自分の見ているものを人に説明できない
人が見ているものは目から脳に情報が入って認識される。だから脳で物を見ているので、その情報量を処理する脳の興味対象および、見たい物が何であるかによって見えているものが違う。この他にも見るには複数の意味合いがあって、観察の観る。診断の診る。注視するの視る。ただ何となく見る。閲覧するの覧る。この他にも意識せずに目を開けている状態は見えるという状況。
で、複数人が同じ状況下に居ても多分、全員が見ているものは違うのだと思う。訓練を受けて、こういう時は何をどのような視点で見るのかを訓練したものは、たぶん、同じ視点で覧るのだと思う。軍隊とかの索敵、警戒、銃撃、砲撃、狙撃とかはね。
五感は、見える、味を感じる、臭う、聴こえる、触感。
五感の感覚器官は性能に個体差が大きく、感度によるものや肉体的性能によるもの。脳で処理している情報量の複雑さで雑から詳細まで様々。
同じものを見ているとする。
Aさんは見えている。Bさんにも見えているはずだけど脳が認知していないので拾っていない。
同じものを食べている。
Aさんは深みのある味だという。
Bさんは味が薄いという。
同じ場所にいる。
Aさんはガス臭い。ガス漏れじゃね?という。
Bさんは臭わないという。
Aさんは蚊が煩いという。
Bさんは何も聞こえないという。
コイン当て
Aさんは的中。
Bさんは外れまくる。
ということ。
神経の鋭敏さ。脳が入力された情報を分析する処理能力。後は経験値や記憶や経験の情報量つまり、データベースの量が少なかったり、それをしなければならない状況に遭遇または置かれた経験と感知する必要に迫られた事があったか無かったか。
むしろ、する必要に追い込まれる想定を行なって何を反復して練度を上げたか。
当然、先天性のスペック差もあるし、生活習慣による劣化。幼少期の興味の深度により何処まで自分で鍛錬したか。親の子供に掛ける時間の量にもよる。
因みにオラの視力は小学校低学年時に本の読み過ぎで0.7まで落ちた事がある。天体望遠鏡か顕微鏡のどちらか買ってやると言われて選んだ天体望遠鏡のお陰で星を見るようになって2.0に回復。肉眼で土星の輪が見えるくらいだから、多分、2.0以上あったかと。
幼稚園に入る前から親に連れられて山に。親が山菜採り中は車の周りのヤブに突貫して這いずり回る。ちゃんと車の方向を見失わず戻る。ヤブに突貫する。車に戻る。繰り返している内に方向感覚と視界不良で障害物だらけの移動スキルが上がる。自然が出す固有の音で音場マッピング。山菜の匂いで獲物を探す。空気の流れを肌で感じる。全ての情報を一斉に五感として受け取る。
そんな子供だった。
歩く好奇心の塊だったので、何時しか共感覚的なものにも気づいていて、五感の先にある物にも何となく触れてた。
目隠しして迷路を脱出しろと言われて「無理!」「超簡単!」の貴方はどちら?。
これはある法則を知っているかで答えが変わる。答えは超簡単である。だから知ってる人だけニヤニヤしてましょう。
つまり、知識と経験次第で先に行けるか立ち止まるかが決まる。でも現代人はネットがあるので自分で図書館に行って調べる必要はない。
素晴らしい時代である。伸ばそうと思えば幾らでも自分を伸ばせる時代なのに、それをしない人が多過ぎる。
オラが見ている現実世界は目に入る物を全て脳で理解しようとする。目と脳が疲れるので普段は故意に不要部分をフィルター掛けている。これをやってる内に別のスキルが生まれた。
普通は見えない物を見るには何をするか。ブラックホールは光さえ吸い込む。だから直視できない。でも、物理的に視認するなら、見えていない物で存在を認識できる。高性能な望遠鏡でそれをやってブラックホールを視認してるでしょ。
考え方の逆転。
夜道で真っ暗な服を着ている人は直視できない。暗闇に黒の服。でも、風景には至る所に光るものや照らされている物がある。で、本来映ってるものが遮られると、そこに何かがあると分かる。
これと全く同じ方法を脳に処理させると、ああ人がいるね、と分かる。見えていないものが見えている。認識できない物を引き算で認識する。
たったこれだけのきっかけに気付く、気付かないだけでも大違い。片方が避ける。片方は轢いてしまう。
こう考えると人生終了しかねない事案。見えない物は見る事ができないと主張するか。それとも見えない物を見えるようにする?。
それを繰り返し想定することで処理を自動化する。それだけ昼と変わらない運転ができる。
0 件のコメント:
コメントを投稿