知識欲を満たすために金が要る社会は昔の話
勉強したいけどお金がないとか、親が馬鹿で金がなくても勉強はできるし進学もできるという選択肢を示せない社会。
いまは昔ほど知りたいことに金を払う必要は減った。多くの知識の中から自分が広げたい。研究したい題材を得るために金は必要ない。インターネットはそういったものだ。
だから昔より現在のほうが誰にでもチャンスはあるのだが、逆に言えば、昔は知るために苦労や金が必要だった時代だけど、何でも揃っている時代だからこそ大過ぎて最も手頃で妥当なものに飛びつき、他人と同調して目立たないようにしたり、平凡であることを望む傾向にあるのだろう。
家を継ぐとか家系を護るとか、長男だからとか跡継ぎだからという理由で人生を拘束される。そうでなくとも親の面倒を見なくてはならないとかもそうだ。若いときの親は貴方の自由にしなさいと言うが、歳を取ると自分が寝たきりになったらどうするの?とか言い出す。これも縛りだ。何をするにしても自分だけの人生な筈が他人に縛られる。実家に仏壇があればそれを継がなければならないとか良い迷惑だ。人は死んだら現世との関わりは一切無くなる。無くなった人も残された人も自由であるべきだ。
勉強も同じで、貧乏に生まれたから。親が馬鹿だから。誰も面倒くさがって教えてくれなかった。そういった事はあると思う。でも、それすらも回避する方法がある。でも、それに気付くのは大抵は本人がそれに気付くほど世の中を知った後だ。
日本だけではなく、海外でも学歴を重視する国は多いらしい。識字率が低く読み書き計算ができない国民の多い国でも生きていくことは可能だ。ただ、毎日食える保証もなく、病気になっても病院い通える保証もない。そういう国では子供は勉強よりも毎日の生活が大事で、子供は親の仕事を手伝うのは当たり前。親も子供が勉強するよりも家の手伝いをして当たり前という国もある。
そういう国でも先進国からインターネットが見れる環境を提供することで学ぶ切っ掛けを作ろうという働きかけは十数年前からある。日本に比べたらそれこそ遥か後方にあるようなレベルの話で、まだまだ日本は義務教育を受けるのは当たり前で誰しもが読み書き計算はできる。下地は後進国や発展途上国にくらべてマシだ。
それでも、誰かが教えてくれなければ切っ掛けを得られないのは変わらない。教育レベルの高い低いを別として、知る知らないの問題であって、それは特に難しいことでも無く、切っ掛けとは非常に僅かな情報でしかない。調べる方法を知る。調べるためのキーワード(用語)を知る。そして正しい調べ方を知る。知れば知るほど上のレベルに達するというスパイラルに達するには時間は大して必要はない。
日本人の多くは大体高卒か大卒で、中卒は少ない。でも、中卒でも成功している人は居るし、中卒の人が大学で教鞭を取っていたりもする。高卒のオラでもオラが得意とする分野では知らない高学歴の大学生には劣らない分野を幾つか持っている。過去にはそれで引っ張りだこだったこともある。現在も頻度は低いが、それなりにオラの趣味は世の中の研究に役立っている。
高い授業料を払って教育機関で人から既存の知識を植え付けられるのも知識。ネットから情報を得て、自分なりに知識を掘り下げ、自分なりの仮設や考えや研究結果を展開できる仕組みもある。それを立証して認められるのも有用だ。そして、誰も興味を持たないし、誰も研究してこなかった題材を自分で見つけて掘り下げるのも世の中には必要だ。
人から与えられた知識で自分は頭が良いとか物知りだとか言われるよりは、多分、いつか必要になるかもしれない分野を個人で先行することもライフワークとしては面白いし無駄ではない。その分野がバズれば先駆者になれるのだから。
何もすることが無いとか、自分は低学歴だから勉強は嫌いだとか、暇は他人が用意したコンテンツを消費して満足している人は、自分自身を無駄遣いしていると思う。
発明や発見というカテゴリはそれなりに実証のために現物を作る必要もあるが、アイディア自体は権利を主張できる。その方法もあるし、それでどこかが商品を断りもなく発売すれば金を要求できる。仕組みそのものは簡単で良い。方法の概要だけでも著作権を主張できるのだ。たとえそれが日本のアニメのパクリでも光学迷彩の方法が著作権として後から申請されている。アイディアっていうものは先に登録したもの勝ちってことだ。
人から教えられた知識ってのは人の受け売りだけど、自分で思いつく。気付くってのは学力とは別のところにある。人間が生きるために必要なものは衣食住。
現代人に必要なものは衣食住の他に情報と医療とインフラ各種。教育に娯楽に仕事と金。あとはどれだけ豊かだとか、他人より金を持っているとか、他人よりも自由な時間があるとか、その人のライフスタイルで幸福度が違う。
人間は死ぬまで勉強が必要な生き物だ。動物は生殖能力を失うと大抵は寿命で死ぬ。人間はこの例外に入っている動物であり、生殖能力を失っていても生体機能が正常である限り生きられる。
そして、人間が人間足らしめているものは高度な脳であり、これが衰えると動物になってしまうし、当然、ボケると自制や健康に配慮する。手足を活発に動かすということをしなくなる。一気に老化が進んで死に至る。これは昔も今も一緒。
時代が進むとともに人間の寿命は伸びている。寿命が伸びていると同時に脳の体積も増え、一生の内に触れられる情報量も単純に近代化に依って倍々に増えている。
で、学校に行かなくなったから勉強は終わりではなく、社会に出ても勉強は続く。仕事を退職しても生きていかなければ勉強は続く。脳を遊ばせておくとどんどん使われない機能から衰えるから。仕事人間が退職後に家でゴロゴロTVばかり観ているとボケるし身体機能も衰えるし、それで転んで骨折して、歩けなくなって寝たきりに成って外界からの刺激が減って脳が更に閉店モードに突入。体の筋肉はみるみるうちに減っていき、自分で起き上がることもできなくなる。体も閉店しようとする。
勉強が必要なのは、勉強することに依って何らかの活動を伴うことで、その活動を続けようとする行為が体を維持しようとする。それに依って身体も脳もまだやることがあると自認して活動を維持しようと体も脳も現役で在れるようになる。
今は他人の知識や様々な情報がネットには溢れている。これを見て、調べても出てこないようなものを穴埋めするだけでも誰かの役に立てる。結果としてそれが意義のある行為として自信が持てるようになり、その活動を続けようとすることで長生きができる。
生まれてから死ぬまで勉強したくねー!と言う人も居るだろうけど、それなら何もしなければ知らないことで自滅することができるでしょう。常識というのはこれら知識を知っているかどうかで成り立つものなので、人に依っての常識には大きな幅がある。
知らなかったは他人にとっての常識であるかもしれないし、その人にとっては知らなくても生きていけると思って居たのかもしれない。でも、知識は生きる上で必要なものなので、知っていることが多ければ多いほど良い。
オラの常識が、人からバカにされるような死に方は絶対にしない事に偏ってるので、とりあえず、普通に考えたら死ぬようなことは避ける。でも、その知識が欠損している人にとっては思いもしないような事で死ぬんだと思う。
過去にも何度も言ったけど、単純にこうだ。馬鹿でいることを許容すると早く死ぬ。
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