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2023年7月15日土曜日

「加護」という属性について

加護の有無は結果と自分史でしか推測できない。ある人も無い人も居るのだろうし、関わりを避ければ結びつきは無く、多くの関わりを心掛ければ結びも多いのだろう。ファンタジーモノのように明らかに自覚して自らの意志でそれを行使するようなものではない。少なくともこの現世ではそうだと思う。

自覚はないけど、例えばその加護自体は神ではなくとも守護霊だったりご先祖様だったり、縁の深かった故人の守護かも知れないのだが、何かに護られているのでは?という感覚はある。

普通は道路で轢かれて死んでる動物相手に冥福を祈る人は少ないと思う。憑かれるとか悪いイメージがあるからだろう。オラはその辺を気にしない。つまり今更なほどに祈ってるし、それであからさまに不幸にも成っていない。そもそも動物に依って先入観でイメージが悪いとかあるのだろうけど、素でしか見ないオラにしてみればみんな意志を持った生き物だったものだから。

仮に動物霊に憑かれたところで十匹~百匹増えたところでどうということも無かろう。オラ自身は器であって流れや力に逆らわない自然体だから。それに霊そのものに良いとか悪いという区別を付けない。神様ですら日本の基準からみれば良し悪しに関わらず神は神なのだから。

たまにめちゃくちゃ肩とか体全体が重だるいってことはあるから何かがタダ乗りしてるのかも。オラ自身は車でかなり広範囲を彷徨ってるから適当なところで降りてるのか?。憑き物落としの高山稲荷の脇を頻繁に通ってるし、或いはオラが無駄に彼方此方を彷徨うのは、行き先をオラが気づかない内に操作されているかもしれない。

自分で自分を霊視もできないし、常態的に霊や怪異を見ている訳では無いので、怪異という存在すらオラにとっては曖昧なもので、それを具体的に説明できるわけでも無ければ、オラが受けた何かに対して何かが発動したとかそういうのもよく分からない。結果から原因を探るのも憶測でしか無い。

でも、オラ自体は僅かに第六感を持っているので、事前に危険を察知して回避したり、あの時に死んでたかも知れない(またはよく分からない内に避けている)ということは多々あるし、今、現世に居るってことは何かに護られていたとも言える。

確率というのは行動が多ければ多いほどにその分母が膨らんで分子である遭遇確率(結果)も上がるからだ。遭遇率0.01%の確率ならば、10,000回行動して100回遭遇するかと言えば、オラは1回で済むか0回なのだろう。別の人は1回の行動で遭遇したり、10回の行動で1回遭遇するのかも知れない。

囁きがイメージとしての予感(虫の知らせ)を受信しているとしたら、それはオラの能力ではなく何かからの恩恵であり、信じるも信じないも受け取る本人の感受性の問題だ。敏感か鈍感かってのは、耳を傾ける意志の問題で、端から全無視の人が感じ取れるわけでも無い。

結局は、関心とか気に留めるとか興味を持つというのは本人の取捨選択であり、良いも悪いも本人の判断基準である。オラが悪いものを悪いものとして認識しなければそれは悪いものではない。悪いものを知らせてくれる良いものである可能性もあるのだから。

オラ自体が護られているとしたら心当たりは幾つかあるのだが、良いものか、悪いものか、人間の霊か、神か、悪魔か、動物霊か、自然発生的な意思なのかは知らない。オラが気に入れば良いことがあって、気に入らなければ悪いことが起こるというようなあからさまな原因と結果に心当たりもないが、結果だけみれば原因がアレで、結果がコレかって事はあるんだよね。嫌な予感が当たるとかもそう。

例えば、先週の月曜に鹿角の尾去沢で非常に不快極まりない扱いを受けたのだが、その結果が今起こってる秋田県での豪雨であるならば、原因は鹿角市の某施設であり結果は秋田県北の広範囲。特に沿岸部~県央部の豪雨災害だ。現状では県境を堺に青森側には何らかの意志が介入しているかのごとく被害が出ていない。(07/15/12:00)

あの時にオラが受けた精神的負荷は過去に遡っても上位に入るレベルだったので、オラも相当な邪念(黒いもや)を発したことになる。その限界値を超えて鬱積した邪念を撒き散らした範囲(帰路の経路である鹿角市~大館市~能代周辺~八森付近)が降雨量の多いエリアに重なってるという事は偶然かもしれない。でもってその周囲は巻き添え食らったとも言えなくもないのか。

そうだとしても受けたものを無意識に返しただけ。オラ自身は不快になったという気持ちの問題しか無く何もしてない。獅子威しが水を溜めてコーン!と響き、溜まりに溜まったものを吐き出す現象でしか無い。そのコーン!(結果)が何であるかも決められないし、因果関係は誰にも説明できない。

加護自体も自分で決められるものは無いし、受けるものであって、取りに行くものではない。行ないの結果の副産物というのが普通(?)の人間から見たギフトであって、要るとか要らないとかいう本人の意志も関係無いのだと思う。

何もかも良い結果になる人も居れば、何もかも最悪の事態を避けられている人も、逆に何もかも悪い結果にしかならない人も居るのだろう。貰ったギフトが何であれ、結局は自分の行ないの結果の返礼品でしょうから受け取り拒否や差出人への返送もできないでしょ。

ただ、ギフトは1つとも限らないだろうから、悪いギフトを持ってても良いギフトを貰えるように行動すれば、悪いギフトも相殺されるか、二者択一になるかもだし、全く別カテゴリもギフトがつくかも知れない。その内容自体も、どんなギフトがついたのかも、直ぐには知ることは出来ないだろうし、知る方法も無いのだと凡人のオラは思う。

とりま、今回は秋田で受けた負が負の形で秋田に現出したような気がするので、善意を悪意で返すと倍返しを食らう可能性があるので、触らぬクマに祟り無し(オラに悪意を向けたりオラの善意を壊すと相応の祟りがあるかもよ)ということで。

ああ、オラに向けられた善意は善意で還るからご心配なく。

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