今日はメチャ暑だったのだ。
終わってみれば暑かったなって感じで、今はすごく涼しい外。
暑いとか寒いという感覚は人に依って大きく差がある。
基本的に耐寒性能が常人の倍くらいあるので、無風であれば0度でも平気。ただ、暑いのは苦手で湿気もあれば地獄に等しいのも事実。しかし、湿気がなければ汗が乾きやすいので気化熱で不快感は減る。今日は暑いけど乾燥してた。ただ、夕方からは暑いし湿気も多めで不快。今は気温が下がって湿気はあるから涼しい。普通の人なら寒いという感覚だろうか。
熱中症に成るとか成らないとかも、同じ温度でも個人差が大きく、気温と湿気で大きく違いが出る。なぜ、熱中症に成るのかを考えれば、同じ温度と湿気でも風の有無でも違いがある。
だから風があれば気化熱と体の周りの熱が飛ばされるので熱中症には成りにくいが、それよりも気温が低く湿度があって風がない場合には熱中症に成る。
では、熱中症になったらどうするかという点であるが、排熱の方法を知っていれば効果的に冷却できるわけで、これは命に関わることなのでオラ的な常識として対処方法は知ってて当然の範囲。敢えてここでは書かない。そんなの今書いた中に答えが既にあるし、こんな理科の初歩みたいな問題に答えを用意するほどの事はない。
医学知識もあれば上等だが、基本的に太い血管とか末梢の毛細血管とか、熱交換器と人体とか色々と世の中にはヒントがあるし、人体に詳しいだけではなく、機械はどうやってるの?という話まで知ってると、人間でも応用が効く。
だから、機械なんて専門的な知識だから一般人が知るはずがないし、覚える必要もないと思ってる人は命を落とすし、助けたい人を助けられないというだけの話であって、困った時に使う知識は苦手とかそんなの言ってらんない訳で知ってて当然と考えるのがオラの常識の範囲だ。
常識ってのは既知の知識や行動概念の豊富さや広さ、応用の柔軟さまでカバーしていてそのレパートリーは何倍。何十倍にも膨れ上がる。知識の応用とは足し算ではなく、掛け算であり、組み合わせが豊富に成るほど選択肢が増えるもの。
オラが多趣味で非常に広範囲の知識を組み合わせられるのは、そういうことで、組み合わせのパターンが膨大だからこそ気付くし組み合わせも自由自在になる。加えてそれができるのも器用さとか発想力とか答えのないものを解くことに特化しているので、問題解決能力というものが如何に何よりも優先されるべきものだということも知っている。
わかりませんと言うのは簡単だし、できませんと言うのも簡単だ。でも、いま直ぐに問題を解決しなければ誰かが死ぬとかそんな状況で、ただ右往左往するだけの人間には成りたくないと思っていれば自然と自分が何を強化すべきなのかは解るし、それが重要なら覚えて絶対に損はない。
苦手意識というのは自分にとってそれが重要だという認識が無いモノに対して起こる感情で、知らなければ自分にとって損であるという認識があれば覚えたいと思うだけのもの。苦手なんて言ってらんない状況ってのは世の中にはたくさんあるし、頭脳でも物理的なものでも対処しないと責任問題になる立場の人だってそこら中に居るわけで、だって分からないもんとか思考放棄している場合ではない人が、責任ある立場に居るべきでもないということだ。
やはりこれらも気付きがあってそういう思考に至り、結果的に自分で色々と調べる切っ掛けを自分で作って、それに興味を得られれば調べ方も変わる。人間と機械に接点はないと思うのは勝手だけど、それが必ずしも無関係ということは無い。工夫すれば解決する問題も、興味がないからソッチ方面に疎いと思考の立ち往生に至るくらいなら、身の回りにある全てのものに興味を持つことで入口に立つことはできる。
本当に必要な情報は普段は重視されない。大抵の事件や事故なんてものは、普段からあまり気にしない部分から生まれるものだ。熱中症も同じで、少し考えれば判るような状況で、学校の先生が無思慮に生徒を炎天下で運動させる事故は今年も起きるんだろうなと。
先生だってただの個人なわけで、学校で教える以上の知識を持たない人なんて多いだろうと思う。でも、気付きに気付いた人であれば、生徒に何かしらの気付きを与えることもできるだろう。
つまり、熱中症で救急搬送される児童のニュースは先生がお馬鹿だってことの証明でもある。
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