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2023年12月27日水曜日

子は親に似るもの「ルッキズムについて考える」

 「ブス…」娘の容姿を見て泣きたくなる母、コンプレックスの塊だった【ママリ】

そりゃまあ、見た目がカッコイイとか、可愛いとか、美形であることは選ばれやすいという意味では重要なファクターなのかもしれない。ただ、その見た目が誰にとってのブサイクか美形かは観測する側にも依る。

これまでの日記でカミングアウトしているオラは、世間一般に言われる「地味っ娘」が好みであること。この地味ってのは別に悪い意味ではない。この美形か地味かブサイクかってのはマスコミが言う美人とか可愛いを基準としたものであって、要するに芸能人や女優、アーチスト。アイドルを基準とした見た目の良さであるも、ハッキリ言ってオラ的には9割9部、好みじゃない。

オラの好みの範囲外の「二重で目がパッチリしていて~」とかいうタイプ。例えば四十八把一絡げの烏合のアイドル集団を見ても顔の区別がつかないくらいオラには興味がないし、誰基準の美形だよ?と思う次第。

昔はアイドルや女優にも色んな顔のタイプが居たものだ。顔だって全くの地味娘やブサイ娘も居たでしょ?。世の中の人間は全員が美形ではないので、ドラマなどに出演する人が全員美形とかまず有り得ないってこと。不自然なんだよね。出てくるキャラが全員美形のアニメにも違和感があるように、今のアイドルが下火なのは特定の個人的好みによって集められた美形の基準に合せられた特定の人に対する美形である。大衆受けの大衆と言っても、どこの大衆なのか小一時間説明せよって話。

因みに、世間の男の9割が好みではないというタイプの女性もオラにとってはオラの真逆の因子を持っていれば好ましく見えてしまう不思議。オラ基準の好みってのはオラとの遺伝子の差異が大きいほど好ましく見えるのである。要するに生物としての本能の部分。遺伝子の多様性を得るには自分の特徴と逆の因子を多く持てば持つほど好ましく見えるというものだ。

なので安心するがよい。

誰にとって好ましいかは見た目で決まらない。その多くは相性の問題であって、互いの特性のマイナスの部分を埋めるためにあるものだと思う。

この記事の奥さんが、旦那に似た自分の娘がブサイクなのが気に入らないようだけど、旦那を選んだのはオマエだろってブーメランじゃないの?。自分が美形で旦那がイモだから旦那が悪いとか思うのは間違い。選んだのはオマエだよってこと。どういう組み合わせで子供の容姿が決まるかなんて夫婦のパーツをひとつの箱に入れて、各パーツのいづれか1つを順に目隠しして福笑いを完成させるようなものだからだ。

うまくマッチすれば二人以上の美形に。運が悪いとパーツのバランスが悪くなるとか、悪いところばかりを寄せ集めた見た目になるかも知れないけど、目に見えない部分に良い部分が集約されているかもしれない。

容姿ってのは性格によって幾らでも変化するものだから。それに、幼少期は姉が男に間違われ。オラが女の子に間違われたものだ。姉は美人になり、オラはイケメン→クマ化→ふんぬー!うりゃー!化しているので心配無用。日常生活が容姿を変える。整形も不要なくらい。何をするかは自分次第。


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