答えのある問題は考える力ではない
受験一筋だと「答えのない問題」で挫折する──「伸び続ける子」に育てるコツ
ここでも書かれているように、パソコンを始める同期はゲームであっても、ゲームを作ってみたいと思わせることだろうね。
オラはパソコンが欲しいという衝動がゲームをするためというよりもゲームを作るためというか、パソコンを最初から道具として見ていた。
だからゲームもするけど、自分もこんなゲームを作ってみたいと思ってパソコンを早期に手に入れていた。当時はTVゲームといえばファミコンやSEGAのハードが全盛期であり、パソコンのゲームではPC-88などが最も多くのタイトルを並べていた。最盛期にはX68000やFM-TOWNSなどで豪快なスプライトを多用したアーケードゲームも席巻していたね。
結局のところパソコンは音楽プレイヤーであり、ゲーム機であり、ワープロであり、お絵描きツールであり、ゲームを作るための道具であったと当時に、ハードの増改築や改造にまで手を出して、10代後半~30代くらいまでは人並み以上にパソコンを扱っていた。
オラの趣味は幼少期から山菜採り、石拾い、園芸、盆栽、鉄道、電子工作などに始まり、習い事は書道、剣道。部活動はサッカー、剣道。委員会は放送委員会に保健委員会。クラブは将棋に美術レタリングと節操がない。というか、関連性は薄いし、興味の傾向が多様だった。
本当は部活動って文化系に入りたかったんだけどね。中高の先輩に引っ張られて無理矢理やった剣道も非常に苦痛でしかなかったけど、得たものは大きいよ。何せ、棒キレを持ったら相手が刃物を持っていても無意味だからね。
こんな節操の無いオラん家は裕福とはいえない家で、粗大ごみの日は宝物探しの日でも遭ったわけで、早朝に道路端に積まれた粗大ごみを分解しては部品を調達し、ラジオやコンポなどを作って遊んでた。オラの根本はここにある。
そうだね、ナタ1本もあれば山の中で風雨を避けられるシェルターくらい周りの材料を利用すれば作れる。胃も丈夫だし、生水飲んでも平気。山菜の知識もあるので空腹も紛らわせる。そもそも山の中で迷うことはありえない方向感覚を持っているので遭難の経験も無いが、遭難したとしてもなんら困らない。
料理も同じで、◯◯を作るから材料はアレコレを買ってくるという概念がない。今日は◯◯が安いし、旬だからと買ってきて、さあ、これで何を作ろうという感じだ。だからスーパーに持っていくメモは大抵は消耗品のティッシュやトイレットペーパーに洗剤とかそんなもんばかり。
これはそのまんま勉強に当てはまる。オラは学校の勉強が嫌いだ。何せ学校の先生がハズレばかりだったからだ。どんどん勝手に進む授業。黒板を写すのが先か、消されるのが先か。そんな詰め込みばっかりのクソ授業では勉強に興味も面白さも感じるはずがない。
これが日本の先生と教育の悪いところだ。
オラは独身で子供は居ないが、昔はOFF会などでネット仲間とキャンプなどもしていたが、オラはそれなりにその辺にあるものを使って遊ぶという経験をしてきたので、子供の相手もチョロい。何かを始めると子供が寄ってくる。的先も器用だし、色んなことをやってきた経験から少しの練習で習得してしまうのでレベルアップも早い。
答えのない問題ほど面白いものは無く、答えのある問題ほどつまらない。いや、燃えないのだ。考えて閃いて、それを形にするってことが楽しいと知っているので、人が面倒くさがることを面白おかしくやるという性格だ。
むしろ、皆ができることをオラがする必要はない。つまり、AIでできることをオラがやる必要はなく、パソコンでやったら楽なこと。手でやったほうが早いことも区別できている。パソコンは確かに万能ツールだが、できることは決まっている。考えさせるということはできない。決まりきった面倒な作業や計算はパソコンにやらせ、答えのない問題は見て考えて必要なモノゴトをまとめ、それらを使ってどのように解決するかを考える。
普通の人は予算度外視で考えるだろうけど、オラはどうせ買ってくれないだろうし、買ってくれても予算は小さいだろうということで、実行するために必要な最小構成で考える。こんなことばっかりやってきたので、二度手間は大嫌いで、何度も同じことをしなくても良い方法まで考える。何事も楽をするために考えるのは人間の仕事だ。単純作業なんぞは仕組みにやらせるか、仕組みを作って誰でもできるようにすれば良い。
