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2012年6月24日日曜日

場の存在

その土地に居られる神様というか、高次元の存在を感じることはあるか。
格式高い神社で何か神々しいものを感じるとかではなくて、そこに感じる自分以外の何か。
化物語という小説でいうところの「神様なんて何処にでも居るし、何処にも居ない」的な感覚が分かるかというのが近いのかな。そこに在ると感じることができれば在るし、無ければ無いとも言える。

もちろん、こういう場合は一人でその場所に立ってみると分かりやすい。


地上で宇宙を感じたいときに明かりの無い場所に一人突っ立って空を仰ぐような感覚。吸い込まれそうで落ちそうな感覚。空はそんな目に見える速度で動いていないのに、じっと立っていることさえできない揺らぎのような感覚。何も無いのに自分がそれに流される感覚。

オラみたいに何か出そうな場所にわざわざ一人で乗り込んで一人でガクブルしたり、雨の中の山中に身を置いて
周り全部の存在の中にポツンと在る自分という存在を差し引いたときに生じる差分みたいなもの。確かに在るのだが確かめようもないもの。

目に見えるものと、そうでないもの。物理的にそこにあるものと、そうでないもの。五感以外で感じる何か。
周りが在って、自分が在って、自分がそこに在るが自分はその場所にただ在るだけで、自分をその場の気配に同化した時に生じる不確かな存在。

夜に黒い服を着ている人を早期発見することは人身事故防止に繋がる。でも暗闇に黒い服を着ている人をどうやって早期発見するかという問題をオラは既に解決している。
上記で書いたとおり。黒い服の人を見つけるのではない。周囲の僅かな光の中にある人間の黒いシルエットを探すのである。つまり、物体を見るのではなく、物体が作る影から実体を認識するのである。

ナニを電波なこと言ってやがるんだこの馬鹿クマーとか言われそうだが、 オラの視力は異常視力だから見えないものが稀に見えるわけで、危険に色が付いていたり、場に圧迫感を感じたり、耳が目の代わりとなって後ろに目が在るかのうように周囲の存在を感知したりするのは別に特殊な能力でも何でもない。

武術の達人であれば後ろに目があるかのように耳が目の代わりにもなるし、気配というものに鋭敏になる。
幼少期から山に馴染んでいるオラにとっては耳が目の代わりにもなるし、些細な音にも反応するし、その音源が何か。その音源の位置や距離までもおおよそ分かってしまう。

その物理的現象によって発生する音や空気の振動、肌に感じる感覚を、その場に在る全ての存在と気配から差し引いたとき、それはそこに在るかのうように在るのだ。

オラは一人で山に入るとき、独り言を言う。山に挨拶したり、山菜を恵んでくださいとか、大量に採れたときは感謝の言葉をする。神社形式で礼をすることもある。そして、まずその場に生えている食べられる草(山菜があればそれ)を食べる。その場にあるものを口にすることで、自分をその場に馴染ませるという意味でよくやることだ。

田代元湯のように殆ど隔絶された空間に居るとき。特に早朝だったり、今日のように小雨が降りしきる中でもいい。自分以外の何者も居ないような場所に出向くと、見えない何かを感じる。それがその土地にある何かなのだろうと思う。

今日は一人だったので、元湯に行く前にコンビニ寄ってお神酒と日本酒を購入。掃除をしてから回りに酒を撒き、湧き出し口にあるあのでかい岩にもお神酒を上げてきた。だから今日は行きよりも帰りの体調がとても良かった。
いまもすこぶる快調で、さっき夜空を見上げたときも星がハッキリクッキリ見えたし、夜風に当たっても咳も出ない。あれだけ歩いたのに筋肉痛も大したことが無く、お腹の調子もいい。

藪を漕いでいるときにウインドブレーカーを貫通した枝による傷も塞がったし、化膿の気配も無い。

病は気からというが ヾ(≧(∀)≦)シ 病は悪霊の仕業という時代もあったんだぞ!

