人を超えた存在ってさ、色々とあると思うんだよね。
屈強な精神面で人を超えているとか。
霊体などの質が常人を超えているとか。
精神と肉体の使い方が常人のものと明らかに異なる感覚で結びついている者とか。
単純に忍者並に肉体面で人を超えているとか。
第六感や共感覚などを持つ特殊な感覚器官を持っているとか。
思考の仕方が人を超えているとか。(要するに悟りに至ってるとか)
或いは、常人では精神面で自己破綻(アイデンティティーの崩壊)が起きるような状況でも冷静に分析して在り様を認識できるとか。
何と言うか、要するに常人とか一般人とか普通の人を超えた存在って実はその辺にゴロゴロ居るかも知れない。ま、ゴロゴロというのは大げさだろうけど、普通の人には耐えられないような状況下で平常心を保つとか、その状況下でも狂わずに常に最善の答えを求めようと頭を働かせるとか。そのくらいならゴロゴロ居るかも。とは言っても百人とか千人に一人。或いは数万人に一人くらい。
切っ掛けは人それぞれだろうけど、やはり気付きというのは重要なようで、オラは一度鬱病でぶっ壊れ、現状に疑問を持ち、自力で吹っ切れた(悟ったとも言う)わけだが、それ以降の思考・性格については、以前とは真逆のようで、よく思い出せないのだが、消極的で控えめで、流されやすく、逃げに走り、大人しい方だったと記憶している。
今はオラの存在を積極的にアピールしつつ、自分ができることを見つけて積極的に動き、実績を積み上げて、グゥの音も出ない「その筋の第一人者」を幾つか持ってる。能力開放!じゃなくて、能力の出し惜しみ無し!で。あと、屁理屈を正論でぶん殴るのも普通にやるし、理不尽には簡単にキレる。
ついでに脳味噌と肉体のブースト(一時的な思考加速と肉体のリミッターカット)も得ている。なにせ普通は自分を守るために肉体が限界を超えて壊れないように制限している機能を任意にOFFにできる。肉体強度は常人の2倍程度だろうけど、リミッターとは限界を超えて使うと骨折や筋肉断裂が起こるようなパワーを出さないためのものであり、それを無視して行使できるという意味のリミッター解除。要するに怪我を恐れて死ぬくらいなら、怪我は後で考えれば良いってこと。
無論、副作用はある。知恵熱で脳が痛いとか。加減しないで肉体を酷使するからその後のダメージ回復に時間が掛かるし、最終手段は未だに発動させては居ないけど、熊と格闘になる事があれば使うことになるだろうね。
スイッチの切替が速いほどこちらが先手を打てるわけで、普通ならフリーズするか防御に徹するだろうけど、オラは攻撃に入ることを常に念頭に入れている。躊躇している場合じゃないもの。下手すれば相手が逃げるので平和的解決になる。
普通はクマ相手に笑顔を振り撒いたり、何だヤんのかゴルァ!とか、何ですか?何か用ですか?、なんて態度は取らないだろう?。するんだよ。しなくてどうする?。ダメ元でやればいい。動物同士のコミュニケーションにはハッタリ合戦は普通だよ?。
気が狂うって何だろう?。
ま、経験がない訳でもない。鬱病になると通常状態ではないからな。なにせ脳内のディップスイッチの配置がおかしいんだから。どうってことのないやり取りでキレる。泣く。悩む。塞ぐ。自殺を考えるわけだ。解るなうん、解るわ。乗り越えれば無敵とも言うけど。
人が目の前で死んでも多分ディップスイッチ設定が異常なので、単に事実として受け止めるだろうね。普通は叫んだり、腰が抜けたり、パニクるんだろうけど、それでは自分の身に危険が及んだ時に対処できないよね。要するに動物の行動と一緒。動物は仲間や親兄弟が目の前で死んでもまずは自分の命を優先するでしょ。子を守る為に親が反撃するなど容赦がない。これは普通の反応だ。人間だけがおかしい。
理解の上限を超えるとパンクする。
そう言えば。コピー人間は自分が偽物だと気付くと自我が崩壊するらしい。これは幾つかの映画でもうそうだし、ソードアート・オンライン アリシゼーションでもコピーは自分がコピーだと言われるとフラクトライトが崩壊した。ただ、英雄キリトだけは違った。
