相、事故の機体「大変安定」 中国軍艦との関連「情報ない」
まあ、みんな同じことを思うよね。尖閣周辺に出没している中国の船。こいつらにやられたのでは?という疑い。だって、統制の取れていない軍隊はゴミムシなので、現場の暴走が起きやすい。韓国のレーダー照射だってそうでしょ。ウンコ以下の韓国軍だからこういう事が起きる。中国は話が通じないジャイアンみたいな国だ。
ヘリだと携行ミサイルにでも狙われたらすぐに撃墜されるでしょ。中国の関与はないとも言えない。何せ、国際法を無視する露中北韓なんぞ国として抗議するだけ無駄。
あとは、機体に水に浮く大量のマーカーを搭載しておけば発見も早いでしょ。他には海で着水したら海水が浸透して発電し、点LEDが光るとか。とにかく、現状では目視に依る機体の発見に頼ってて簡単に墜落現場を特定できる仕組みが無い。これは非常に良くないと思う。
「そんな人達にはラーメンを作れません」 路上駐車注意で逆ギレ...迷惑客に二郎亀戸店が怒りの苦言
田舎じゃ、駐車場のない店は基本的に利用しません。そもそも車でお越しのお客様はご利用できませんということなので、オーナーの意思に従って利用を避けます。
基本的に悪である路上駐車を、するかしないかは車の持ち主に委ねられますが、路上駐車を容認している店はマイナス評価ですね。少なくとも店の入口に路上駐車禁止とか、目の前に停めたら車を移動してもらうとか言わなきゃ。
他の通行の邪魔になるでしょ。しかも歩道に利用客が乗り上げて歩行者が車道を歩かなきゃいけないような店はさっさと潰れろって事です。これがたとえば中心街など、そもそも路上駐車じゃ利用できない場所であれば、コインパーキングに停めるのは普通ですが、青森の新町通りのみずほ銀行なんかも路上駐車を容認しているようですね。大手の銀行なら入口に警備員くらい配置し、路上駐車はご遠慮くださいと注意すりゃいいのに。宝くじを買いに来る客もそうだしね。
利用者はちょっとだけと思っているようですが、そのちょっとだろうが避ける車にしてみれば邪魔くさい以外の何者でもありませんね。特に新町と安方は路上駐車取締強化エリアだけに、慢性化している場所に張り付けば良いと思うけど、袖の下でも貰ってるのかね。なかなか減らないんだよね。
路上駐車じゃないにしても、青森市の波打通りの青森銀行の駐車場やマックスバリュの駐車場ですが、近所の人や居酒屋で飲み食いした人が利用してるぽい。夜中にATMを利用する時にたくさんの車が停まってるけど、ATMに人が居ないとか普通。この車は銀行を利用指定ないひとが停めてるんじゃんとか思う。そしてマックスバリュもね。客が居ないのに車数台停まってるもの。絶対に飲酒運転は確定だよ。青森銀行もマックスバリュもこれに関しては過失はない。ただ、時々見回って張り紙をするくらいすれば良いのにとは思うけどね。他のお客様の御迷惑になるから無断駐車はやめろくらいね。
青森市内には中心街や繁華街に近所の客が徒歩や自転車で利用するくらいの有名店って結構あるね。でも、そういう所は路上駐車も多い。オラは迷惑駐車は絶対にしたくないので、最初から駐車場のない店は近所のコインパーキングに停められない場合は利用しない。たとえ5分でもコインパーキングがあれば利用する。殆ど意地なんだけどね、逆を言えば例え5分でも路上駐車すんなって人に言えるからだよ。自分が絶対にしないことだもの。
車の殆ど通らない道とか、歩道がめちゃ広くて歩行者の邪魔にならない場所とかなら状況によっては停めることはある。ただ、交通取締りの対象になるような可能性が1%もあれば停めない。同じく、隣の店の駐車場を利用するってこともしないね。用事もないのに利用しない店の駐車場だけ利用するってのはNGだし、これは悪行だからね。
オラが何事にも他人に迷惑をかけないってことは無いけど、少なくとも他人にやられたら嫌だと思うことって自問自答しての結果なので基本的にやらないのだ。同様に、誰の迷惑にもならないような犯罪ってわざわざ通報しないでしょ。大抵の人はスルーしちゃうでしょ。だって、周囲の人が迷惑を被って居ない行為ってのは誰も不快にしていないのだから。
結局は、結果的に誰にとっての迷惑かということに判断基準がある。直接的はNGだし、間接的もNGだ。でも、誰も困らないことっていちいち目くじら立てるようなことじゃない。
オラは別に神でも無いし、正義マンでもない。正義の味方でも無いから正義に加担するかは自分にメリットがある時だけ。一番大事なのは自分だから、わざわざ危険に飛び込まない。
ただ、危険の線引きは一般人よりハードルが高いので、ちょっと手間だなって程度であれば助太刀くらいはするってだけ。
