気づき過ぎると疲れる
気になる。改善する。疲れる。それで何か自分にメリットは無い。メリットは他者にあるだけ。気づくだけやることが増えるだけ。それを当たり前だと思われる。もっと疲れる。
やるだけ馬鹿を見る。
気付くことで全体として良い方向に向う。
気づかない人は気楽だ。気づかせることをオラが止めればオラは楽だ。考えればわかる事を気付かせる必要もないとオラがお節介を止める。結果としてオラ以外が不利益を受けてもオラの預かり知ることでは無い。結果として無駄に疲れないが、全体としてはマイナスになる。
気付く。考える。何かアクションを起こす。これは考える人間としての義務みたいなもの思ってるが、他人が楽をする事を促してるだけなのかも知れない。オラが他の人の考える機会を奪ってるとさえ言われるかも知れないし、敢えて誰も言わないことを言うのは異端だと思われるかも知れない。
人より目立たないのは人より劣ることをアピールして余計な仕事を増やさない処世術と考えれば疲れないかもしれないが、普段から色々と考える機会が多いほど、問題解決能力は格段に高くなる。
能ある鷹は爪隠すという諺があるけど、そういう事も意味として含まれているが、実際に能がある人は少ないのが実情だろう。大抵は楽をしたいが本音だろうね。
ま、目立たないより目立ったほうが面白いに決まってるのは活動として長いオラの本音。これまでやるべきことから逃げてきた人はそれだけ自分で機会を放棄した分だけ成長は止まるだろうね。
さあ、どちら側の人間になるか?
まあ、考えない者を人と呼べるかは怪しいが。
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