多分、オラも自身がオリジナルのコピーだと言われても「ふーん。じゃ、本業はオリジナルに任せて自分は趣味に没頭させてもらおうかな」とか考えるだろう。「コピーだからどうした。自分は自分だろう?」ということ。逆に偽物だと言われたことで直ぐに相手にこう聞くだろうね。で、「この精神体というか、入れ物って耐用年数どのくらいですかね?」とか。
壊れていると言っても、普通なら思考停止とか矛盾に耐えられないとか、通常なら理解できない状況下で「そんなこともあるんだろうね」と考えることができるというだけのこと。
焦った所でしょうがない。今の自分がきちんと自分であるか確認して、この精神体で何ができるか。維持に何が必要か。どのくらい稼働できるか。オラの精神ではそっちのほうが偽物という事実よりも重要だからだ。
この状態を精神医学的診断で何と言うか知らんけど、目の前に怪異が居ようとも怖いよりも聞きたいことがむしろいっぱい。できれば仲良くなって貢物と引き換えに何かのスキルを貰いたいとか、憑依させて自身の能力値を底上げしてもらいたいとか、そっちのほうが面白いだろう。普通は考えないけど、この辺のピンチとかチャンスの逆転って、要するに厨二病ならチャンスで、リア充ならピンチだと考えるだろう。
因みに、うちの会社はホーム(倉庫)に幽霊が居ることで有名なのだ。何人も目撃しているほど確実にナニカが居る。オラはもう居ると仮定して、居るなら居るで別にどうでも良いと考えている。だから消灯したホームを電気も点けずに普通に歩けるし、出たら出たで「誰かに伝言とかあるならどうぞ」と聞くだろう。霊と話してはいけないとか言うけど、残留思念ってものは残念(思い残し)があるから居るのであって、それを聞いてあげれば消滅するのでは?とかオラは思うんだけど、違うのだろうか?。そもそも死んでる人間よりも生きてる人間が強いってのが通説なので、その辺に関してオラのスピリチアル面は残念程度に押し負ける事はないと信じているから強いんだと思うけどね。普通は怖がるんだろうけど、普通が嫌いなのでオラは怖がることは逆に失礼なのかな?とか解釈している。
この世に100%は無い。
オラは「あり得ないは、あり得ない」な人間なので、「あり得ないが有るかも知れない」という考え。ピンチよりもチャンスにしたいと考えるだろう。ついでに怪異が可愛いとか美人とかエロいとかだったら普通に交際を申し込みそうだ。
「仮に◯◯があるとしたら」
突拍子もない事を「100%無いってことは無いんじゃないの?」と考える人は一定数は居ると思う。ただ、その普通~少し不思議~超常現象までのどこまでが「その人の許容範囲」であるかは別として。その想像や妄想の範囲が広いほど、いろんな「自分ならどうする」というシミュレーションを行なってるだろうと思う。
むしろ、色んな想定ってのは自然現象ほどあり得る事象であり、超常現象ならもしもの時に自分が取るべき行動を決めておいたほうがタイムアップしないってことだよ。いまの普通の人ってかなりレベルが低いので、色々と想像&妄想しまくってる人に比べたらゴミカス程度の思考力しかないので、たぶん、クマに遭遇しただけで「ぎゃー!!! → ガブり!ムシャムシャ!」だろうと思う。
いや、そこらじゅうにクマが居るだろ。ニュースでも大騒ぎだ。自分だけ遭遇しないとか思ってる目出度いヤツの方が逆に異常だと思うね。
「クマと遭遇したら逃げる」 まあ、普通の人。でも追いつかれるのでアウト。
「クマと遭遇したら威嚇しながら建物の入口にゆっくり移動」 まあ、まぁまぁ正しい。
「クマと遭遇したら、とりあえず動物的対応を全部試す」動物の思考読める人には普通。
「クマが居てもとりあえず見てるだけ。襲ってきたら襲い返す」これはオラ的な普通。
クマってリアルの自分と同じ世界に居る存在だから普通に出会うよ。何度も出会ってるけどね。森のくまさんに。別に彼らの生息域とオラの活動領域が被ってるだけだし、オラって野山では普通に動物的感覚で行動するし、普通にその辺にあるものをムシャムシャしているし、リアルでほぼ毎日、何らかの動物とは話して(意思の疎通)いる。
アニマルコミュニケーターって言うんだっけ。