丼にティッシュ入れる客...人気ラーメン店が食後マナーに注意喚起 「最近多い」「やめていただきたい」
入れる派の中でもご尤もな意見もある。でも、普通は丼にティッシュなど入れないし、人が食べている隣で鼻をかむ行為も嫌われし非常識だ。そもそもティッシュを用意しなきゃいいでしょ。
回転寿司店とかでは、ゴミ箱は用意されていないし、あさりの味噌汁をはじめ。わさびのpっくの空、その他エビの尻尾を含め食べガラをひと纏めにしてそこに使用済みのナプキンを小さく畳んで入れることはある。牛丼屋でも海苔の袋、納豆の空パック、卵の殻などと一緒にひと纏めにしている。一回で捨てられるようにね。
ラーメン屋や食堂などではレジ前の足元にゴミ箱がある。結構どこでも。気づかない人は周りへの配慮とかそもそも周囲を見る習慣がないとかそんなものでしょう。
で、書かれていないのだが、例えば全汁(スープを飲み干す行為)しない人がスープの残った丼に鼻をかんだティッシュをポイするのはOKかNGか。普通に考えてNGでしょ。状況に依るけど、ひとのかんだ鼻水入のティッシュって触りたくなよね。そういうことだよ。
余程の阿呆でない限り、ここに気付くでしょ。
撃たれても倒れないロシアの「ゾンビ兵」、ウクライナ側でも深刻化する薬物問題
で、素人はここでビビって冷静さを失い、倒れないぞ!とか映画みたいなことを言ってしまうかもしれない。でも、ゾンビ映画をきちんと見てきた冷静な人は「だったら脳を損傷させれば」と考えるでしょう。
みなさん、モノゴトは冷静に観察して判断しましょう。SFホラーやファンタジーじゃなければ生物は脳を破壊すれば活動停止します。
さて、準備完了。後は乗り換えの準備として荷物を下ろしながら考える。
冬は2~3週に1度くらい。そのときに1泊または2泊くらい。春から秋は大概ね毎週に近いくらいで、それも1~2泊くらいしている。
大体50~80泊くらいの間かな。どこぞでバンライフ記事を書いている人とほぼ同等くらい。記事を見るとやはり手頃さから軽バンを好んで改造している人も多いようだ。
オラの野営地は概ね津軽半島の先端から秋田県北部あたり。最南端は新潟県の糸魚川市で、その間は日本海沿岸の国道からローカルって感じ。人気スポットは人が多いのであまり近づかないので、周囲への配慮もして夜通し停めてても問題ない場所を選んでいる。
基本的に私有地に勝手に停めるようなことはしない。
選ぶ場所は概ねガラ空きの公共駐車場。ゆとりの駐車帯とか、チェーン着脱場など他に大型トラックも休憩に使ってるような場所。もしくは殆ど車が通らないところとかね。
可能であれば警察の職質も避けたいんだけど、やはり幹線道路から見える場所だと先週のように「ちょっといいですか?」となる。別にやましいことなどまるで無いので職質くらい堂々としていれば良い。
そういや、他県の警官に職質されたことは無いな。
車中泊の目的は車中泊そのものにあったり、目的地が有って、朝一番から施設を利用したいとか、ちょっと360度写真を撮りたい絶景が有ったりとか。メシは自炊するよりも近所のローカルスーパーで惣菜や弁当などを買ったほうが良い。酒は基本的に飲まないのだが、寝付きが悪いときだけストロングゼロのお世話になっている。
虫に食われやすい体質なので、窓を開放することは控えるが、地形効果を利用して強風の場所を選べば風が速すぎて虫すら入ってこれない。海の近くで近くに川がなければ虫も少ない。
車中泊に求めるのは非日常であって、いつもと違う寝床で寛ぐってこと。副交感神経にゆさぶりを掛けるのが目的で、毎日自室の寝床でただ寝て起きてを繰り返していると気分が萎える。だから、いつもと違う環境での寝起きは、何だか旅をしているような錯覚を起こさせるのに丁度よい。
オラの1日の行動半径は半径70~700キロ程度。小一時間で着くような近所から、十数時間ほど走り詰めの場所まで様々だ。ちなみに山形県の酒田市あたりなら400キロくらいしか無いのでオラが母親を乗せてその辺をドライブする合計距離と同等である。つまりは土曜の勤務が終わり、そのまま山形まで走って、翌朝から山形県内の郊外を観光。寝て起きたら夜中から未明にかけて男鹿くらいまで戻ったら、仮眠とって、月曜は男鹿半島を周遊。飽きたら青森市に戻って翌火曜日に普通に出勤という2泊2日の小旅行なんぞ余裕でできる。
疲れないのかという問いに関しては、いつもと違う風景(県外)であり、既に何度も見てきた風景が変わっていく様も刺激であり、夜中に走るって決めているので交通量も少なく、信号で停止することも少ない。日中にちんたら走っている車も深夜は居ない。むしろみんな飛ばしているから時間あたりの移動距離も長い。信号機もほぼ点滅信号になっている箇所もあり、いちいち信号待ちすることも少ない。ちなみにローカル専門なので信号機の少ないエリアばかり好んで走っているので、尚更距離を稼げる。