この周りのものを利用するって考えは、そのまんま、ネット上に転がってる無料サービスも含まれていて、会社ってのは金を払って使うものこそ正義と考えているが、何も面倒はない。無料のサービスや少しの利用料で最大の高価を得る方法は幾らでもある。
今は大企業に努めているが、大企業ってのは上が勝手に決めて、下には決まったからやれ。で終わり。現場と話し合って手間がかからない方法とか、わかりやすい方法ではないものを好む。結構無駄だらけで、使い勝手が悪く、誰にとって分かりやすいかというよりも、如何に難しくて分かりにくい複雑なものをやらせるかという「俺様は頭が良い」と自慢するだけのためのものが普通。
オラは逆だ。現場は楽がしたい。誰が見たって分かりやすくが普通。作りやすく情報も共有しやすい。更新が面倒ではなく、誰もが気づいた時に情報を書き込めるようにすればいい。あとは誰かがそれらを集約してひとまとめにして、皆で共有すれば良い。
分担も簡単。事務は外に出ないから出先の情報はドライバーの方が詳しい。だったら、ドライバーが行ったついでに情報を集められるようにすればいい。帰ってきてからフォームに書かせるってのは無しだ。指示する側は事務だから、ドライバーが分かりやすく集約した情報をもっと簡潔に分かりやすく、視覚的に理解しやすいように工夫すれば良い。ここに絵心とか作図のセンスが必要になる。それらはオラが既に習得しているし、この会社ではオラはそれなりに有名人でもある。分かりにくいものは分かりやすくする。
本当に現場が必要としているものは現場にいるからこそ分かっているし、オラは現場も管理部門も経験があるので、色んな立場で考えられる。
勉強ができても、それは丸暗記とか計算が得意とかそんなの経理や総務や法務でやってろって話。でも、会社を動かしているのは実際は現場だ。自分で考えて答えのない問題を解決するのは管理よりも問題に直面している現場。役割が違う。現場を知らない人間が考えたs組ほどふざけたものは無いってこと。
つまりは、勉強しかできない人は、現実の問題に遭遇した時に答えを導き出す材料に触れていないから問題を解決できないってこと。そんな人材は答えがあるところにしか配属できないし、逆に言えば、それっていづれAIに丸投げできるでしょ?。だって、答えがあるなら人間は要らないじゃんって事だから。
子供に言いたいのは、興味を持ったら掘り下げてみろってこと。既存の問題を解決したら、自分で考えてバージョンアップさせてみろと言いたい。真似だけなら答えが用意されたとおりにやっただけ。オリジナルを見せろってことだ。
そのスキルってかなり重要で、瞬間的な判断を要求される状況では命にかかわることもある。大抵は命の危機に晒されている状況ってのは答えがない。周りを見て、今自分が一番先にすること。次にすること。如何に効率的にそれをクリアして、生存確率を上げるのか。そういうのが答えのない問題を解く力になると思う。
たとえばそうだね。業務用の冷凍食品を保管する大きな冷蔵庫に閉じ込められたとしよう。倉庫には沢山の冷凍食品が箱でいっぱい納められている。温度設定はマイナス30度。次に倉庫が開くのは12時間後だ。朝まで生きているために何をする?。
まあ、少し考えればこれも答えがあるんだよね。ただ、興味を持って自分で色んな漫画やアニメや小説やネットの情報や映画、TVなんかを見ていれば答えがある。
この答えがあるのに興味がなくて調べたことがないっていう場合は、翌日には冷凍肉担ってると思う。色んなことに興味を持っていて、色んな情報から、へぇーこれって役に立つなと思っていれば記憶に残ってそれがいつか役に立つ。結局は答えがあるかないかってのはその人の頭の中の情報量であって、教科書には載っていないその他の多くの雑多な情報を記録するかしないかの違いでしか無いんだよね。興味がないってだけでスルーしてた情報を持たないあまりに死んでしまうってことはよくあることなんだよね。
それは生活でも、災害でも、仕事でも、遊びでも同じ。多くのことを知っていて、多くのことに興味を持って記憶していればいるほど、その引き出しの多さに救われる。
趣味はTVと読書と映画と音楽鑑賞です・・・なんて書いている人の何%が本当にそれらが趣味なの?ってことであるし、時間をダラダラ過ごすためのツールである場合と、それらから知識を吸収しようとしている場合とでは同じことをしていても頭に残る情報ってのは大きな差が生まれる。
さーて、貴方は答えのある勉強だけができる人?。
それとも答えのないパズルを自分でパズルのパーツを作って解くのが得意な人?
0 件のコメント:
コメントを投稿