スピリチアル系じゃ人間同士の会話レベルで話せるらしい。漫画やアニメの世界観だね。オラ的にはそこまで話せるとは思っていない。そんな事ができるなら犯人を見なかったか動物に聞けば良いし、カラスに犯人の捜索を依頼もできるぞなもし。
単純な思考と感情のやりとりレベルでの会話。要求に対する応答。問いに対する回答。威嚇に対する威嚇。不干渉に対する不干渉。この程度であれば訓練次第で誰でもできるとは思うのだが。あとは鳴き真似だよね。意味が分かってる前提で使わないと意味ないけど。要するに鳴き真似もできる上でその鳴き真似の意味を知っていて、そしてジェスチャーも理解済み。そのうえで自分も相手にわかるようにそれを使える。単にそれだけ。常人以上に使えることは間違いないけど、これは人間を超えた存在のスキルではない。人間離れしてるかもだけど、人間のできる範疇ではある。器用とはそういうことだ。
人に依ってそれがゴミだったり、宝の山だったり。
ゴミに見える人が普通。それに価値を見出す人は普通じゃないわけで。普通じゃないので斬新とか発想の転換とか、アイディアとか発明とかソッチ系。何かを初めて成す人が普通なわけがない。ま、世の中は大抵の場合、カネが絡むので、誰かがやり始めると二番煎じを狙う人が多い。それが普通の人。後から横文字でナントカカントカな名前で呼ばれるようになるけど、それは何十年も前からあるっちゅーの。というやつ。知ったかぶりでそれを解説するなんちゃってオーソリティーが湧くのも目に見えている。
ま、時代の先取りしすぎでポシャる場合も多いんだけどね。
他にも普通を超えている人って色々と居るでしょう。
気付きって点では、そういう普通は気付かないことに気付きやすい人は、普通の人よりは遥かに優れているとは言える。この先、普通の発想しかできない人はAIに仕事を奪われてしまう役立たずになるからね。
そういう意味では「勉強ができる馬鹿」よりも「勉強が嫌いで賢い」人が生き残るかもしれない。なにせAIでできる仕事って多くの普通の仕事から侵略されるものだから。勉強って学校で習う範囲は一般的な社会人としての常識の範囲の読み書き計算ができれば良いわけで。専門的なものって興味がないと覚えないでしょ。それは勉強というものではなく興味の強いものを積極的に吸収しているのであって、やってる本人は勉強という形で吸収しているわけではない。嫌いなものをを覚えなきゃいけない要求に押し負けて仕方がなく覚えるものを勉強というなら、教科書を丸暗記できる分かり切ったことを丸ごと覚えられる人と、あまり一般的ではない分野の知識を自分の興味に応じて極めるのとでは意味が違う。
いずれ役に立つであろうとか、覚えておいて自分にとって損はないってものは勉強というよりも自分に対する先行投資だと思うね。そう考えると学校を出てから後の勉強は全て自分にとっての先行投資であり、学校に居るうちに先行投資している人は、社会に出てから覚えることを先取りしているから即戦力になるとも言える。
ゲームが好きだ。ゲームをしよう。 普通の人
ゲームが好きだ。ゲームを作る側になりたい。 普通ではない人。
他にも普通と普通じゃないには程度の違いはあるけど、普通の人は消費に専念して創造に参加しない。創造に参加しないから想像も妄想も苦手。一般的な思考をしている内は普通を超えられない。でも、自分が普通かどうかを決めるのも自分であって、他人ではない。他人は自分を客観視してくれる秤みたいなものであって、それは表面的なものでしかない。
内面を知るには、同類でしか理解できない事のほうが多いでしょうね。なにせ感覚が違うので、普通の人には「何か凄い!」としか見られない。「何が凄いのかが解る」ってのは既にその人は普通じゃない訳ですよ。
普通で居たい人はこれからも普通で居てください。
何かに気付いた人は、とりあえず目立たず、こっそり励んでください。
そして既に、何かに気付いてしまった人は、人の迷惑に成らない範囲で大いに活動(大暴れ)しまくれば良いんじゃないかな。
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