新車に求める居住性に関しては、前後から見た車体がほぼスクエアなので、天井の広さが際立つかと。これで多分、窮屈さはだいぶ減る。身長178cmの体重90kgだと軽バンじゃギリギリなので、少しでも起き上がった時に目線の壁が遠いというのは十分だろう。現在のサンバーTV-2だと、大げさに言えば卵型。後ろから見れば本当に丸いなって感じに天井が狭い。壁の湾曲している角度が現行型の軽バンの比ではない。
夜中に変な場所で寝てて怖くないのか。これは全然気にしない。怖いのは頭がイカれた人間くらいのもので、仮にオラが車から降りたら躊躇するだろう。こちらは正当防衛の名のもとに自分のスペックの確認作業を淡々と行なえば良い。警官による職質だが、これは警官の仕事だからしょうがない。既に何度も職質受けてるから何かナンバーを照会したときに人畜無害とでも表示してくれ。野生動物は、警戒すべきはクマとサルくらいでしょ。クマなら車内から出ない。サルなら爆竹でも鳴らす。幽霊とかそんなのは最近無いな。昔は寝てたら車を揺さぶられるなど酷い目に遭ったけど、オラの精神状態が鬱の正反対に成ってることで近寄りがたいのかもしれない。遭遇したらしたで、別に世間話でもすりゃー良い。
着替えは下着2着分、フルで。服は1着フルで。防寒は寝袋代わり。ウインドブレーカー上下に膝下まで来る長靴1足。これで十分。あとはタオルと石鹸があれば温泉にも立ち寄れるので積んではいる。
非常食は積んでいないな。いつも賞味期限切らしてカラスのエサになってるので、出かける時に余分に買って、余ったのは家に帰ってから食う。水も多くは買わず、必要なものを立ち寄ったスーパーやコンビニで買う。どうせ2Lで100円くらいだし。風呂は入れないときのために体拭きを用意している。ペットボトルの水で頭を洗えば結構スッキリするし。最近は海水パンツ積んでるので、海や川に飛び込んでもOK。
予備燃料は無し。こまめに給油する派。今度のエブリィは37Lタンクで更に余裕あり。給油回数が減るし、大容量タンクってのはありがたい。USBでの充電機器。とりあえずシガーソケットタイプの2口で間に合ってる。最近はUSB充電器を使っていない。今後、ポータブル電源とソーラーパネルで何とかするつもりだ。
情報機器は、基本的にAndroid6.0の7インチタブを常時起動させてカーナビ代わりにしている。昔と違って1年経ったら道路が変わってるなんてこともあるので、男鹿より南に行くときは渋滞情報も含めて常にONだ。ちなみにGoogleマップを起動したまんま走ってるとPocket WiFiのパケット通信がすぐにギガ単位で消費されてしまうので、迷いそうなときだけWi-FiをONにしている。オフラインマップを事前にダウンロードしておけば、簡単なナビも機能する。ナビがWi-Fiオンになると渋滞情報や付近の詳細地図を読み込むので注意されたし。あとはノートPCとChromeBookについては今年以降の活躍を予定。これらの電源としてのポータブル電源購入計画はエコフローなどで解消しようかと。いまのところジャクリは旧式が安くなってるけどリン酸鉄のバッテリーを使ったProはまだまだ高価だ。やはりコスパを考えたら500~1000の間だな。
お湯を沸かしたいときにどうするか。一応はアルコール固形燃料のコンロはある。ステンレスのマグカップもある。スープやコーヒーくらいなら問題ない。でも、遠出してまでカップ麺を食う気はないので少し沸かせれば十分だ。できればご飯パックくらチンできるものがあれば幸い。
今年の目標。
夏場に暑い時は高原に逃げる。
虫が少ない場所に逃げる。
車中泊を繰り返しながら虫対策を車に施す。
場合によっては平日の就寝も家に帰らず車中泊する。
家にいればそれだけゴロゴロしちゃうし、場合によっては家の中で熱中症に成りかねない近年。多分ね、平日に寝泊まりできる定番の場所を確保したほうが寝不足は回避できると思う。会社に行く前にどこか早く開く温泉に寄れば済むし、選択だってどんどんコインランドリーが増えているので不便はない。朝から道の駅やゆとりの駐車帯で惣菜や弁当や季節の野菜を食ったほうが健康かもしれない。
いまのところ、こんな感じでいこうと思ってる。
と、聞かれたとしても
食ってない。これからも食うつもりはない。別にソウルフードでも何でも無い。
と、答えるしか無い。
青森の煮干しラーメンって美味しいの?
