身一つでできることの多さが重要
世の中はモノで溢れていて、何でも金を出せば手に入れられるので、自分の周りにあるモノからモノを生み出すというスキルを持っている人間は日本じゃマタギとか自衛官くらいしか居ないのではないか。
オラは就職するまで家がビンボーなので欲しいものはカネを貯めて自分で買え的な育ち方をしているので、遊びでも何でも身の回りにある自然物や放棄された粗大ごみまでもが全て遊び場でありおもちゃのようなものである。
在るものを利用して何かを生み出すというのはクリエイター属性の基本であり、料理でも材料からメニューを考える人はそれと同じ属性だ。
オラが普段から「地面からお湯が湧いてりゃそこに露天風呂を作る」と言ってるのもそれで、利用できるものは何でも利用するという貧乏くさい根性が根底にあるから。ビンボー大いに結構。
ビンボーに憂いて何もしない人間にはなんら共感はできないのだけどね。
何でも見て触って何かに利用できないものかと感じる感性がなければ、個人そのものがツールとなってモノを生み出すことはできないし、身一つで放り出された場所で自分の衣食住を確保するという最優先事項を全うできない。
基本的に人間にはそれを行なう本能があるのだけれど、うちは親に恵まれたという点があるだろう。父親が器用な人間だったこともあるし、今のオラの基礎を作った人間だ。カネがないから身の回りの物を利用する。
オラの粗大ごみ漁りも電子工作の部品集めが主目的であり、最初に電子工作の基礎を教えたのも父親である。切っ掛けは鉱石ラジオ。オラの電子工作の原点。たぶん、これが切っ掛けで廃品からモノを生み出すという行動を取るように成った。
今ではその生み出す過程とか想像することが楽しいので、考えるという行為そのものがオラの遊びみたいなものだ。こういった遊びを繰り返していると、問題解決能力なんてものは今更ながらの単語でしか無い。そういう思考は幼少期には既にあったのだ。
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