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2024年2月27日火曜日

恨みがないのに人を殺せるから精神障害ではないし、それが無実ってのは「やったもん勝ち」なのでは?。

札幌セコマ3人死傷、容疑者「3人に恨みはなかった」と供述…死亡した大橋さんは「非常に優秀な社員でした」

 つまり「精神状態がおかしければ人を殺しても良い」という解釈になるし、「精神状態に異常をきたす薬物を使う正常な判断があっても、結果の精神異常には責任は無い」というのも馬鹿げている。

「うつ病は自分でなるものと、他人にそうされるものの2つある」

というのがオラの考えだ。オラは後者である。

この場合は恨むよりもまず精神が正常な判断力を失っていて、普通はいじめを行った上司をぶっ殺す!とか思うのが普通だろう。でも、そう考えるようになったのはうつ状態から躁状態になったあとだ。つまり吹っ切れたあとに正常な判断力を取り戻してパワハラを行なった当人の顔を見るだけで殺意が湧くという状況。この状況では正常な判断はできないだろうな。人の人生を歪めた対価は殺処分か社会的に抹殺されて当然だ。単純にマジでうつ病になると責めるべき相手も見失うんだよ。自称精神科医は覚えておくと良い。

それだけのことをパワハラ上司はしてきたし、そいつのせいで同僚が一人自殺している事を考えれば、そんなクズ野郎は人生を精算して然るべきだと思う。

では前者はどうか。自分で成るパターンだ。

努力をしない。我慢をしない。根気がない。体力もない。スキル開発をしない。怠惰に過ごす。その結果によって無力感や社会そのものへの逆恨みを増幅させて、自分のクズさ加減を棚に上げて無関係な人を襲うってパターン。自分をそう育てた親を恨むのは正しいが、無関係な人を刃物で襲うというのは理解が出来ない。

オラが絶対になるわけがないタイプの人間なんてオラが理解できるはずもない。だって恨みがある対象者を襲わないで無関係の人を襲うってのはオラが例え悪になっても有り得ない。自分がされて嫌なことを他人に行なうのは極めて幼稚であるから。

そう考えると、無関係の人を襲うってのは被害妄想が相当に拗れているのだと思うし、人として正常な判断を行えない状況とも言えるのかも知れないが、100%が当人の意志の起こした結果であり、自分をそう仕向けたのも自分自身の意志であるから当人に責任はある。

その世の中の不公平を正せるのは現在進行系な時だけ。

事件が起きて警察が犯人を確保した後は裁判という茶番劇に裁きが委ねられる。怪我を負った者。殺された者。トラウマになった者。誰もスッキリしない。裁判なんて要らないから犯人を殺処分しろというのが人情だ。

では、その前の段階。現在進行系で事件が進行している。刃物を持った狂人が目の前に居て、更に被害が拡大しようとしている場合は、犯人に対しての制圧行為は正当防衛が適用される。相手の戦闘力を超える対処をすると過剰防衛になるかも知れないけど、相手が刃物を持っていればこちらにも命の危険がある。つまり、人を容易に殺傷可能な武器を持っている相手には手加減無用ということ。仮に殺してしまっても通り魔相手なら無罪が適用される。

誰もスッキリしない状態で決着させるくらいなら悪即斬。

刃物持った人間が怖いか?というのはそういうこと。

可能な限り一撃で終わらせれば、全てが丸く収まる。

アメリカじゃ普通だよね。

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