飽きた。もう何年も食ってない。お腹いっぱい。見たくもない。普通のラーメン食いたい。
と答える。
ニボシのお勧めは?と聞かれたら、
代表的なのはアスパムん所のマルカイ。空港に行く途中のハナマル。
ほかは勧めるべき所はない。タカハシと、ナガオはやめとけ。
と言うしか無い。
太る時に金が掛かってるので痩せる為に金を使いたくない。
勉強したいけどお金がないとか、親が馬鹿で金がなくても勉強はできるし進学もできるという選択肢を示せない社会。
いまは昔ほど知りたいことに金を払う必要は減った。多くの知識の中から自分が広げたい。研究したい題材を得るために金は必要ない。インターネットはそういったものだ。
だから昔より現在のほうが誰にでもチャンスはあるのだが、逆に言えば、昔は知るために苦労や金が必要だった時代だけど、何でも揃っている時代だからこそ大過ぎて最も手頃で妥当なものに飛びつき、他人と同調して目立たないようにしたり、平凡であることを望む傾向にあるのだろう。
家を継ぐとか家系を護るとか、長男だからとか跡継ぎだからという理由で人生を拘束される。そうでなくとも親の面倒を見なくてはならないとかもそうだ。若いときの親は貴方の自由にしなさいと言うが、歳を取ると自分が寝たきりになったらどうするの?とか言い出す。これも縛りだ。何をするにしても自分だけの人生な筈が他人に縛られる。実家に仏壇があればそれを継がなければならないとか良い迷惑だ。人は死んだら現世との関わりは一切無くなる。無くなった人も残された人も自由であるべきだ。
勉強も同じで、貧乏に生まれたから。親が馬鹿だから。誰も面倒くさがって教えてくれなかった。そういった事はあると思う。でも、それすらも回避する方法がある。でも、それに気付くのは大抵は本人がそれに気付くほど世の中を知った後だ。
日本だけではなく、海外でも学歴を重視する国は多いらしい。識字率が低く読み書き計算ができない国民の多い国でも生きていくことは可能だ。ただ、毎日食える保証もなく、病気になっても病院い通える保証もない。そういう国では子供は勉強よりも毎日の生活が大事で、子供は親の仕事を手伝うのは当たり前。親も子供が勉強するよりも家の手伝いをして当たり前という国もある。
そういう国でも先進国からインターネットが見れる環境を提供することで学ぶ切っ掛けを作ろうという働きかけは十数年前からある。日本に比べたらそれこそ遥か後方にあるようなレベルの話で、まだまだ日本は義務教育を受けるのは当たり前で誰しもが読み書き計算はできる。下地は後進国や発展途上国にくらべてマシだ。
それでも、誰かが教えてくれなければ切っ掛けを得られないのは変わらない。教育レベルの高い低いを別として、知る知らないの問題であって、それは特に難しいことでも無く、切っ掛けとは非常に僅かな情報でしかない。調べる方法を知る。調べるためのキーワード(用語)を知る。そして正しい調べ方を知る。知れば知るほど上のレベルに達するというスパイラルに達するには時間は大して必要はない。
日本人の多くは大体高卒か大卒で、中卒は少ない。でも、中卒でも成功している人は居るし、中卒の人が大学で教鞭を取っていたりもする。高卒のオラでもオラが得意とする分野では知らない高学歴の大学生には劣らない分野を幾つか持っている。過去にはそれで引っ張りだこだったこともある。現在も頻度は低いが、それなりにオラの趣味は世の中の研究に役立っている。
高い授業料を払って教育機関で人から既存の知識を植え付けられるのも知識。ネットから情報を得て、自分なりに知識を掘り下げ、自分なりの仮設や考えや研究結果を展開できる仕組みもある。それを立証して認められるのも有用だ。そして、誰も興味を持たないし、誰も研究してこなかった題材を自分で見つけて掘り下げるのも世の中には必要だ。
人から与えられた知識で自分は頭が良いとか物知りだとか言われるよりは、多分、いつか必要になるかもしれない分野を個人で先行することもライフワークとしては面白いし無駄ではない。その分野がバズれば先駆者になれるのだから。
何もすることが無いとか、自分は低学歴だから勉強は嫌いだとか、暇は他人が用意したコンテンツを消費して満足している人は、自分自身を無駄遣いしていると思う。
発明や発見というカテゴリはそれなりに実証のために現物を作る必要もあるが、アイディア自体は権利を主張できる。その方法もあるし、それでどこかが商品を断りもなく発売すれば金を要求できる。仕組みそのものは簡単で良い。方法の概要だけでも著作権を主張できるのだ。たとえそれが日本のアニメのパクリでも光学迷彩の方法が著作権として後から申請されている。アイディアっていうものは先に登録したもの勝ちってことだ。
人から教えられた知識ってのは人の受け売りだけど、自分で思いつく。気付くってのは学力とは別のところにある。人間が生きるために必要なものは衣食住。
現代人に必要なものは衣食住の他に情報と医療とインフラ各種。教育に娯楽に仕事と金。あとはどれだけ豊かだとか、他人より金を持っているとか、他人よりも自由な時間があるとか、その人のライフスタイルで幸福度が違う。
