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2024年1月22日月曜日

兵庫・公立校で269人教員不足

 兵庫・公立校で269人教員不足、「ブラック職場」で休職多く志望者少なく…教頭が担任兼務も

時代の流れでモンスターペアレンツを受け入れてきた結果と、何でも体罰認定。先生が個々に授業内容を受け持つというアホみたいな非効率な慣習。体質が変わらない治外法権の学校内という閉鎖社会。学校しか知らない=世間を知らない教師という職業。

そして腐って時代遅れな教育委員会という前時代的な組織。

加えて精神疾患を抱える子供も普通学級に入れるべきと親は叫び、授業中に騒ぐ、イジメを先導する生徒の存在。先生はいつからカウンセラーになったんだ?。問題児はどこかに隔離したほうが世の中のためになる。問題児だけ集めてもまたその中でイジメは起きるよ?。鶏舎のニワトリと同じだもの。

問題児やら障害者とか先生は精神科医の仕事もしなきゃ成らないのかねぇ。そこがまずおかしいでしょ?。これでまた先生の負担は増える。ま、先生の味方は誰も居ないという職業だね。いっそのこと、過疎のど田舎分校にでも行ったほうがマシではないかと思うんだよ。

先生という職業に憧れはない。先生と呼べる人格者は小中高で1人しか居なかったね。他は全て~一部に問題のあるブァカであった。オラが先生と呼べる人はほぼ皆無だね。先生の責任は勉強を教えること。分からないことを解り易く教えること。人のペースなんてそれぞれだし、頭が良い人間ほど「分からない人が何処がわからないのか分からない」ということなので、教えるには向いてない。教え方が上手いというのは納得行く道筋を説く事ができる人じゃないのかな。

そして、問題を起こす生徒にはただ叱るのではなく、なぜそれが良くないのかを納得させるスキルが必用。公私共に過去に膨大な数の解り難いものを解り易くしてきたオラ的には、オラが分かるものはオラより理解度が低い人にもっと簡単に分かるようにする方法を取るだけ。ま、感覚的な部分は難しいけどね。切っ掛けは与えられるとは思う。

今必要な学校教育ってのは昭和の基準だと思う。

社会に出て学校では習わないことに直面したときに、それに対する取組方法なんぞは学校じゃ教えてくれないだろうし、先生の殆ど全ても学校の先生しかしてなかったでしょ?。


先生が足りない! 若者の深刻な「教職離れ」“ペーパーティーチャー”って? 

大学の教育学部を出て教員にならなかった人。教員免許を持っている社会人からすると学校の先生ってのはどう見えるのかねぇ。それこそ非効率で前時代的で、詰め込み優先でスケジュールに追われてカセットテープのごとく読み上げるだけの授業なのかね。

そこに理解させるという過程はなく、ただ推し進めるだけの授業。黒板を書き取りさせ書いた端から消していく中身のない授業。数学や英語が嫌いになる生徒の大半は先生がクソ以下だからだね。

社会人先生が仮に数学や英語を教えるとしよう。

数学は社会に出た時にこの公式はここで使えるんだぞ!とか、この英語は日常会話で使わないから、こう使うのがリアルだぜ!ってほうが面白い。授業外で先生と話す時に英語を使えばそれに応じて評価が上がるとかも面白そうだ。教科書通りに授業を進めるだけなら別に教員免許は不要でしょ。それに何時間目とかいうのも面倒だよね。1日全部数学で、強は個々からここまで理解できたら帰って良いとかのほうが面白いでしょ?。解った人から退出。判らない人は残る。または解る人が判らない人にサポートしても面白い。

人にモノを教えるってのは経験が必用で、工夫が必須で、判らない人が何を解らないのかを知るのも面白い。学校の在り方もまた変わるべきかと。それにさ、勉強だけできても社会への適応力を無視した学歴社会ってのをさっさとやめれば良い。一部の頭の良いとされる賢くない人が非効率で簡単なことを難しくしている世の中も滅びれば良い。

世の中を複雑にしすぎているのはそれだけ無駄が多いってこと。教育のシステムも大きく変化する時代に入るべきかと。教師しかやったことのない人には多分無理だね。社会を知らないから。

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