売る側が強気なら、買う側は買わなきゃ良い。
単純に高ければ諦める。商品が売れない。スーパーも売れないし仕入れ値が高ければ仕入れは控える。仲卸も高いから競りで消極的に成る。農協の卸値が下がる。農家の収入が減る。
消費者は何も無理に買う必要はない。少ないから高くなるというのは少なく高くても買う人がたくさん居る場合で、それが売れないなら値段は下げるしか無い。
今の馬鹿みたいな値段の商品をわざわざ買うのは利口じゃない。サンドイッチ1パックに300円とかアホだよね。去年まで240円だったものがだよ?。原価を考えれば便乗値上げも良いところだ。オニギリ弁当もかなりふざけた値段だ。普通にホカベンで買うだろ。
本当はもっと安く売って数で利益を出しても良いんじゃないの?。売れなきゃ夕方には割引対象でしょ。売らなきゃ商売に成らない。原価が上がってるのは分かる。でも、消費者は無理に買わなくても良いなら安いものだけ買ってそれなりの食事を自炊したほうが良くね?となる。
「高値で疲れて少し値段が下がる」野菜の価格“高値疲れ”で今後『相場落ち着く』見込み! 入荷量減で2~5割ほど高値となった今夏… 冬は野菜たっぷりの「鍋」を楽しみたい!
別にそれを食わないと死ぬわけじゃ無いし。
毎朝毎晩を白モツと鶏皮ダシのモヤシ炒めか鍋にしてるけど、人が生きていく上で必要な栄養素は足りている。要するにオラは野菜は葉っぱと根。肉はタンパク質と脂肪。魚、貝類という区分けでしか見てない。これに炭水化物が入れば飯だ。食べられるって幸せ。ホウレンソウも小松菜もキャベツも白菜もただの食える葉っぱ。大根も人参も牛蒡も食える根っこ。肉なんてみんな一緒。筋張っていても柔らかくても肉は肉。うどんも白米もパンも炭水化物。
人間は贅沢に慣れすぎなんだよね。食えるもの食って死ななきゃそれでいいじゃん。
毎日食べられるってのは空を飛べるオトモダチからすると贅沢なことだ。彼らには毎日の食べ物の保証がない。陳情には答えるが、それには信用を見せろってことになる。信用とはオラとの距離だ。疑って近づかないのであればあげない。出迎えまでするなら要望に答える。
腹が減って辛いというのはオラにも分かるよ。僻地に行くとコンビニすら無い場所が多いもの。それもたった1食~2食抜いただけで腹が減るんだ。毎日しっかり食べられない彼らにしてみれば冬に7割が餓死するってのも可哀想な話。
餓死って辛いんだろうな。人間にはあまりピンとこない。知識があれば食べ物を買えなくても食えるものを狩猟してくれば良い。お金はあるが少なければ、高カロリーで低価格なものに置き換えれば良い。足りない分は採取と狩猟で。食えるものってその辺にあるし。
いざと成れば好きとか嫌いとか言ってられないでしょうに。
死んでも食うのは嫌だってのは気持ち悪いとか、激マズとかあるけど、それを食って病気に成らないとか下痢しないんであれば血肉には成る。動物たちと違って人間は悪食なんでね。腐敗しているとか、病原菌いっっぱいとか、超絶ゲテモノじゃなきゃ一応は何でも食える。
ゲテモノって認識は個人差が大きいけど。
白菜が小松菜や高菜になったとしても別に食えなくもないし、食っても死なない。鍋全体が高菜の味しかしなくてえぐ味だらけになる程度。気の持ちようによっては美味い。それだけのこと。