人間は死ぬまで勉強が必要な生き物だ。動物は生殖能力を失うと大抵は寿命で死ぬ。人間はこの例外に入っている動物であり、生殖能力を失っていても生体機能が正常である限り生きられる。
そして、人間が人間足らしめているものは高度な脳であり、これが衰えると動物になってしまうし、当然、ボケると自制や健康に配慮する。手足を活発に動かすということをしなくなる。一気に老化が進んで死に至る。これは昔も今も一緒。
時代が進むとともに人間の寿命は伸びている。寿命が伸びていると同時に脳の体積も増え、一生の内に触れられる情報量も単純に近代化に依って倍々に増えている。
で、学校に行かなくなったから勉強は終わりではなく、社会に出ても勉強は続く。仕事を退職しても生きていかなければ勉強は続く。脳を遊ばせておくとどんどん使われない機能から衰えるから。仕事人間が退職後に家でゴロゴロTVばかり観ているとボケるし身体機能も衰えるし、それで転んで骨折して、歩けなくなって寝たきりに成って外界からの刺激が減って脳が更に閉店モードに突入。体の筋肉はみるみるうちに減っていき、自分で起き上がることもできなくなる。体も閉店しようとする。
勉強が必要なのは、勉強することに依って何らかの活動を伴うことで、その活動を続けようとする行為が体を維持しようとする。それに依って身体も脳もまだやることがあると自認して活動を維持しようと体も脳も現役で在れるようになる。
今は他人の知識や様々な情報がネットには溢れている。これを見て、調べても出てこないようなものを穴埋めするだけでも誰かの役に立てる。結果としてそれが意義のある行為として自信が持てるようになり、その活動を続けようとすることで長生きができる。
生まれてから死ぬまで勉強したくねー!と言う人も居るだろうけど、それなら何もしなければ知らないことで自滅することができるでしょう。常識というのはこれら知識を知っているかどうかで成り立つものなので、人に依っての常識には大きな幅がある。
知らなかったは他人にとっての常識であるかもしれないし、その人にとっては知らなくても生きていけると思って居たのかもしれない。でも、知識は生きる上で必要なものなので、知っていることが多ければ多いほど良い。
オラの常識が、人からバカにされるような死に方は絶対にしない事に偏ってるので、とりあえず、普通に考えたら死ぬようなことは避ける。でも、その知識が欠損している人にとっては思いもしないような事で死ぬんだと思う。
過去にも何度も言ったけど、単純にこうだ。馬鹿でいることを許容すると早く死ぬ。
“ヘルメット努力義務”開始の日に自転車事故 重体の33歳女性死亡
自分は関係ないし、自分がそうなる筈はない。自転車で怪我をすることはあるだろうけど死ぬことはないだろう。
とか思ってたのだろうし、いま、こういう事になって肉体を失った本人が意識を持っているとしたら、どうしてこんな事にと思っているのだろうか。いづれにしても遅かったというか、たらればを語るには遅かった。
一般人の危険感受性は普通はこうなんだろうし、自転車に乗る多くの人はこういう考えなんだろうと思う。今回は完全に爺さんの車が100%悪いのだが、自転車も周囲に関心を持っていれば余裕で回避できるような事故だ。
たとえばヘルメットを被っていたとしても轢かれ方によってはヘルメットは無意味だろう。でも、体の損傷で一番避けるべきは脳と心臓、そして内蔵。これらは強い衝撃や圧力によって直接的に死に繋がる部位だ。腕や足、腰を複雑骨折しようとも、押しつぶされなければまだマシで、脳に至っては強い衝撃にも非常に弱い。
だから、ヘルメットで守る。実に単純明快で分かり切った事実であり、ヘルメットを被るのは誰のためでもない自分のため。自分で事故を起こさなくても自分が事故に巻き込まれることはあるだろう。周囲の人や車の動きから自分に影響があると判断できれば速度を調整したり、少し軌道を変えるだけで事故は回避できるかもしれない。
単純に目的地に行くために自転車を漕いでいるというなら、何も考えては居ないだろう。せいぜい疲れるなーとか、ペダル重いなーとか、あれ邪魔だなーとか、そんな感じ。
事故に巻き込まれると相手が悪ければ相手の保健で色々と手厚い補償をしてくれるだろう。自賠責しか入ってないクソを除いては。でも、死んでしまったら自分が居なくなって、それでおしまい。これからやろうと思ってた事もできなくなるし、今日の予定とか、今年の目標とか、将来の夢とかまるで無縁となってしまう。残された人は自分が一切関われない状態でただ残され、保険が降りればそのお金が遺族に渡る。そこでおしまい。
たかが数千円のヘルメット1つで人生は狂うのだと思う。ヘルメット着用の努力義務が始まったとか、4月1日からは自転車に乗る時はヘルメットを被ろうだとか、そういうのはあくまでも社会のルールの始まりであり、その前から自分の身を護ろうと思っている人は自主的に被っている。
自転車に乗ってる自分は交通弱者だから車が避けるべきだし、事故に遭っても相手の保険で長く入院してやって給付金でボロ儲けだぜ!とか思っているかどうかは知らない。そもそも自分にはどうでもいいことだ。