つまりそういうことだ。 そういうことなんだよ!w

コミュ障は脳の欠陥

欠陥なのか。病気なのか。障害なのかハッキリしないなぁ。
ともあれ、コミュニケーション障害の略ってことなのだが、これの反意語はなんだろうとか考えてみた。

ズバリ・・・正反対の症状を挙げるとすれば自己中ではないだろうか。
ということは自己中も脳の欠陥になるのかってことを検証せねばなるまい。
まぁ、考え方が消極的なのがコミュ障で、思ったことを何でもズバズバ自分中心に言っちゃうのが自己中とすれば自己中も脳の欠陥なのではないかとさえ思えてくる。

ただ、これらの症状には自覚症状が無いと思えるのだが、人から言われて気づくのが本物で、自分で分かっててやってるのが偽物ってことになるのかな。
単に先天性の場合と、親の育て方が悪かった(要するに適切な時期に適切な教育や接し方をしなかった)場合とにも寄る。なにせ、人間の考え方ってのは生まれた環境によって善悪や道徳。民族でいうところの性質や性格的なものが色濃く出る。海賊が盛んな某国だってそうだし、中東では神の名に於いてのテロなんかある。それに子供が銃を持っているなんて凄く違和感があるのに、どうもオラ達のようにそういう事とは無縁な国に居ると常識ってのは育った環境に依存されるということが良く分かるのだ。

お隣の韓国なんか、「何でも韓国起源説」が有名。言ってて恥ずかしくないのかと思いきや恥ずかしくないようで、先日の韓国人女性が日本に来て韓国人のブローカーに騙されて売春行為させられたってニュースなんか、日本が悪いってことになっているらしいぞ?。事件に日本人が出てこないのに笑っちゃうよね。

そういうことで、何もかも脳の欠陥だとか、で済ますのは良くない。それにそういった人は昔はそんなに多くは無かったでしょ?ってこと。つまりこれは現代病なんじゃないの?ってこと。或いは先進国に多いんじゃないかな?

コミュニケーション障害を単に脳の欠陥と定義してしまうにはちょっと早計ではなかろうか。
まぁ、「説を立てる」ってのは「言ったモン勝ち」的要素が多いので、逆に言えば、何か辻褄が合いそうなことを思いついたら、自分なりに検証してみて説を立ててみるってことでいいんじゃないのかな。

だって、個人研究も仕事で研究しているのも、結局はその違いだけで、仕事にしているから間違いないということは無いし、個人研究だから間違っているなんてことも、無いんだから。

<追記>
チョットコンビニまで今晩のオカズのヤキトリを買いに行ってる間に思いついた。

キーワード:
母国語の中の方言とその方言を喋る人。および共通語(標準語) が喋れない人。喋る努力をして喋れる人。喋れない人。方言にコンプレックスがあって無口になる。むしろ方言を気にしない人とで脳のせいと言えるのか。

つまり、コミュニケーション障害をどこまで適用するかということ。必要が無ければ別に共通語でのコミュニケーションは必要無いのだから、それを脳の欠陥として定義できるのか。年齢的なもの。個人の努力によるもの。そして必要とするかしないかの環境の違いということだ。

これを一般的に言うコミュニケーション障害に当ててみると、ヒキコモリが可能な環境に居るからコミュニケーションが必要なく、結果としてそうなってしまったとも言えるのではないか。
だから親が子供を過保護にし過ぎたり、親が子供が働かずに家に引きこもっている状態を何とかしない状態に長年置いたとする。そうなると、子供はコミュニケーションを必要としない環境で生活することになるので、自然とコミュニケーション障害を引き起こしてしまうということ。

だから、コミュニケーション障害は脳の欠陥などではなく、環境によって脳がそれに適用した状態であって欠陥ではないとも言える。
先ほどの方言だってそうだ。その地域で普通に生活している状況に於いて共通語が必要ないものであれば覚える必要の無いものであって、それに適用する必要もない。かといってそこだけで生活ができない人はそれなりにその地域の外で使われる言葉を習得しなければならず、多少に関わらずそれに適用する。
ヒキコモリも家に居続けることができない状況になればそれに適用するしかなく、それを拒否し続けたところで何の解決にもならないし、親が死ねば生活ができないから家で孤独死するしかなくなる。

