動物の声無き叫び
と書くと、人間に対して動物たちが自然を返せと訴えるかのように聞こえるが、オラの考えは違うんで。
もっと直接的。
その日暮らしの彼らは食い物のことしか訴えてこない。生きる=腹減った。子育て=疲れたし腹減った。見つめてくる=何かくれ。
要求はこんなもん。
後は、そこ、どいてくれない?とか。何か用が?とか。何してんの?とか。そっち行っていい?とか。ほんと、そんな程度。
深く考えない。分かったつもりで代弁した気にならない。
動物なんて利用できる人間は利用する。何をどうすれば気に入ってもらえるとか。その程度。楽ができれば楽をするだけ。
面識のない連中にしても、危険があるか無いか。言いたいことが伝わるか。動物から見て話の分かる相手か、そうでないか。距離感で分かる。
オラはそんな短い言葉を読み取って、概ね正解を引き当てて、オマエの言いたいことは分かったと返してるだけ。
こんなやり取りをしてると、互いに雰囲気だけでやり取りが完結していて、事前に予備動作を加えることで次の行動予告をしている。これの繰り返しで、動物もなんの合図か学習して、合図と同時に動物は次の動作に入る。言葉なき意思疎通。
というか、互いの言葉自体は意味のある動作に対する鳴き声という結びつけでしかない。コレの繰り返しで、今度は言葉に対して次の動作に入る合図として理解する。
結果として話しているように視えるだけ。条件反射にも近い。
実際は言葉自体のキャッチボールは補助的なものでしかない。言葉によるやり取りは毎日相手にしている連中とはしているが、初めての相手は、確認してくるのでこちらはどうぞという、意思表示だけで良い。
人に慣れている動物は近寄ってくるときに大抵の場合は警戒しているが、人間は表情で動物に意思表示できるので、動物は近寄って安全かどうか顔。特に眼を見てくる。直視するのも、故意に目を逸らすのも意思表示。見ていると逆に近寄りがたいと思う動物も居れば喧嘩売ってると思う動物も居るけど観察してるぞと解釈する者も居る。
この匙加減で正解なら距離が近く、不正解なら距離は遠いということも。
思わせぶりな態度も使ってくる。目は口ほどにものを言うってこと。大抵の場合はこれで通じる。サイレントな会話だが殆どはこれ。
考えを読むってのは言葉が通じるかどうかは余り関係ない。生物同士の根本の会話方法だからこれで十分。足りない要素はジェスチャーで補えば済む。
今日はたまたまそういうやり取りが完結してたのでこんなこと書いてる。一切の会話は無し。双方が互いの考えを読んで、一連のやり取りが完結してしまった。
傍から見たら示し合わせたかのようなスムーズな流れ。知らない人が見たら何の疑いもなく、躊躇もなく、一瞬で済んだので、は?、と思うだろう。
オラ的な日常では普通すぎて特筆することは無い。でも、オラが言ってる事が分かる人間は思い当たる節があるので、妙に可笑しくなると思う。
ナンでコイツらって能天気何だろうとか。食い気しか無いだとか、人間相手に迷いが無いだとか思う節があリ過ぎるでしょ。
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