自分ができることは、相手が悪かろうが100%回避してやるってこと。保健は対人対物無制限に入っておけばとりあえず安心ってこと。自分自身が道交法を常識の範囲で守り、少しでもリスクを感じたら予測や予防の動作を運転に組み入れて、自分自身が絶対に加害者にも被害者にもならないと努力するだけ。自分が公道上にいる時は、自分以外の人や自転車やバイクも車もトラックもバスも野生動物でさえも自分のカーライフやリアルな生活を脅かす敵でしかない。
あとはそれぞれの自分以外の誰かが一人でも交通ルールを守れば、オラ自身が気をつけることが少なくなるってだけの話。だから、自分以外の人間が道交法を守らず、危険感受性が低く、自分勝手なことをしていてもオラは絶対に避ける。相手より1秒でも早く止まって、相手が停止している自分に接触しさえすれば、オラが道交法を守っている限り、相手の過失は100%だ。それしか考えていないし、ハッキリ言えば、誰が無神経な行為をしようとも、それで自滅しようとも、本人の自由意志なので、望み通りになりましたねとしか言いようがない。
誰かに言われたからヘルメットを被るとか、事故った時に危ないからヘルメットを被るだとか、長生きしたいからヘルメットを被ろうだとかは、本人が自分で必要だと自覚しない限り定着しない。どうせ、髪型が崩れるとか、暑いとか、邪魔とか、重いとか、自転車に着けておいたら盗まれるかも知れないし、持って歩くのは邪魔だから要らないとかそういうのは本人の考えで、本人が望んだことで、本人が決めたこと。法律で罰則がないんだから被らなくても違反ではないし、痛い思いをするのは本人。頭を打って意識不明になりたいのも本人。それで死んでしまっても望んだのは本人。今日も明日も今週も今年も今後の夢や人生が全て無意味になっても本人が決めたことなので尊重したい。
で、ヘルメットは誰の為のものなのか、ここで決めるのはそれぞれの人の自由意志で、道交法を守らなかった時に相手に怪我や物損を与えたら貴方のせいで、それで罰金を取られるのも貴方の行動の結果で、貴方がそうしたいからそうなったというだけの事でしか無い。
ヘルメットを被らない自由もある。ヘルメットを被るという自由もある。自分の命や今後の人生を守るためにヘルメットを被るという意思決定も自由だし、ヘルメットを被らないことで今日明日にもいきなり人生をゲームオーバーさせるのも自由意志だ。
オラはとにかく今後一切の事故を起こさないし、巻き込まれないし、相手の無謀で時間や労力や金銭を失うのは御免だし、回避した後にアホには遠慮なくアホだと言う。文句あるなら警察呼んで違反内容を警官の前で解説してやろう。
一応、そこまで道交法はほぼ頭に入っている。なーに、基本的なものは少ない。守ろうと思えば余裕だし、相手が普段からセーフっだと思っているが実はアウトなものも全部頭に入っている。法律を覚えるのは自分を守るため。ルールを守るのは自分の安全のため。つまらない違反で講習時間を伸ばしたり、免許の快気化回数を増やしたくないからゴールド免許を続けているだけ。相手の無謀を避けるのは相手の無謀に付き合って時間や財産を消費しないため。
だから、自転車乗りがヘルメットを被るのは自由だよ。
一応、こういった事になる訳だし、自由意志を尊重したい。
選ぶのは自分。
自分の人生は分岐だらけのアドベンチャーゲームみたいなものだ。セーブポイントもその機能も無いけどね。ヘルメットを被っていたらゲームオーバーは免れたかもしれない。あー、あの時にヘルメットを買っていれば。よーし、セーブポイントからやり直そう!とかできないし。まあ、死に戻り(タイムリープ能力)でもあるなら別だけどね。
ヘルメットを数千円出して買う。その費用も手間も惜しんで、やり直しもできない人生ゲームを終わりにするのは簡単。でも、ヘルメットを買って被って居れば、死ななかった自分の時間軸(世界線)があったかも知れない。でも、選ばなかった人が居たわけで、それはそれで誰かの教訓となることで人生に意味があったのかは知らないし、自分には関係のないことだ。
オラはオラ自身を守るために必要なことをするだけ。現状では余程の事故にでも遭わない限り、オラの肉体が損傷することは稀だ。同じ事故や行為でも、人に依っては死んだり、大怪我したり、軽症だったり、無傷で済むこともある。自分の肉体がどこまでの衝撃に耐えられるかは自分自身で試せば良い。脆弱ならヘルメットやプロテクターで護るでしょ。これはその一環でしかない。
これまでド派手なアクシデントに見舞われても、オラは子供の頃から事故による入院など一度もない。奇跡的にとも言えるし、そういったフィールドで遊んでいたということもあるし、幼稚園児が山の中で迷子にならなかったのも毎週山に連れられて行ってたから。足場の悪い場所をスイスイ歩けるのも、藪の中をスイスイ進めるのも、高い場所から飛び降りても平気なのはオラ自身の自由選択の結果。
時には救急箱の世話になる程度の傷も負うけど、わざわざ病院に行くまでもない。体表面のみの損傷による出血もあっという間に止まるし、打撃・打撲にも強い。中2の時に弘南バスに幅寄せされ巻き込まれて側溝に落ちた時も擦り傷だけ。左折巻き込みは乗用車にもやられたし、スピード出してきたバイクに跳ねられたこともある。これも中学だね。小学校の時も猛スピードで側溝に落ちたな。色々あるけど、入院するような怪我はないし、ほぼ軽症。