 単に、環境によって脳がそれを必要とするか否か。それに適用する環境への変化を与えるか否か。それに適用する必要があるか否か。それでその人が生きられるか否かの問題になる。

結果としてコミュニケーション障害とは環境が引き起こす現象であり、適応の有無は必要性によって左右され、適用の必要ない環境にあればそれは傷害でも何でもないただの事象ということになる。

以上。

調子が戻ってきた

喘息で呼吸困難になって1週間+病院行って4日目。
まだ咳は出るし、たまにゼーゼーするけど、呼吸が安定してきたし、少し運動したい。
温泉にも入りたいし、山も歩きたい。
給料日の1日前で金を使った遊びはできないし、食い歩きしたらまた太る。
そうなるとちょっと車で出てその辺を歩いて、ちょっと山菜を採って、処理して料理する。
晩飯はそれで白いマンマを食うのがいいだろう。

オラ的にはインドア系とアウトドア系の趣味に境界が無いし、全部の趣味は複雑多岐に関連しているのだから、状況によってそれらを上手く関連付けさせながらテケトーにローテーションさせているつもり。
ただ、それら趣味の関連付けには、やはりテンションというものが大きく関わってくるので、モチベーションの上がらないまま始めようと思っても、手をつけるに至らない。オラの趣味はあくまでも実生活が優先であり、自分の予定を縛り付けてまでやるほどのものはない。そんなのは老後の時間のある時にやればいいのだ。

去年はラジオの年だったのでこれはあと数年放置かもしれないが、完全に閉めるまでにやっておく事もあるし、工芸やら園芸関連の趣味の一部を再開しようと思ったけど、いまのローテーションからすると、去年と一昨年の山歩きをサボったいまの流れからいくと、田代元湯=山ってことで、このまま暫くは山関係だろう。山菜採りも2年やってないしな。

かといって喘息も完治していない状態では激しい運動もできないし、軽いトレッキングと軽い山菜採りくらいだろう。先週の日曜に田代元湯に行く途中で長靴が裂けて、いまは1足も長靴が無いから、とりあえず長靴は必要だ。 ウインドブレーカーも橋を渡るときに転倒して単管の詰め具に腰をぶつけて裂いたので破けてもいいのを1つ欲しいところだが、ツナギでも構わないかもな。ウインドブレーカーは濡れるとくっついて着替えが大変なのだ。脱ぎにくい、着難い。

今の時期の山菜はフキ。早く取りに行かないと筋が固くなって食えなくなる。
今年はまだフキを食っていないので、軽く1回分を食したいところだ。

2012年6月23日土曜日

ファーストサーバで大規模障害

もはやネット上では社会的大問題に発展しているファーストサーバーの大規模データ消失事故。 ヤフージャパンの子会社で100%稼動を謳っているため大企業や官公庁でも使用しているという。

ファーストサーバーでは昼夜を徹して復旧(無理だろ)作業(初期化してOS入れて初期状態の真っ白でサービス再開)をしているようで、設定初期化したから消えたデータをもう一度アップロードしてねー♪とかやってるらしい。
ヤフージャパンの対応は、ヤフー検索(ウェブ全体では3%の利用者しか居ない)で上がるこの事故の検索結果を表示されないように昼夜を徹して隠匿しているようだ(苦笑)

バグったら息を吹きかけましょう



あんでWindows7ってこんなにダメなの?

データの移動をするにあたり、USB経由でUSBメモリとかSDカードとか外付けHDDとかを交互にコピーしようとすると・・・

  • 途中でドライブが消える
  • 圧縮して放り込もうとすると圧縮が失敗してドライブが消える
  • 容量は大したこと無いけどファイル数が多いと途中でハングする
  • SONYのメモリスティック系での読み書き失敗多すぎ
書き込み失敗した際に、メモリースティックDuoの2GB1枚、USBメモリ2GB1本を読み書き&フォーマットすらできない状態にされてしまった。

ほんと、Windows7ってダメだな・・・うーん、やっぱりWindowsXPの方がいいよな。
失敗も少ないし安定性もいい。

それに、Windows7のペイントの使い方がわからん・・・このリボンUIってーいうの? なにコレ? なんでこんなに使いにくいの?

