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2021年10月13日水曜日

何かに夢中になれること

時代や年齢によって無心で楽しめるものは変わる。


ただ、オラの興味は幼少期に園芸や盆栽だったり、山菜採りに、ゲルマラジオとかだし、テレビゲームは本格的に出始めたのは中学ん時だ。パソコンは高一からでプログラミングにハマった。就職してパソコンやゲームにのめり込み、アニメもよく見た。第1世代のヲタクって奴。今のオタクとは毛色が違うガチの博識。

漫画はあまり読まないガキだったし、図鑑や専門書ばかり読んでた反動もあるが、今の歳になってからはアニメは見るが漫画は読まない。流行りには元々興味が無く、山菜採りの影響でガチのアウトドア派でもある。

部やクラブ、習い事なら剣道やらサッカー。文化系では書道や将棋に美術レタリング。放送委員会に保健委員会。
工作も手芸もできるし刃物も研げるしシースも作れる。電子工作もできるしパソコンも百人力。今の見た目は喧嘩を売られるほどヒョロくないし、クマだし。周囲の人間曰く、お前に喧嘩売る奴は居るのか?という感じ。

よくよく考えると節操なし。

知識が根底にあるも、実際に体も動かす。執筆もできるし、探索系も得意。Googleローカルガイドとしてもトップレベル。写真の腕も悪くはない。しかも下道のみで千キロ単位の長距離ドライブも平気で、思い付きで行けるのは糸魚川市まで射程圏内。山で遭難なんてあり得ないし、遭難しても生き残れる。
クマと遭遇しても襲われないし、動物的な空気も読める。鳥さんはお友達。

こうなると、趣味レベル程度じゃ躊躇するものがあるのか逆に興味がある。

あれもコレもやってみたい。

いま、舎利石拾いじゃ国内有数の腕を持つ。これは頭を空っぽにしてできる趣味だ。正確には手続き記憶が最適化してサブ脳で作業できる単純作業に等しい。

サブ脳と言っても物理的なものではない。並列処理用のタスクの部分。人は複数の事を同時に出来ないという、単一処理しか出来ない専門家が言っているだけで、実は無意識に人は複数の事を同時に行なっている。それがマルチタスク。より厳密な設定を緻密にこなし続けると、人間はその作業を半自動化出来る様になる。処理の優先度を最高に割り当てると脳は学習し最適化し、その半分以下の割当で同等の作業が出来る。熟練度がそれに当たる。熟練度が上がるとより少ない負荷でできる。余剰を別の処理に割り当てられる。

舎利石拾いはもうほぼ極めている。だから半分以下のタスクで採取できる単純作業になっている。

無論、楽しいし、綺麗な粒をゲットしたら嬉しい。今はコレが楽しいんだなと思える。生産系の趣味だしね。


子供の頃の夢ってのはある。研究所で白衣着て研究するってやつ。マッドサイエンティストになりたいとも思ったこともある。エジソンよりもテスラ博士びいきだしね。

自分の寿命が尽きるまで、あと、どれくらいの事が成せるのだろう。今後また何か別の事に夢中になれるのだろうか。
こんな性格だからなれるのは決まっているのだから、次は何に興味を持つのだろう。

でも、世に中に新しいものが出てきたら、今では想像できない事をしているのかもね。そう思うとワクワクする。

世の中に失望し、無能な自分に失望し、消費行動しか起こせない人も居るだろう。ストレスのはけ口に消費系の趣味は逆効果だ。自分が生み出す側にシフトする勇気を持てと言いたいな。

何でもいいから、発信する側の人間になれって事。自ずとそれは自分へと他人の関心を惹くことになり、自分の価値が上がる。何もできないのは何もして来なかったから。初めてを避けてきたから。最初を怖がってきたから。自分にはできないとも自分に言い聞かせてきたから。

誰からも必要とされないのは、誰にも必要とされる情報を発信していないからだよ。そんなのツマンナイじゃない?。

世の中には、はじめて見ると面白くてしょうがない趣味がゴロゴロと転がってるんだよ。

メンタル関連の記事を読んでると、こういった事を聞かされるだけで落ち込む人間が居るらしい。人の考えとは本人には当然でも、真逆の人には効果が無いとか。

これだけ物や情報が溢れているのに、選びたい放題じゃないか。物がない時代に生まれた世代としてはそう思うが、逆に物が溢れている時代だと、情報量が多過ぎて自分で考える力が弱くなるのだろうか。

工夫や創造とは不便や欲求を満たすための行動であるが、事前に解決した例題が多数用意されていると、選択に迷うだけで、工夫する過程を考える部分が育たない。

これは問題解決能力に直結するから、例題が用意されていない新しい問題を解いて遊ぶという発想の機会そのものが失わてしまうのかも。

実際に仕事でもそういった機会に直面する。クリエイター系のスキルが高いと、解決するための仕組みや道具、設備などもサラッと頭に図面が描かれてしまう。
でも、そういった機会に遭遇してこなかった人間は、どう解決したら良いかという思考が備わっていない。その時点で初めて問題を解き始めるのだからしょうがないと言えばそれまで。

でも、今までにそういった機会が無かったかといえば多分あっただろう。おそらくは妥協か諦めるという選択肢を選んでいたと推測する。小さな問題を十個解決すれば中くらいの問題は解きやすい。中くらいの問題を十個解決すれば大きな問題も解きやすい。この面倒そうな状況から逃げると、いきなり中くらいの問題にぶつかった時に脳がフリーズする。大きな問題なら尚更だ。

パソコンで例えるなら、性格や得意不得意、趣味趣向をその人間のOSとする。何かを行なう作業ごとの記憶や手順や手段をアプリとする。でも、根本である部分の存在に気付かない人も居るらしい。そもそも、人間の肉体や脳というハードウェアを無意識に動かしている部分。パソコン本体でいうBIOSだ。深層心理や小脳に当たる。ここを意識したことがあるかという事。

無為に生きる人は多分、考えもしないだろうと思う。人が変わるというのはこの部分を自分で弄れるかに掛かっている。
普通の人はWindowsのパソコンが起動するとき、BIOSの設定を呼び出すシーンを見落とすか、気付かない。この設定を弄ると何が出来るのかも知らない。そして、BIOSにもアップデートが出来ることも知らない。

でも知っていると知っていないのとでは出来る事が違う。この違い。パソコンにも人間にも当て嵌まるでしょ?。

自分で自分の根本の設定を変更する。制限する。逆に無制限に設定する。機能の許可、不許可を設定する。人間の場合はスイッチが無いから自分が自分に暗示をかけるか誰かに掛けてもらうしかない。

自分で自分に掛けるのが出来れば良いが、それが出来ないから苦労しているんだと思
う。

これは文章では伝わらない。そして人間が変わるのは、なにか強烈なイベントを経験する事で深層心理の設定が変わる。外部刺激であることが多いのだが、自分の中の蓄積が爆発する事でも変わる。

気づきでも起こるとも言える。多分閃きとか、悟りとかそんなもの。でも、趣味趣向が狭いと起き難い。片側1車線道路と5車線道路くらい違う。交通量と情報量のような関係。暇だからゲームばかりしている人と、暇だから外を探索して写真を撮っているくらい違う。受ける刺激も情報量も天と地くらい違う。

先ずはそこから。

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