多分、トラックやダンプでも突っ込んきて押しつぶされるくらいしないとオラは死なないんじゃないのかな。日々鍛えて、体幹の筋肉が既にガッチガチだ。
でも、自転車に乗るとしたらヘルメットは被るだろう。色々とギミックを追加して。子供にもウケるんじゃないのかな。そうだね、映画のTRONみたいな感じで光らせることで子供は進んで買うだろうし、ドライバーから見ても無灯火のクソチャリも目立つ。蓄光塗料や蛍光テープでもイケる。
多くの人がヘルメットを被らないとする。オラはその他大勢が大嫌いだから、きっと大多数の逆をする。
そして仮に事故にあって、普通はヘルメットがあっても死ぬような状況でもピンピンしているだろう。そこでこの台詞を是非とも披露したいのだ。
「ヘルメットが無ければ即死だった」(シャア・アズナブル)
逆を言えば被っていればほぼ助かるとも被らないと生存率が低いとか言えるけどね。
死んでしまってから後悔しても始まらないわけで、被らないことで死ぬことを選ぶのも自由だけど、あとは親の躾とか、誰のためにヘルメットを被るのかとかあるでしょうよ。
単純に自転車に乗ってて自分自身が転んで死ぬことはないと思っていても、自転車乗りの大半がほぼ道路交通法を守らない。
一時停止しないとか、信号無視とか、自転車を降りて渡らないといけない場所で歩行者の間を縫って走行。道路の右側通行とか、車道を走る場所を歩道を走ったり、車の間から飛び出してみたり。車から見えるだろう。相手が止まってくれるだろうとか思ってるんでしょうね。
特定の場所では、逆走+歩道走行+信号無視なんてトリプル異違反も珍しくもない。自転車は歩行者ではなく軽車両であり、車両のルールが適用される。一部の頭の悪い大人は軽車両を軽自動車のことだと思っているようだが、要するに馬車、リアカー、自転車などが軽車両である。だから、車と同じ方法で一時停止や信号待ち、踏切での一旦停止、左側通行などは最低でも守らないといけない。実際にこれを守っているのは見ている限り5%くらいの人だ。
特にオバちゃんやジジ・ババ、子供、学生はほぼ守らない。推そらく、健康のために免許を持っている人が自転車通勤してて道交法を知っている人が守っているのだろうと思う。そういう人は、違反があると免許を持っているので、捕まると自転車でも免許が減点され罰金を取られる。だから免許を持っている自転車乗りは道交法を守るんだよね。
ちなみに免許を持っていない人は運転免許が無いので原点や罰金では終わらない。それが免許の有無の違い。では、どうやって罰則を受けるのか。答えは刑事罰を受ける可能性がある。減点できないからね。それに何度も捕まると講習を受けろとハガキが来る。
免許を持っている人は免許の更新の時に受ければ済む。免許停止処分に成っても、短縮講習を受ければ良い。でも、車じゃなくて自転車で減点食らって講習受けるのも馬鹿らしいだろう。だから免許を持ってる人間は自転車でも無茶しない。
いつまでも自転車を歩行者の延長だと思っていると、痛い目を見るし、知らなかったでは済まされないのが日本の法律。誰にでも情報は開示されているので、本人の興味次第。オラには子供は居ないから子供と接する機会は無いけど、別に子供から色んなことを教えて欲しいと言われれば教えるよ。
なぜ、必要なのか、誰のために必要なのか。なぜ、ルールを守らなければならないのか。こういう時はどうするべきなのか。大人も先生も普通の人だからね、聞かれないと教えないとか、聞かれなかったから教えないとか、そういうことだと思う。
でも、人間は生きていく上で最も大事なのは、トラブルを起こさない。トラブルに巻き込まれないということが一番大事。そして、自分を守る方法を知ること。大人の嘘に騙されないこと。自衛する手段を持つこと。学校の先生ですら普通の人間だ。悪いことを考えてこれまでに沢山の先生が失職したり逮捕されている。学校の先生の言う事。自分の親の言う事が100%正しいとは思わないこと。正しい知識を得ること。そして自分で考えること。自分で調べることを勧めたいね。
子供の自殺は痛ましいね。自転車のルールを守らないで死ぬのも痛ましいし、それを轢いた人も可愛そうな被害者だよ。ルールを皆で守れば滅多なことでは事故は起きないし、誰も死ななくて済むんだよ。今が良ければ良い。自分さえ良ければ良いという考えが如何に危険かってことを大人は教えるべきだよね。
面倒くさがらずに。生きていく上でのルールってのは学校に丸投げしちゃいけない。学校の先生もその辺に居る大人と変わらない。単に勉強ができる大人ってだけのことだ。ただ、学校で教わる勉強には生きていく上で大事なことは含まれない。
だから、子供の頃から納得できる正しい知識を持って、自分で考えて、自分で調べて知ること、知る努力をすること。知る楽しさを知ること。あとは放っておけば切っ掛けをつかんだ子供は勝手に賢くなる。
切っ掛けを与える大人が現代には不足している。
弘前城ミス桜コンテストが開かれ、弘前大学の学生がグランプリに選ばれました。
