サイコパスって言葉は有名だけど
サイコパスの人は「会話中に頭をほとんど動かさない」傾向がある!
精神病質(psychopathy)は、他者への共感や良心の著しい欠如を特徴とするパーソナリティ障害の一つです。
一般的なサイコパスのイメージは?
猟奇殺人鬼とか大量殺人の犯人とかのイメージ。要するに「人を殺すことに良心が傷まない。人を殺すことが何故悪いことなのか理解できないという精神構造の人」という印象がある。
だけど、他者への共感って部分に限ると、そもそも共感できないことに無理に共感する必要もないし、「一般的に」という範囲においてまるで興味がないオラにとってTVや芸能人やアイドルや野球に相撲などのことを話されても触手がピクリとも動かない。つまり共感もクソもない。無関心を隠さないのがオラ。
なので「へぇー、ふーん、そうなの?」という応答になる。
一般人の興味に共感するとは?。
皆と話を合わせるためにメディアがこぞってでっち上げた作り物の話題に乗るってことで、自分自身が周囲に取り残されないために相互に他人の作った話題を話すことでつながりを得ている。話したくて話しているわけではなく、周囲の同類から自分が取り残されたくないという人で「自分で情報を発信することや話題を作り出せないつまらない人」という区分がある。
要するに烏合の衆で、人の意見に流されやすく自分が無い人種だ。流行に敏感な人ほど自分が優位に立とうと話題の先端を行ってる私ってイカスでしょ?。みたいな。
でも、それって商業活動のための作られた話題性であり、要するに個人が行なう推しや宣伝の類である。バレンタインデーのチョコ然り、節分の恵方巻然り、年賀状だってそうだ。無論、I-phoneを含むブランドも企業が作る話題であって、そんなもの無くても人間は困らない。話題を自ら作り出せない人間が安易に他人の策略に上手く乗せられて居るに過ぎない。そんなもの解りきってるのでオラは一般的な商業活動に関する話題性については全無視である。無論、スポーツも全て商業活動と連動しているのである。
オラはオラのやってることに別に共感されなくてもいいし、無理にオラに共感する必要もない。好きな趣味が一緒の人と共感できればそれで良くないか?。趣味や好みの違う人間同士で無理に付き合うのは疲れるし、その辺は各人の都合を無視するべきではない。
共感の強制って範囲じゃLINEの既読無視なんぞその最たる例だ。暇で無能な承認欲求や、かまってちゃんがキレるとイジメが起きるアレ。だったら最初からLINEというよりもスマホ自体を持たなきゃいい。子供の場合は親にアプリをロックされてるんで。みたいに。
そんなどこかの誰かの基準に合せた共感など構いたくもないし、烏合の衆と一緒にされたくない人も大勢居るでしょ。でも、自分が周囲にハブられないように、無理やり共感の輪の中に押し込められてストレスにまみれる。マゾならストレスは溜まらないだろうね。
オラは至って正常な変人なので。
会社でアレコレとアプリを自前のスマホに入れろと言ってくるが、スマホは持ってないんでと断ってる。そもそも会社で使うアプリなら全員に会社のスマホ渡せよ。何で個人のスマホに入れなきゃ成らんのよクソがっ!と思う。
この今の時代はスマホ持ってて当たり前的なものも共感ですかね?。全く共感できないですけど。そんな1日でバッテリー切れるどうしようもないゴミクズ。肝心の通話に適さないじゃない。災害時の充電とかどうするのよ?。充電用のバッテリー持ってると安心?。持ってりゃ安心だけど、それ、肝心な時に使えるの?。
実際、会社で同僚から昨日のTVの話をされても「ウチ、テレビないです」という感じ。それで困ることもないし、TVに情報源を頼っている訳では無い。
同じ趣味趣向の人と普通に話せれば別に協調性とか共感とかで測る必要もない。重要なのは直接的に自身の生命や未来に関すること。
オラの興味のある自然化学や周囲で起きる物理現象に化学反応。災害や火山活動。動植物に自然環境。学校で習う科学に化学に物理学とか宇宙に関する知識。これらは身の回りで起きていることで、知らないと死ぬという知識だ。大抵は難しく覚えるのが苦手な人が多いけど、オラはこれら自分に直接影響を与える現象については一般常識の範囲だと考えているので、世間の人が一般常識を知らずに自滅すると、学校で習ったのに忘れたの?。それとも知らなくても死なない一般の話題に記憶領域を割いて、知らないと死ぬ知識より優先しちゃったの?。という感じ。こういった義務教育や高校程度で習うものは命に関わるケースをも興味がないという趣向の違いで片付ける人種が大半を占める。
だから、世間一般の話題で共感できないってのは別に悪いことではないし、そんなゴミ知識なんて知らなくても死なないってことは言える。でも、集団意識としての共感は生存を優先する知識よりも、TVや流行に傾いてる不思議。そんなものに共感しなくてはならないなんてなんて不憫な生き物だろうと思う。
良心の欠如とは何だろう?
自転車乗りや歩行者は道路交通法を守らない人がかなり居る。これは良心がないから自転車の逆走も信号無視も走行禁止場所の走行も良心がないからと言えるのでは。自分は大丈夫とか、法律なんて誰も守っていないとか。取り締まってないから何も問題がないとでも?。
つまり、歩道があるのに車道を走ったり近くに信号機のある横断歩道があるのに道路を横切る人も、自転車で歩道を爆走し逆走や一次不停止に信号無視。無灯火なんて人はサイコパスと言える訳だ。良心があればそんな事をしないはずなのだから。
結局のところサイコパスかどうかなんて犯罪を犯すかどうかの違いであって、その傾向があるからアイツはサイコパスだと決めつけるのは、こういった記事で共感を強要しているに過ぎないのでは。
世の中なんて、最終的に誰かの迷惑になればみんな悪であり、誰の迷惑にも成らず、人に知られず、その結果に於いて誰にも何の影響も与えなければそれは無害であり、存在としては善良なのではないかということだ。
法律の全てをオラは肯定する訳では無い。時代遅れの法律もあれば、一部のキチガイのせいで過剰なほど制限が厳しくなったものもある。時代遅れは道路交通法で厳しすぎるのは銃刀法と道路交通法である。要するに良心の無い一部の人間が馬鹿やって事故や事件が世間的に騒がれるレベルになると、法律で厳しく規制される件だ。
つまり良心が欠如している人間が飲酒運転で事故を起こす。刃物で人を殺傷する。法定速度を大幅に上回る速度で走って悲惨な事故を起こすわけだ。その人達は全てサイコパスか?と言えばそうでもないし、そうでもあると言えるだろう。
結局のところ、サイコパスを規定するものは良心とか共感ではなく世間一般の道徳心の欠如であって、共感や良心というよりも、自分勝手な人間(非道徳者)であると規定したほうが分かりやすい。
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