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2024年1月26日金曜日

死刑は法律の元で行なわれることは当然。警官による射殺も一般人による犯人への応戦は正当防衛。それによる死は死刑ではなく結果であり、私刑でも刑罰でもない。

米山隆一氏 ひろゆきをまた論破…京アニ事件の死刑巡る持論を“一蹴”で「さすがです」の声

アレだ。

「死刑のない国でも、警官が犯人を蜂の巣にしちゃえば死刑と同じことじゃね?」

という素人レベルの持論をひろゆきは大声で言ってるわけで、日本じゃアメリカみたいな銃社会じゃないので大半は刃物相手や車を暴走させる犯人を射っちゃう事はあるけど、あくまでも制圧が目的。

稀に撃ちどころが悪くて死んじゃうことはあるけどね。実弾を撃つ練習が不十分ならブローバックのガスガンでも使えばいいのに、警官がどうこうではなく、運転同様に射撃の腕はセンスだから、間違いなくオラよりも下手くそな警官はかなり存在するかと。

一般人でも自分の命が危ない場合は犯人を無力化することは認められている。最近流行りの私人逮捕系YouTuberとか。ただ、追い打ちの応酬は過剰防衛になるから駄目ってだけ。押さえつけに依る窒息死なんかは時々問題になるので、警察官も逮捕時の力加減はしないと裁判で警察官も有罪になる。ま、暴れる不審者や犯人が警察の制止を振り切るからこうなる。

でもって障害者だから暴れたとか後付で言われても、見た目で障害者かどうかなんて分かるはずもなく。見て分かるような目印や格好は差別なんでしょ?。暴れれば押さえつけるのは当たり前だと思うし、それによる死は結果であり、過程は機械的に対処するだけのことであって、差別も区別もしていない。

だから、仮に犯人が自分を害そうとしていて凶器を持っている場合は可能な限り1手~数手で沈黙させよということになる。

この犯人への攻撃は、犯人が降参したら即時やめないといけない。実際はもっと複雑に状況を把握して、最善策を取ることが望まれるが、これも一般人とか警察官とか裁判官とか弁護士とか関係なく、目の前に迫っている危険を無力化しなければ、自分や身内や周囲の一般市民が巻き込まれるようであれば、やはり正当防衛は必用だろう。

まあ、悪に対して遠慮は不要だとは思うけど、トイレを我慢していたらそれどころじゃない訳で、漏らしそうなら加減もクソもないということは言える。つまり、漏らしそうだったから一刻も早くトイレに駆け込む必要があり、公衆の面前で漏らして撮影され、SNSで拡散されるという状況を回避するために、相手が動かなくなるくらいの打撃が入る可能性もあり、結果として加減はできないという事情もあるでしょう。


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