社会的立場のある人間の責任と罰。何故か政治家には適用されない日本の法律の闇。
70円の利益で退職金がパー コンビニコーヒー不正使用で懲戒免職、中学校長の「罪と罰」
政治家がこぞって膨大な額の裏金を作り国民を馬鹿にしまくってる事に比べたら、この案件は蚊の小便にも満たない些細なこと。
でも、校長先生という立場の人間はやはり将来ある子どもたちや社会の規範となる立派な人であってほしいというのが普通の考えだろう。
道交法違反なんぞ日常的に大半の車が守られておらず、そのツケを払ってるのは違反者以外の人間が気をつけたり回避することで事故の多くは回避されている。この場合、取り締まる側の警察官の道交法違反は厳罰となるべきと思うのが普通でしょうよ。それと同じ。
ただ、道交法を知り尽くしている交通機動隊(白バイ隊)はともかくとして、普通の警官の道交法の理解度はかなり低い。日々通勤・帰宅時に見ている膨大な道交法違反の一万分の一も取り締まれないのが現実だろう。
どちらも結局は同じで、見られていないからOK。バレなきゃOKという人間の悪の部分から状態化する。被害を受ける。巻き込まれる人間にはたまったものではない。
ま、今回の窃盗事件に関しては政治家の裏金つくりに比べたら蚊の小便ほどの事件で、せいぜい損害を与えたコンビニ各店の周囲の清掃を毎日未明に1年くらいで勘弁してやれよとは思う人も居るだろうけど、やはり校長先生という立場の人間が「窃盗もバレなきゃOK」をやっちゃえば、3千万円くらいの退職金がゼロになっても自業自得と思われるだろう。
人が見ていない場所でこそ道徳観念というのは出てくるもの。悪事を働いたらそれを相殺するためにマイナスを打ち消せる善行を倍以上行なわないと悪事はバレるのかもしれない。
その代償が人生を左右するほど大きくなるのは、やはり校長先生という立場の人間なら少額の窃盗で多額の退職金を失うという立場の大きさゆえの反動なのかも。
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