XPのパソコン1台用意しないと何も作れないではないか・・・ああ、あと、Officeも2003が最強だな。

ぜぇぜぇ・・・ハダビズがでぅ

ていうか、薬が効かないから咳も鼻水も出る・・・しかも鼻をチーンってやると・・・鼻血が・・・もうね、献血して400ccくらい最初に抜いてしまわないと、貴重な血液が無駄に排出されてしまうわけで・・・

てか、眠いんだけど、眠れないし・・・はあ・・・眠いよぉ

2012年6月22日金曜日

安いDVD-Rメディアの細かい傷

更に安い100円ショップのメディアが20枚くらい入るケースに入れておくと、凄く細かいキズが付いて再生できなくことがある。

応急処置として、オラは・・・メンソレータムを薄く塗ってから軽く拭いて読めるようにしてからすぐにバックアップすることがある。

理屈はこうだ。細かいキズの間にワックスのようにメンソレータムの油脂が入り込んで傷が一時的に消えたように見える。まぁ、そのままじゃディスクに良くないので、すぐに焼きなおすのだが・・・
まぁ、最近じゃHDDが信用ならないからなぁ・・・どうやって傷を付けずにデータを半永久的に保存しようか思案中。
ちなみに、長年放置して信号面に薄っすらと生えたカビ・・・これもメンソレータムで・・・

メン・イン・ブラック3 も続編出るのか


遊星からの物体Xより30年・・・


息が詰まる

つまり呼吸ができないってことだが、喘息と言うものを初めて経験することになったのだ。

ただ、オラは結構我慢強い方なので、様子を見るってことが他の人と比べて長いから、今回のように呼吸困難になるまで放置ってこともオラらしい結果なのだと思う。

しかも、田代元湯の帰りの登山(ありゃどう見ても戻りは軽い登山だよなw)で息も絶え絶えだったのだが、オラはとにかくパニックになるということを知らない。

パニック映画を見ていると烏合の衆がそれぞれ馬鹿みたいに叫びながら逃げ惑う様子を見るが、騒いだからどうにかなるのかといつも思う。たぶん、ダメなもんはダメなんだろうし、ナントカなるようならナントカなるんであろう。

自分のこの呼吸ができないという状況でさえ、気道はとりあえず塞がっていないのだから、呼吸を深く速くすることで血中酸素量を増やせると自己分析。30分で血中酸素量は標準まで戻ったようだし、その後でおでんも美味しく戴けた。

あのとき、皆には心配掛けたくないから、ぜぇぜぇで少し休んでから帰るからと言ったのは、まぁ、自分の体のことだから死ぬほどの事じゃないだろうと軽く考えてたからだ。

まぁ、まさか喘息の発作なんてものが自分に起こるなんて経験も予測もしなかったので、ただの酷い息切れだと踏んだのだ。ということで1週間苦しんだ呼吸し難い現象は喘息だったってことで片付いた。ただいま治療中であり禁煙中。回復傾向にあるが、激しい運動とかはできない。

またしてもオラのウォーキングはこのように邪魔が入って1週間で終了してしまった。
まぁ、タバコやめたんだし、喘息も治ればウォーキングも再開できるだろう。そして、夏が来てねぶた。

激しい運動はできないからねぶたは曳き手を絶対にやらない。去年は騙されて酷い目にあった。もう二度と曳き手なんぞやらないから。曳き手やらされたら次の日からねぶたに出ない。絶対に出ない。
もう曳き手やるほどの歳じゃないんだし、周りが手を抜くのに自分だけ頑張ってもしょうがない。だからやらない。
というか、ねぶたそのものが嫌いなんだから最初から出たくも無い。

自分の生命に関わることなので、曳き手は断固ことわる!w

サークルKサンクス マスタードチキンカツロール 280円

めちゃくちゃしょっぱい。 幸福の弁当って工場さ。全般的に味付け濃いよね。
青森県の脳卒中の原因はコンビニで売ってる調理品の味付けの濃さじゃないか?