青森でミス◯◯が選ばれると、審査員のご老人が好きそうな昭和顔の美人(?)が選ばれがちですが、今回のミスコンテストは妥当です。自分的にはもっとタイプの異なる女性が好きですね。一重で切れ長とか、色白日本人形みたいな顔でも。オラの顔が濃いのでスッキリ整った顔のほうが好みです。美人である必要はないですが、どうにも選ばれる女性の顔に偏りがあるのは否めません。
ところで、このミスコンですが、多様性だの美しさの基準がどうとかで、容姿による差別だなんだと騒ぎ立てる迷惑な人が居ますが、このミスコンも別にトランス女性(男の娘:ニューハーフ)が選ばれても良いのではと。
話題にもなるしね。いっそ、女装部門と、逆に男性部門(ミスターさくらとかねぶた)があっても良いと思いますが。なんで、ミスコンばかりなのでしょうかね?。
普通に37度のウイスキーのラッパ飲みより効くのは何故だろう。水分の吸収ついでにアルコールの吸収を行なってるから効きが早いのだろうか。
まずは車の乗り換えで3ヶ月潰れた。
車のミッションだが5MTは安い。4ATが高い。機構の複雑さとか部品点数の問題とか色々とあるだろうけど、現実としてMTは安い。ATは高い。
でも、世の中は需要が有って出荷量が多くなる方が安くなるのが普通。逆に一部の人しか乗らない方が採算が合わずに高くなるということが一般的。現実には大半の人が4ATに乗っていて、5MT乗りは少ない。であれば、4ATが5MTより安くても良いじゃないかってこと。
流石に雪国でFRの2WDなんぞ怖くて乗れたものじゃないので、雪国では基本的に4WDが安心。むしろ、FFとかFRだけで雪国を乗り切ろうとか思ってるとその辺の買い物とかにしか乗れない。青森は経済圏の境目に山があるのでアップダウンの高低差で2WDは弱い。
だから4ATに乗るなら4WDも必須で、今回のエブリィはその組み合わせになった。自動的に車両の購入価格はそのグレードの中では一番高いものになってしまった。
今回は人生初となるAT車の購入。これまで頑なに5MT/4WDが至高ということで6台も乗り継いできた。でも、7台目はATに決めた。何故ならMTは燃費がATより良いというのは昔の話で、乗り方に寄ってはATの方が燃費が良いから。
カタログを見ても燃費の公表値はATの方が悪くて、MTの方が燃費が良いという表示になっているのが普通。しかし、オラが代車で乗ってきたATはどれもオラの5MTよりも倍近く燃費が良いという疑問がある。古臭いワゴンRですら、オラが乗ればリッター30近く走るのだ。
車種が違うので単純には比較できないのだが、実際に倍ほどATの方が良いのは事実。それが今回のMTやめてATにしたってことにも繋がる。しかもATだと念願のエンジンスターターを装備できるので、外に出なくても暖気ができ、冬が楽ってことが言える。
燃費に関して言えるのは、オラの運転の仕方も関係あると思う。ATの変速は自動。しかも結構な回転数(オラの聴力ではエンジンの回転数が大凡分かる)になってから上のギアに上がるのだが、オラの運転感覚は基本的にMTなので、回転が上がり切る前にアクセルを戻してギアを上げ、徐々にアクセルを踏む。これだと余計に回転させなくとも低回転で上のギアに上がるので、AT特有の空ぶかしに近い状態を起こさせずにギアを上げられる。もしかして燃費の実測ってこういったことをせずに、全て機械任せに変速タイミングを任せた場合の話なのだろうか。だとしたら、確かに無駄が多く燃費はMTより悪くなる。
次に高速道路での話。オラは今のサンバーを買う時に、エンブレで燃料は消費しないというディーラーの話を聞いたのだが、実際は違うようだ。メーターはエンブレ掛けただけ高回転に成り燃料もガンガン減ってる。でも、いまのATはエンブレで燃料をカットすることが普通なので、高速道路などの長い下り坂で緩いエンブレかけても燃料の消費もせず、平坦な道路を低回転のまま高速ギアでダラーっと走行できる。推そらく一般道ではもっと燃費が良くなる。
5MTでは55km/h以上は5速で走っても1:1のまま。スピードを上げるほどに燃料の無駄になるも、ATではエンジンへの負荷状態で無駄な高回転を抑えるギアチェンジを故意におこせるため、長距離を走るオラにとってはマッタリ運転がより強く出ることになり、あくまでも燃費優先の走り方になる。要するにギヤ比に合ったアクセルの踏み方をすれば、MTより燃費を上げられるってこと。八甲田周辺の山間部では逆に低速ギア寄りになるので燃費は悪化すると思うが、MT程だろうと思う。
比較したのは通勤1週間。サンバーなら1メモリ減るが、代車だと半メモリだけで済む。サンバーの方が燃料タンクが大きいので、実際にはミラやワゴンRはもっと燃費が良い事になる。今度のエブリィは37L タンクなので、多分、新潟の糸魚川までは無給油走行は余裕かもしれない。
あとは実際に乗ってみてからのレビューになると思うが、来週の日曜日に乗り換えてから、キャンパーとして色々と買い足すものも増えると思うので、追々ここに書こうかと。
来週は乗り換え。今週は休みが1日なので今の車からシートカバーを剥がして掃除して終わり。シートのホコリはタワシで擦って浮いたホコリを叩いて飛ばす。