あと、カツっていうか、皮にガチガチの衣ついてるだけ。しかもしょっぱすぎるソースがべっとり。
あまりに薄くて硬くて駄菓子のカツかと思った。
原価20円ってところかな。 販売価格は100円でいいんじゃないの?。
最近のコンビニ弁当とか調理パンってなんだかすごくケチだよね。

まぁ、コンビニで弁当は普通買わないけど。 買うとしたらオニギリ系かな。

オレンジハートがもっと増えてくれると嬉しいんだよね。

朝飯は朝マック 昼飯は豪華味噌ラーメン

マックドリトルソーセージは人間のクイモンじゃないということが分かったし、ツナマフィンは大変不味ぅございました。やはりソーセージエッグマフィンだよなぁ。朝マックは。

昼はローソンで売ってる野菜のパックを炒めてインスタントラーメンを似て食った。豚肉と野菜と高野豆腐の具沢山味噌ラーメン。スープにはインスタントの粉末と、味噌汁用の出し味噌、生姜を加えて味を調えた津軽味噌ラーメン風な感じに仕上げた。

煮炊きしていると鼻の下に汗が・・・(* ̄(冖) ̄) ジュル・・・う・・・鼻血だった・・・


鼻血ブー

喘息による発作で咳き込む(津軽弁で「むへる」とか「はばげる」とかいう状態)と血圧が急上昇する。
そのせいで鼻の中のキーゼルバッハという毛細血管が切れて鼻血ブーなのだが、この鼻血ブーが常態化してしまって、いつでもどこでも鼻血ブーになってしまって困ったものだ。

高校のときにこの鼻血ブーの元をレーザーで焼ききって鼻血ブー太郎を卒業したのだが、この年になっていきなり鼻血ブーしたらエロいこと考えているんじゃないかと誤解されてしまうではないか。

とか、オラ一大事なのである。

今日も3回鼻血ブー。献血して血圧下げてこようかな・・・てか処方薬飲んでるし、喘息の吸引薬吸ってるからダメだろうなぁ。
てか、いま、どれだけ投与してるんだっけ・・・ええと・・・6種類投薬中だったよ。 蕁麻疹抑える市販薬も含めてね。

うーん、鼻の粘膜を鍛える方法ってのは無いものかねぇ・・・

秘湯度がランクアップした田代元湯

秘湯とは言い難いほど有名な田代元湯であるが、到達可能な難易度が橋が2つとも半壊状態であるため、「一般人レベル」の到達可能レベルを通り越してしまい、要するに、マニア向けとか、こういう場所に対して非常に抵抗の無い人なら造作も無く行けるという野湯になってしまった。

経緯などはFC2サーバーの「あおもりくま総合研究所」の方。田代元湯まとめにある、2012から辿ってくれればいい。
可能な限り今回のレポートを再編集して現状を網羅したつもりだ。
iswebバックアップには最初のままの簡単なレポートのみ。

さて、以前は家族連れをよく見かけたものだが、こうなってしまったら渡るのは非常に危険なのではないかと思われる。まさか親だけ渡って見せて子供に後から来いとか、そこで待ってろとかは無いだろう。
ウェブサイトでも書いたが、年齢や身体的能力や知的レベルは渡河になんら影響は無い。 子供でも女性でも特別問題ないのだ。

でも、例えばこういう場所でギャーギャー言いながら渡るような人はまず渡るのを諦めたほうがいい。
橋がきしんでいる音を聞き逃すからだ。それに騒ぐ暇があったら集中しろということ。
状況が状況だけにふざけている場合ではないのだ。当然ふざけて橋を揺らせばそれだけ橋へのダメージが増加するので、渡っている途中で壊れる可能性もある。

こういう場所ではあくまでも冷静に、慎重に、そして集中して渡ることが大事。

2012年6月17日日曜日

AQUA SOCIAL FES!!



なんか知らねーけど、1台で5台分くらいのスペースをロープ張って占領している非常に迷惑な車が銅像茶屋に居座っていた。
雨が降ってるんだから建物のすぐそばに停めたいのだが、何この車?。何か説明が書かれている訳でもないし、ただ邪魔臭いというイメージしか無い。しかもこの車のロゴと同じメッシュのベスト を着用している連中も1箇所に纏まればいいのに彼方此方に分散してテーブルを使用しているから非常に迷惑。

トヨタは嫌いだが、ますますトヨタが嫌いになった今日の締め。
とりあえず、調べるのも面倒なので文句だけ書いてオシマイ。

イベントがらみは他のお客様の迷惑にならないように、しっかりスタッフが仕切ってください。馬鹿トヨタへ。

田代元湯 2012

もう疲れて死にそうなので、詳細はウェブで・・・

あおもりくま総合研究所

あおもりくまデータベース>ISWEBバックアップ

明日、歩けるかな・・・

2012年6月12日火曜日

かもひな




(*´Д`)=3 鳥さん! 鳥さん! 鳥さん! やっぱり鳥さんの可愛さは格別だなぁ

2012年6月11日月曜日

どうしてもカラスのせいにしたいらしい

近所の公園でマガモの2ペアが子供をつれて食事をしてた。 10羽の孵ったばかりのやつ。8羽のちょっとだけ育ったやつ。大きいほうは2~3日ほど前に孵ったんだろう。どっちもテニスボールくらいで可愛い盛りだ。
オラの周りにはスズメやカラスも来るのだが、遥か後方にいるカラス(東ボスの奥さん)を見た散歩の人が子ガモに向かってカラスに食われるぞと言ってる。

いやいや、カラスは泳げませんから・・・てかボソは子ガモ食わないから。食うとしたらブトだけど、カラスはどっちも足でキャッチできませんから。

この公園の生態系を見る限り、子ガモの天敵はカモメとアオサギ、トンビなのである。その証拠に、この3種類の鳥が現れると親ガモがヒステリーを起す。だけど、カラスを見ても騒ぐ様子は無いし、人が近くにいるとカラスが来ない(ただし、オラを除く)ので、人の陰に入ればカラスは手出しできない。

カラスが近寄っても親ガモに噛みつかれるのがオチだし、水上に出たら子ガモは潜水してカラスには手も足も出ない。しかも子ガモは水の上を走るくらいの速度でダッシュする。カラスは手も足も出せないのである。

よーく観察して真実を確認しないと冤罪を作るので注意。
あと、勝手に思い込んで誰かを悪者にしてしまうと自分に返ってくるしなぁ。
オラも気をつけなきゃ。

大都会病 ”大阪での通り魔事件”

また通り魔で人が死んだ。
誰も立ち向かおうとしなかったんだろうか。

老人・女性・子供は仕方が無いとしても、インタビューで当時の様子を語る人が第三者の視点で語っているのを見ると違和感を感じる。
その場に居て何もしなかったのだろうか。何もできなかったのだろうか。

「自分とは関係ない」 と思う限り、逆にこういった通り魔という事件を助長してしてしまうのではないだろうか。
そして、いつかは自分の自分や身内が・・・

この事実から「通り魔はやっても無駄」という常識が定着するわけが無い。

そして通り魔が起きた商店街だって他人事ではない。
自分の庭のような場所で通り魔が起きても何もしない。
そこを利用する立場の人間から見ても誰も助けてくれないような場所というイメージが定着しかねない。

思うのだ。

人通りが多い場所には「さすまた」や「竹刀か木刀」、「警杖」などの犯人を取り押さえたり武器を叩き落すようなものが一定距離ごとに準備されていても良いのではないだろうか。
それに代わるものやそれと同等の機能・性能を有するものでもいい。

ただ、最終的にはそういった通り魔や暴漢に立ち向う勇気と体術が必要なんだけど。

人が多いからそういった事件が起きるとも言えるし、人が多いから自分以外の誰かが何とかするだろうとかも考えるのだろうけど、いつまでも他人事でいいのかな。

生き残るっていうのは社会で成功するということだけではなく、こういった暴力から自分を守り誰かを守るっていうことなんじゃないかと。 人の死っていうのはある日突然、理不尽な理由で奪われるんだよ。